独り居の充実ライフを求めて!

ご訪問を頂きまして有り難うございます

ちば文化資産 千葉県「千葉市の花 オオガハス」のご紹介 千葉テレビ放映より  

2024年07月16日 16時32分50秒 | 千葉の事

                                              「ちば文化資産」とは?

        千葉県誕生150周年を記念して千葉県内の文化資産のうち、県民参加により選定した、多様で豊かなちば文化の魅力を特徴づけるモノやコトとします。
             伝統的なものに限定せず、現代建築や景観等、千葉県の文化的魅力を発信するモノやコトを含みます。(以上は千葉県HPより)

                  今回は千葉市の花 「オオガハス」をご紹介させて頂きます。 (以下は千葉市のHPより転載させて頂きました)

          「オオガハス」1993年(平成5年)4月29日に千葉市が政令指定都市になったことなどを記念して「千葉市の花」に制定されました。 

 

           オオガハスは、1951年に千葉市畑町(現:花見川区朝日ケ丘町)で、大賀一郎博士を中心としたグループによって発見された古代ハスです。

                      年代測定の結果、少なくとも2000年以上前のハスであることがわかっています。
                           2000年の眠りから目覚めた古代のロマン「オオガハス」
                         古い地層から発掘され、発芽・生育に成功した蓮として世界最古です。

           オオガハスは世界最古という貴重な花であるにもかかわらず、国内外およそ250か所に分根され、各地で見ることができるようになっています。
                              千葉市はそんなオオガハスの「発祥の地」です。

  1993年(平成5年)4月29日には千葉市の花に制定され 、現在も都市アイデンティティを確立するための重要な地域資源の一つとして、積極的にオオガハスをPRしています

  
     「オオガハス」平成5年4月29日 「千葉市の花」に制定されました             千葉県千葉市は「オオガハスの発祥の地」です

                                       千葉市の構成と面積

                                 千葉市6区の地図

            千葉市は中央区・花見川区・稲毛区・若葉区・緑区・美浜区の6区からなり、面積は271.76平方キロメートル(令和2年10月1日現在)です。
                      気候は温暖で、平成21年の年間平均気温は16.3度、年間降水量は1637mmとなっています。

       「オオガハス」は私の故郷(旧:畑町)(現:花見川区朝日ケ丘町)にて発見され、現在は中央区の「千葉公園」にて育てられておりますので地図を示しました。

  
  
            大賀博士と千葉市畑町 伊原茂氏(今は亡き醤油屋のおじさんが懐かしい!)宅に咲いた1輪の花を見るお二方(写真は千葉市HPより)       

  
       道路から見えるところに建てられております「大賀ハス発掘碑」               この看板は道路側に建てられております

  
                                                        千葉公園のオオガハスは
                                             6月中旬から7月上旬にピークを迎えます。8月上旬には咲き終わります。                                            

  
                   ハスの4日間                  1日目 早朝4時~5時ころから花弁がゆるみ始め全開せずに8時ころには綴じ始める

  
       2日目 あさ7時~9時ごろに全開し花の形が最も優美になる           3日目 花色はややあせる。お昼頃に閉じ始め半開きの状態で終わる

  
      4日目 花弁が少しずつ散り始め午後3時過ぎには完全に散ります                 「オオガハスの系統保存」とは、
                                            オオガハスの純粋な種を後世に引き継ぐため現状のまま、保存・維持すること


  
                「オオガハスの系統保存」会の皆様が貴重な種の保存、この財産を守るよう後世に引き継ぐために取り組んでいる事業ですと。
 
  
             千葉市緑政課 伊藤 泰明室長の談話  「大賀ハスの系統保存」は2012年の大賀ハス開花60周年を記念した年に始めました。と

  
         「象鼻杯」ハスの葉を酒杯に仕立てものを茎を持ち上げて飲む様子が象の鼻に似ることから「象鼻杯」としてお酒・ジュースなどを吞む行事です

  
  千葉市緑政課 伊藤 泰明室長の談話「大賀博士が見つけたことでオオガハスと名付けられていますが博士の情熱やその当時の人たちの協力が2000年の眠りから花を咲かせているので

  
             それが千葉市発祥というところが一番誇るべきところです。その思いを千葉市に対する郷土愛というところにつなげていってもらい     

   
          千葉市の魅力に高めていければと考えています」と語られました。     わが先輩(旧)七中時代(新)千葉市立花園中学校の生徒は学校を上げて協力しました
                                                        (上記の写真は千葉市HPより)

 

         わが故郷の大切な出来事でしたのでオオガハスの「発祥の地」へ小学生の孫を見学に連れていきました時のブログがありましたので再度紹介させて頂きます。

                                 大賀ハスについて孫と学ぶ  2017年04月29日

                             

                                                          令和4年度 千葉市民短詩型文芸作品集投稿歌より                                       

                                                                     大賀ハス

                          丸木舟の舟底のハスの花跡に大賀博士(はかせ)のハスの実探し始まる

                          花園中の生徒らグランドの泥沼でふるひ振りしは昭和二十六年

                          ひと粒の種子を見つけし西野(真理子)さん名前は長く公表されずき
                                  (註)ただ一粒の発見は昭和二十六年三月三〇日
                          古代ハスは伊原氏宅の鉄釜に昭和二十七年(七月十八日)はじめて咲きたり
                                  (註)当時伊原氏は千葉市畑町に醤油屋経営
                          一輪の花に手を添ふ伊原氏と大賀博士に会ひしうつしゑ

                          古代ハスは大賀博士の名をとどめ千葉市の花に制定さるる
                                  (註)平成五年四月二十九日大賀ハスと制定される
                          わが母校花園中の校庭に西野真理子さんを讃ふる碑の建つ

この度はわが「千葉市の花 オオガハス」のご紹介に多くの皆様にお訪ね頂きましてありがとうございました。
古代ハスの実の発見は小学校5年生の春休みでもありましたの我が家からも近く、毎日見学に参りました。

7月17日(水) 806PV |588UU |3186755ブログ中 1304
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ちば文化資産 千葉県「松戸市戸定邸(とじょうてい)と庭園」のご紹介 千葉テレビ放映より  

2024年07月14日 06時00分00秒 | 千葉の事

                                           「ちば文化資産」とは?

        千葉県誕生150周年を記念して千葉県内の文化資産のうち、県民参加により選定した、多様で豊かなちば文化の魅力を特徴づけるモノやコトとします。
             伝統的なものに限定せず、現代建築や景観等、千葉県の文化的魅力を発信するモノやコトを含みます。(以上は千葉県HPより)

                今回は千葉県「松戸市戸定邸(とじょうてい)と庭園」のご紹介 (以下は千葉県のHPより転載させて頂きました) 

                     「松戸市戸定邸は2006年(平成18年)7月5日に国の重要文化財に指定されました。
                     「松戸市戸定邸の庭園」は2015年(平成27年)3月10日国の名勝に指定されました。

                                      「概 要」
       旧徳川家松戸市戸定邸(とじょうてい)は、徳川御三家の一つである水戸藩の11代当主徳川昭武の別邸として、明治16~17年(1883~1884)にかけて築造された。
                    敷地面積は23,000坪以上あり、建物も200坪以上と、当時の大名華族の暮らしぶりをしのばせる。
                    徳川昭武の父は、幕末に活躍した徳川斎昭で、兄は最後の将軍となった第15代将軍慶喜である。
               幕府崩壊から明治時代の激動期に生き、慶応3年(1867)には、将軍の名代としてパリ万国博覧会に派遣されている。
 庭園は、昭武が慶応3年に将軍代理としてフランスのパリで開催された万国博覧会に出席した際に見た庭園からヒントを得て、向島小梅の水戸家の下屋敷に出入りしていた庭師に作らせたものと言い伝えられている。
         この時期の庭園の多くは、日本庭園の伝統的技法となっている借景をうまくとり入れ、高台のすぐれた景勝地を選び、田園風景を十分眺望できるような設計がされている。


松戸市戸定邸(とじょうてい)は徳川昭武の別邸として明治16~17年にかけて築造された   千葉県 松戸市は、千葉県の北西部に位置する市。人口は約50万人。
                                           千葉県内では千葉市、船橋市に次ぎ第3位の人口規模である。旧東葛飾郡。 
                                              計量特定市に指定されている。1943年(昭和18年)市制施行。


「戸定邸」(とじょうてい)は2006年(平成18年)7月5日に国の重要文化財に指定  「戸定邸の庭園」は2015年(平成27年)3月10日に国の名勝に指定


                                         「表座敷棟」皇室など身分の高い人を迎える部屋と昭武が暮らす部屋(御居間)がある









     1951年(昭和26年)に戸定邸は松戸市に寄贈され、同年には「戸定邸と庭園」の周辺一帯は「戸定が丘歴史公園」として一般公開されました


徳川昭武が戸定邸を造った時はどちらかというと寛いで過ごせるような邸宅として造っているので来訪者にほっとして良い所という風に思って頂けると嬉しいと語られました。

 

2日続けて千葉県松戸市のご紹介をさせて頂きましたが過去に歴史倶楽部でどちらも見学しましたところでした懐かしく思いだしております。ただ残念!まだブログ開始前に旅の記録がありませんでした。 

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ちば文化資産「松戸市の本土寺とあじさい」のご紹介 千葉テレビ放映より

2024年07月13日 15時36分43秒 | 千葉の事

                                         「ちば文化資産」とは?

        千葉県誕生150周年を記念して千葉県内の文化資産のうち、県民参加により選定した、多様で豊かなちば文化の魅力を特徴づけるモノやコトとします。
           伝統的なものに限定せず、現代建築や景観等、千葉県の文化的魅力を発信するモノやコトを含みます。(以上は千葉県HPより)

                             今回は千葉県「松戸市の本土寺とあじさい」のご紹介

                                                                                戸市の本土寺」指定文化財 史跡 昭和41年5月17日指定

   長谷山(ちょうこくさん)本土寺は、建治(けんじ)3年(1277年)、豪族平賀忠晴(ひらがただはる)の屋敷内に日蓮(にちれん)の高弟日朗(にちろう)を招き、開堂したのが起こりとされています。
下総国における日蓮宗の中心寺院の一つであるばかりか、同じく日朗の開創した鎌倉の長興山妙本寺(ちょうこうさんみょうほんじ)、池上(大田区)の長栄山本門寺(ちょうえいざんほんもんじ)と共に、
                        「朗門(ろうもん)の三長三本(さんちょうさんぼん)」と称された屈指の名刹です。
                     日蓮直筆の書状類をはじめとして、松戸市にとっても貴重な中世資料を数多く所蔵しています。

                     又、近年は境内の整備が進み、あじさい寺、紅葉の寺として、多くの市民に親しまれています。


            松戸市の本土寺とあじさい」のご紹介               松戸市(まつどし)は、千葉県の北西部に位置する市。人口は約50万人。
                                                  千葉県内では千葉市、船橋市に次ぎ第3位の人口規模である。旧東葛飾郡。 
                                            計量特定市に指定されている。1943年(昭和18年)市制施行。


   建治(けんじ)3年(1277年)建治(けんじ)豪族平賀忠晴(ひらがただはる)の屋敷内に日蓮(にちれん)の高弟日朗(にちろう)を招き、開堂したのが起こりとされています。


   本土寺は鎌倉の長興山妙本寺、池上(大田区)の長栄山本門寺と共に、        日像上人は本土寺で生まれる。日蓮上人の遺命を全うし京都に日蓮宗を広めました。
  「朗門の三長三本(さんちょうさんぼん)」と称された屈指の名刹です 
                             



「乳出の御霊水」日像上人が誕生した際、湧き出た清水を産湯として使った飲むと乳の出が               日像上人誕生水碑
        よくなるというご利益で参詣祈願が絶えなかったと。

「日像上人誕生水の井戸」(本土寺日像上人誕生水看板より)                                           
 教えを弘めるという大聖人の遺命をわずか十三歳で拝命されました。大聖人の遺命を成就された高弟の一人であります。文永六(一二六九)年八月十日日像様はこの地、平賀に御誕生なさいました。
 その時、庭先に湧き出た泉がこの井戸であると伝えられています。かつては「乳出のご霊水」として崇められ、多くの人々がその御利益を求め当山をご参拝になりました。


     松戸市に古くから住む方は「以前は本当に荒れていた」と話されました。   近年は境内の整備が進み、あじさい寺、紅葉の寺として多くの市民に親しまれていますと。


                「本土寺」の異名は?                          「あじさい寺」とも呼ばれていますと。


                                    あじさいが咲き誇る本土寺(あじさい寺)の境内です

書道の月例作品7点の提出に毎日筆を握っておりましたことに皆様のブログをお訪ねすることも、更新することもできなく、この度の本土寺のあじさいも散り果てました頃かと思いますが、
過去に歴史倶楽部で訪ねました素晴らしい本土寺でしたのでとても懐かしく録画しておきましたので遅ればせながらご紹介させて頂きました。

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ちば文化資産「県政発祥の地 宮谷(みやざく)県庁跡」のご紹介 千葉テレビ放映より

2024年07月06日 06時00分00秒 | 千葉の事

                                         「ちば文化資産」とは?

        千葉県誕生150周年を記念して千葉県内の文化資産のうち、県民参加により選定した、多様で豊かなちば文化の魅力を特徴づけるモノやコトとします。
           伝統的なものに限定せず、現代建築や景観等、千葉県の文化的魅力を発信するモノやコトを含みます。(以上は千葉県HPより)

                              今回は千葉県「県政発祥の地 宮谷(みやざく)県庁跡」のご紹介
                          (以下は千葉県教育委員会HPより転載させて頂きました)

               「県政発祥の地 宮谷(みやざく)県庁跡」は千葉県指定史跡として昭和29年12月21日に指定されました
                                
                           「概要」 所在地 大網白里市大網3002ほか(本国寺)

      本国寺(ほんごくじ)は、空海創草と伝えられる真言宗の寺であったが、文明3年(1471)に顕本法華宗に改宗し、さらに現在は日蓮宗の寺となっている。
           元和8年(1622)に、仏教の学問所である宮谷檀林(みやざくだんりん)が創設され、盛時には800名の学僧を擁したといわれている。
  慶応4年(1868)閏4月、新政府は政体書を発布し、府藩県三治政を定め、旧天領には府県を置き知事・県令を任命し、旧藩については従来の制度を存続させることとした。
7月、安房の天領地域を統治するために、久留米藩士・柴山典が上州軍監から上総房州監察兼知県事(房総知県事)に転任し、房総における初めての新政府民政担当の地方長官となった。
                    同年9月に改元が行われ明治となったが、12月には宮谷(みやざく)檀林の学寮を知県事役所とした。
翌明治2年(1869)2月に房総知県事の管轄地域が宮谷県と命名されたことにより、知県事役所は宮谷県の県庁に改められ本国寺本堂(旧宮谷檀林大講堂)を除く一切の諸堂が庁舎として使用された。
                     宮谷(みやざく)県の管轄範囲は、上総・安房と常陸の一部を含む旧天領地域であった。

     明治4年(1871)7月に廃藩置県が行われ、同年11月、第1次府県統合で安房・上総全域が新たに木更津県として統合されたことにより、宮谷県は廃止された。
                  その後、明治6(1873)年6月15日、木更津県と印旛県が合併し、現在の姿に近い千葉県が誕生した。


                                                  大網白里市 の位置
                                    千葉県大網白里市は太平洋(外房)に面し、九十九里平野および九十九里浜(九十九里海岸)の南西部に位置する。
                       東西に細長い市域は、西部の「大網地区」である丘陵部、中央部の「増穂地区」である広大な田園部、東部の「白里地区」である海岸部を有している。


「宮谷(みやざく)県庁跡」の説明をされる 大網白里市教育委員会 武田 剛朗さん    宮谷(みやざく)県は千葉県の前身の1つで本国寺に庁舎が置かれていましたと


  宮谷(みやざく)県は千葉県の前身の1つで本国寺に庁舎が置かれていましたと。          この寺はもともと檀林というお坊さんの養成所だった


 幕末から明治にかけてそのお坊さんがいなくなり大きな建物があり県庁として使われた    明治2年新政府により本国寺を県庁とする「宮谷(みやざく)県」が設置される


              
 「宮谷(みやざく)県」は明治2年2月から明治4年11月まで約2年9ヶ月    「宮谷県」は明治2年2月旧幕府領を統治するために設置、本國寺が庁舎として使用された
    あった県ですと説明される 大網白里市教育委員会 武田 剛朗さん 
    
 
  久留米藩出身の 初代宮谷(みやざく)県知事 柴山 典(1822~ 1884)             初代宮谷(みやざく)県知事の任命書        


  古文書によると明治初期は飢饉などで苦しんでいる住民が多かったようで         初代宮谷(みやざく)県知事 柴山 典氏は穀物を蓄えるように勧めたり                                   


  税をお金で納めるように政府にかけあったりしていたことが記録に残っている     歴史の事象は幕末・明治維新のことは江戸 東京 京都ばかりで起きていたと思われがち


     150年以上前に政治の中心だった事を地元住民も知らないという状況にあります事に地域・地域に学べる場所があるということを知り来て頂きたいと語る
                                 大網白里市教育委員会 武田 剛朗さん 

 

    この度の「県政発祥の地 宮谷(みやざく)県庁跡」及び「千葉県一宮町 芥川荘」につきましては過去に歴史倶楽部にて見学しておりましたので振り返ってみました。

                              「千葉 ・ 茂原市の旅」  2011年02月24日

                            千葉実年大学校 歴史倶楽部 平成23年2月度定例会                               

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ちば文化資産「千葉県一宮町 芥川荘」のご紹介 (千葉テレビ放映より)

2024年07月01日 20時07分24秒 | 千葉の事

                                          「ちば文化資産」とは?

        千葉県誕生150周年を記念して千葉県内の文化資産のうち、県民参加により選定した、多様で豊かなちば文化の魅力を特徴づけるモノやコトとします。
           伝統的なものに限定せず、現代建築や景観等、千葉県の文化的魅力を発信するモノやコトを含みます。(以上は千葉県HPより)

                                今回は千葉県「一宮町 芥川荘」のご紹介
                            (以下は千葉県教育委員会HPより転載させて頂きました)

                  千葉県「一宮町 芥川荘」は平成13年10月12日 国登録有形文化財(建造物)として登録されました。

一宮の海岸地区は、明治時代から鉄道が通り海水浴場が整備されたことから、明治末期から昭和初期頃まで「東の大磯」と称され、名士の別荘が100軒近く建ち並ぶ避暑地として栄えた。
  芥川荘は、海岸地区の一宮川河口に位置する旅館・一宮館の離れで、大正3年(1914)と大正5年(1916)に芥川龍之介がこの離れに滞在したことから、この名がつけられた。
  芥川は滞在中にこの離れから、後に妻となる塚本文に長い求婚の手紙を送り、一宮での思い出を「微笑」「海のほとり」「玄鶴山房」「蜃気楼」などの作品に登場させている。

         建物は、明治30年(1897)の建築。茅葺寄棟造の木造平屋建で、主屋と次の間2室の3方に縁側を回らし、縁側の一端には洗面所を設けており、
                 当地方の伝統的な民家建築技法で建てられ、周囲の松林の閑静な雰囲気と相まって良好な景観となっている。


                                                    一宮町 の位置
一宮町はゆるやかに弧を描く九十九里浜の南端,北緯35度22分,東経140度22分に位置し,東に太平洋の黒潮洗う美しい砂浜,西に丘陵台地をひかえた風光明媚で気候温暖な地域です。


「芥川龍之介愛の碑文」
 芥川龍之介の愛のはじまりは彼が東大在学中23歳の頃であった。当時彼は吉田弥生という女性に初恋し激しい相愛の仲になったものの、養家(彼の母の実家)芥川家が士族、吉田家が平氏であるとの理由だけで
 許されざる恋となった。彼の親友堀内利器はそれを見かね堀内の故郷一宮に誘い、大正3年7月中旬からこの地に滞在した。しかし彼女への恋情はいよいよ深くなり、止宿先で綴った悲恋の歌のひとつに

       美しき 人妻あらむ かくてあゝ わが世かなしく なりまさるらむ

 もう美しき彼女は自分のものにはなり得ないという一宮時代からはじまる悲恋の苦悩こそは、人間の醜いエゴイズムを古典の世界をかりて表現したユニークな芥川文学を誕生させた。大正5年2月出世作「鼻」が
 恩師夏目漱石に賞賛を受け、華やかに文壇にデビューし、失恋の痛手も癒えて、再び思い出の地一宮に久米正雄と2人で訪れ、一宮館の離れ家(現在芥川荘として保存)に止宿した(大正5年8月17日から9月2日まで)。
 その時、第二の恋人塚本文子宛に「文ちゃん」ではじまる有名な求婚の手紙が身を結び、新しい芥川人生が出発した。当時、夏目漱石宛に太陽と海と空と砂丘の大自然を背景とした一宮海岸に青春を投げ出している
 楽しい様子を、また晩年にも「微笑」「海のほとり」と題してこの一宮の思い出を書いている。今日青春芥川龍之介のロマンスを記念し、郷土の鉄道作家故上田廣氏の発想どおり、「芥川龍之介愛の碑」とした。

                       

             
                   100年前の恋文と紹介されました第二の恋人塚本文子宛に「文ちゃん」ではじまる有名な求婚の手紙


          千葉県一宮町に保存されている「芥川荘」                     「芥川荘」は旅館一宮館の離れとして存在していました



 

 

 

 

 


                                    大正7年2月2日、田端の料亭・白梅軒で祝言ののち、自笑軒にて披露宴を(写真提供/日本近代文学館)
                                                  結婚した二人は鎌倉で新婚生活を始めます。
                                    夏目漱石にその才能を見出され、文壇でも注目されつつあった龍之介と女学校を卒業したばかりの17歳の文、
                                                二人の結婚生活はいかなるものだったのでしょうか。

                      社会福祉法人主催の「芥川龍之介恋文大賞」 地域福祉文化に寄与

                                  コンテストの趣旨とご応募について

                        最近、送る方を思い浮かべてペンや便箋を選び、手紙をお書きになりましたか?
                友人や家族、親戚、想いを寄せる方、上司、部下、送るお相手は様々、また伝えたい「心」も様々なものでしょう。

                 日本在住の6歳以上の方を対象として、過去・現在を問わず大切な人に届けたい想いを書いた手紙を募集します。
                 手紙を書くことが少なくなってきた今日に文豪が書いた手紙に触れ、文芸的行事として幅広く親しめる機会を設けます。

                              表彰式を芥川龍之介ゆかりの宿ホテル一宮館で行う予定です。
                                         (以上はネットより)

上記にご紹介の「芥川龍之介恋文大賞」につきまして先日、遺族会の役員会の折に遺児の友人が戦死しましたお父様にあてて投稿しました作品が「恋文大賞に入賞」しましたことをお伺いいたしました。
     ホテル一宮館で行われました授賞式にはご家族お揃いでお出かけになられましたことをお伺いいたしました。素晴らしい出来事に役員一同大きな    をお贈り
申し上げました。
              おかげさまで今年の千葉市戦没者追悼式の「思い出のことば」はこの入賞作品のご紹介を申し上げながら発表することに決定いたしました。
                      この度、初めて知ることとなりました「芥川龍之介恋文大賞」に今後学んでみたく考えております。
         
                           応募方法・書式などはHPをご覧いただきたく宜しくお願い申し上げます。

この度のちば文化資産「千葉県一宮町 芥川荘」のご紹介に多くの皆様にお訪ね頂きましてありがとうございました。
ご厚意の程を保存させて頂きました。

 7月1日(月)  1223PV |558UU |3185901ブログ中 1311
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千葉の贈り物 「千葉県の飯岡メロン」のご紹介(フジテレビ放映より)

2024年06月30日 22時03分20秒 | 千葉の事


    「飯岡町」=千葉県北東部、海上郡(かいじょうぐん)にあった旧町名(飯岡町(まち)) 現在は旭市(あさひし)の東部を占める地域。 九十九里浜北端に位置する。 


    糖度 15度以上のブランドメロン おひさまエナジー = 飯岡メロン           飯岡メロンは種まきから約半年間大切に育てて収穫していますと語る          
                                             この度の「まごころ配達人は飯岡メロン部会会長 加瀬 秀樹さん」です。


    タカミメロンは香りが良くてみずみずしく爽やかな甘みが特徴ですと。          味はもちろんですが網目がきれいに入った見た目も大切ですと。


 きれいな網目を・色・形にするために陽の当たる面を変えながら栽培しておりますと。        メロン栽培の最大の敵が「カビ」ですと話されまし。


      カビを防ぐためにハウス内の温度・湿度を管理しながら健康に育てることで高品質なメロンになります。又、収穫前には糖度検査を実施しておりますと。


              タカミメロンは青肉ですと話されました。                    タカミレッドメロンは赤肉ですと話されました。


糖度15度以上の完熟メロンが「おひさまエナジー 飯岡メロン」として出荷されていますと。    問合せ先 = JAちばみどり飯岡支店にお願いしますと語られました。

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千葉の贈り物 まごころ配達人「冨里市のスイカ」のご紹介(フジテレビ放映より)

2024年06月27日 13時55分24秒 | 千葉の事


               千葉の贈り物 まごころ配達人 フジテレビ放映より                       冨里市のスイカのご紹介      千葉県冨里市の位置 


   千葉県はスイカ生産量 全国2位・冨里市は千葉県内においてはトップの生産地です              冨里市役所にはスイカのオブジェも建てられています


       千葉県冨里市でスイカ栽培が始まったのは昭和8年と記録されています                 まごころ配達人のご紹介 スイカ農家3代目 鈴木 寛一さん


            冨里市のスイカの特徴 「水はけの良い土地で昼夜の寒暖差も大きく糖度の高い実がなる。シャリシャリの食感でみずみずしく甘みが特徴です。」と。


  交配後50日の栽培期間が最適とされ一覧表に記録、又色分けしたタグをツルにつけて管理しながら7月中旬くらいまで出荷しているので是非、皆様に味わっていただきたいと話されました


         冨里スイカの証の「とみちゃんシール」を貼ってありますと                  冨里スイカはオンラインショップなどでも販売しておりますと

 

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2024年度(令和6年)皇室献上の「びわ」の選果式 千葉 南房総 (千葉テレビ放映より)

2024年06月08日 15時18分55秒 | 千葉の事

                          令和6年6月4日(火)皇室献上の「びわ」の選果式が行われました

             千葉県の房総半島南部で出荷が最盛期を迎えている特産のびわの中から、皇室に献上するものを選ぶ選果式が行われました。
 千葉県南房総市やその周辺では、温暖な気候を生かしたびわの生産が盛んで、生産者で作る「房州枇杷組合連合会」では毎年、特にできのよいものを選んで皇室に献上しています。
             6月4日(火)、南房総市で献上するびわを選ぶ選果式が開かれ、加盟する8つの生産組合が、選りすぐりの実を出品しました。
選果式では8人の審査員がひとつひとつ色や形などを確かめ、審査の結果「岩井枇杷組合」が出品した「田中」という品種のびわが昨年に続いて天皇陛下に献上されることになりました。

画像は千葉テレビ放映より頂きました。


房州びわの献上は令和6年は108回目となりますと選果式を伝える千葉テレビアナウンサー       2021年には房州びわは全国2位の産出額と

                                 
                                    千葉県南房総市・館山市・鋸南町のご紹介



                                「千葉県房州びわ」選果式が6月4日(火)に行われました       



                           天皇陛下への献上品は岩井琵琶組合出品の品種「田中」が昨年に続いて選ばれました



             岩井琵琶組合新藤 善行組合長のお喜びのお姿                   優勝カップを手にされるお喜びの新藤 善行組合長

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ちば文化資産「八千代市京成バラ園」のご紹介 (千葉テレビ放映より)

2024年05月31日 06時00分00秒 | 千葉の事

                           「ちば文化資産」とは?

        千葉県誕生150周年を記念して千葉県内の文化資産のうち、県民参加により選定した、多様で豊かなちば文化の魅力を特徴づけるモノやコトとします。
           伝統的なものに限定せず、現代建築や景観等、千葉県の文化的魅力を発信するモノやコトを含みます。(以上は千葉県HPより)

                         今回は千葉県「八千代市京成バラ園」のご紹介(ネットより)               

                京成バラ園(けいせいばらえん)は、千葉県八千代市にある京成グループ京成バラ園芸株式会社が運営するバラ園である。
                  日本国内最大級のバラ園で恋人の聖地に選定されており、写真映えするスポットとして注目されている[1]
                                       また房総の魅力500選にも選出されている。                   
        3
万平方メートルの広さを誇るローズガーデンでは11600品種1万株のバラを中心に年間を通じ、四季折々の草花や樹木を楽しめます。
         平成27年には世界バラ会議において、庭園の美しさ、原種などの希少品種の展示や植栽の工夫などが評価され、優秀庭園賞を受賞しました。


   ちば文化資産 千葉県八千代市「京成バラ園 ローズガーデン」のご紹介           千葉県八千代市「京成バラ園 ローズガーデン」の位置


  バラの見頃 春バラ  5月上中旬 ~  6月中旬(1600品種 10000株)         見事な真紅のバラ 正に「花の女王」ですね
        秋バラ 10月 中旬 ~ 11月下旬(1000品種  7000株)


   京成バラ園園長 村上 敏さん 京成バラ園で開発した「恋こがれ」の紹介に「すごく背丈が低くコンパクトで花がぎゅっと固まって咲くところが素晴らしい」と


                 「樹齢60年の大アーチ」ローズガーデンにある中でも一番古株でもう60年くらい経っていますと。


                     日本にバラを広めるための努力をされた鈴木省三氏、まさしく「バラの父」ですと


                          鈴木省三氏について京成バラ園園長  村上 敏さんは語りました。
  「種・苗登録に深く関わり品種改良など日本にバラを広めるための努力をされたお方、熱いとはこういうことを言うんだなと、情熱は鈴木省三氏から頂いた感じです」と。


                         バラは病気になりやすいのでほぼ365日お世話をしておりますと。

                            ローズガーデンが一望できるオープンスタイルのカフェ。
                   華麗なバラの花に迎えられローズガーデンを散策した後は、テラスでのんびりおくつろぎください。
                  バラの香りの中で楽しむローズティやバラのソフトクリームは、優雅なひとときをお約束いたします。


              ローズティ  450円(税込)                       バラのソフト   400円(税込)


                               京成バラ園園長  村上 敏さんは語りました。
いろいろな人に楽しんでもらいたいということもありますが大事なことは「きれいだな」と思って頂くこと、その感動を伝えるために「ローズガーデン」はあると思っておりますと。
 

 

                     過去に歴史倶楽部の同好会に京成バラ園を訪ねておりましたので振り返ってみました。

                             平成27年5月 歴史倶楽部三七会 京成バラ園見学

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初夏の果実「千葉県の房州びわ」千葉テレビ放映より

2024年05月27日 15時45分17秒 | 千葉の事

                                「千葉県の枇杷の生産」(千葉県のHPより)

          千葉県は、びわの栽培が盛んで、産出額は約7億円(令和3年)、全国第2位の産地です。主な生産地は、南房総市、館山市及び鋸南町です。
                   栽培の歴史は古く、宝暦元年(1751年)に始められたといわれており、約270年の歴史があります。
                              特長は、果実が大きくて美しく、瑞々しいことです。
                 「房州びわ」の名で首都圏を中心に高級果実として流通しており、皇室へ献上されていることでも有名です。

                                「びわ狩り」について (千葉県のHPより)

                                    主に南房総市の富浦・富山地区で楽しむことができます。
                                 【富浦地区】 6月上旬頃
                             詳細については、下記にお問合わせください。
                             ・問合せ先 道の駅 とみうら枇杷倶楽部 電話 0470-33-4611
                                 【富山地区】 5月下旬~6月上旬頃
                              詳細については、下記にお問合わせください。
                             ・問合せ先 道の駅 富楽里とみやま 電話 0470-57-2601
 
                                       ※各施設に必ずお問合わせの上、お出かけください。

                                          以下は千葉テレビ放映よりご紹介                            
                                   千葉県南房総地域を中心に栽培されている「房州びわ」。
              大粒で瑞々しく、甘酸っぱい果汁たっぷりの「びわ」をその場でかぶりつく醍醐味や、びわを使ったスイーツを紹介します。


     初夏の果実「千葉県の房州びわ」を紹介される千葉テレビアナウンサー           

 

                                令和5年度の「皇室献上びわの選果式の様子

                毎年6月、8組合から出品されたびわについて、形や色、粒揃いなどを厳正に審査し、皇室への献上品を決定します。
         房州びわは、270年以上の歴史を有し、明治42年(1909年)以来、皇室献上が行われています。令和6年は108回目の献上となります。


 

              ほづみ・びわランドの生産者 穂積様                     上記の大きなびわの木は植えてから30年経過しておりますと

 

「びわ栽培は寒さとの戦い」
 びわは、花や果実が寒害を受けやすい作物です。びわは、初冬に花を着け、寒さの中で実を結ぶため、栽培は寒さとの戦いです。びわの花はマイナス5度で、果実はマイナス3度で凍死してしまうため、
 温暖な地方でしか栽培できません。冬、黒潮に守られる安房地域は、びわ栽培の北限です。

 このため、栽培者の苦労は多く、作業能率は悪くても気温の下がりにくい傾斜地を選んで栽培したり、寒波の襲来する頃には、ストーブを焚いて果実を守ることもあります。
 びわ園の多くは冬期の季節風及び冷気の滞留しにくい南から東に向いた山の斜面に位置しています。
 

「びわの栽培は急斜面での作業」
「花摘み」「袋掛け」「収穫」と急傾斜で樹に登る作業が3度もあるため、大変労力がかかります。そのような生産者の努力があって、おいしいびわを食べることができます。
 

「びわは一果一果、手作業で袋掛け」
 びわは、果実が小さい時に生産者が1つ1つ袋をかけて大切に育てます。なぜなら、「害虫」や強い日差しによる「しみ・そばかす」などから果実を守るためです。
「袋かけ」は、美しいびわを作るために欠かせない大切な作業です。
 

「びわを美味しく食べるためのヒント」
 袋に切れ目が入っていますので切れ目からゆっくり袋を開けて上記 のように色づいているものを収穫します。袋を開けて青いものはそっ~と袋を閉じます。

 過熟果は皮に縦のひび割れが入りますが、特別に甘くなっています。この過熟びわは柔らかいため一般には流通されないので、産地だけで食べることができます。
 皮に赤あざが入っているものは、日当りの良いところで育った証拠で、味もおいしいです。


              びわ園の近くにありますDINING Cafeの粟田さんに美味しい「びわソフト」800円を作って頂きましたと喜んでおられました

 千葉市の田舎の祖母の家の裏庭には大きなびわの木がありましたが、斜面でもなく、袋もかけず、「びわ栽培は寒さとの戦い」も知らずに、毎年毎年、自然に実った沢山のびわを食べておりました。
 近隣の皆様にも沢山お届けしておりました。現在はびわの木は枯れて無くなったそうですが、お店にびわが並ぶ頃になりますと従兄姉たちと木登りをして食べた日々を懐かしく思いだしております。
 現在はと申しますと千葉の名産ですが、高価なものでなかなか手が出せません。又栽培にもご苦労がありますことを伺い時代の流れを感じております。
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ちば見聞録 ちばベイエリア 今昔物語(千葉テレビ放映より)

2024年05月17日 06時00分00秒 | 千葉の事

 

                                      「千葉の海辺の歴史」(ネットより)

    まだこの地が「千葉」と呼ばれる遥か昔、人々は、海で取れた貝や魚をはじめとした海の幸・山の幸を食べて暮らし加曽利貝塚などの数々の貝塚を残しました。
                    やがて、武士の一族「千葉氏」によって都市としての「千葉」の街の歴史が始まります。
                       そして、東京湾に面した、海と陸の交通が集まる地として栄えました。

                      千葉の街に県庁が置かれた頃、遠浅の海を活かした海苔づくりや漁業に加えて、
                         都心に近いという利便性から海水浴や潮干狩りも楽しめる行楽地、
                        また、美しい海と松林に恵まれた別荘地としても賑わうようになりました。

                       そして今は、埋め立てによってその姿を変え、新しい街と産業が生まれました。
          海辺には数々の工場や団地が立ち並び幕張メッセなどのすぐ先に広がる人工海浜でかつての海辺の街の面影を感じることができます。


                 知人の漫画家さとう有作先生のご活躍と合わせてさとう有作先生の知人、千代倉信子先生の素晴らしい題字の書の作品も拝見させて頂いております

             昭和30年代に検見川海岸に見られました「打瀬船」(うたせぶね)白いドレスを着た「海の貴婦人」とも呼ばれていました。
「打瀬船」(うたせぶね)真っ白い大きな帆を張って風を受け、船を横に流しながら海底の魚を取る。船のきれいな姿から白いドレスを着た「海の貴婦人」とも呼ばれていました


     作業名はわかりませんが昭和30年代の検見川海岸の「漁業に携わる人」           昭和30年代の検見川海岸の「アサリとりの女性たち」         


昭和30年代の検見川町~稲毛町~現在の中央区の入り口まで旧14号線沿いに何十メートルも女性たちが並んでとれたてのアサリ、むきみ等を売っていた様子が懐かしいです


              昭和30年代の千葉 検見川海岸の様子                海岸を埋め立てまで続いた検見川町他、隣接海岸の「海苔作り」作業

「海水浴場と文人に愛された海気館」(千葉市のHPより)

稲毛や黒砂の目前、現在の国道14号の辺りは遠浅の海岸でしたが、明治21年(1888年)、千葉県初の海水浴場が開かれ、同年、医学士の濱野昇により「稲毛海気療養所」が設立されました。
施設は海水温浴場、海水冷浴場、海水灌漑場、遊戯場、運動場などで、救急に備え医師が1名常駐していました。当時海水浴は、諸疾病に対する治療法として提唱され「海気館」はそれに応じた施設だったのです。
稲毛浅間神社周辺の松林の中に建てられた施設「海気館」は、林芙美子が昭和9年(1934年)に書いた小説『追憶』に、「赤や青の色ガラスがはめこまれている明治の建物」と形容されています。


  稲毛海岸での最初の海水浴は海水に浸って病気の治療をするというものでした           多くの文人に愛された避暑地における稲毛海岸の「海気館」


                   牛を引く農家の人                  30年代は家々のすぐ前が検見川海岸でした(現在 千葉市花見川区検見川町)

                                千葉港中央地区 ~  浦安地区
                                 都市施設としての土地利用計画

昭和30年代後半以降、首都圏の急激な人口増加に対応するため千葉市中央区(出洲港)から浦安市に至る地域では、工業団地とともに学校・道路・公園・緑地などの公共公益施設を備えた街づくりが計画されました。
地区ごとに千葉港中央地区では千葉市の港湾整備・都市的施設用地が稲毛・検見川・幕張A・B・C地区では大規模なニュータウン用地が、浦安地区では住宅用地・鉄鋼流通基地用地および大規模レジャー施設用地が、
現在のディズニーランドの土地がそれぞれ確保されました。特に幕張A・C地区については、業務研究・文教・住宅用地等を配置した国際業務都市「幕張新都心」と位置づけ、街づくりを行いました。



                                             千葉ポートタワー             
                                        潮風と遊ぶ。125mからの大パノラマ


 千葉港のシンボル千葉ポートタワーは1986年6月、千葉県民500万人突破の記念として開設。2011年「恋人の聖地」に選定、2012年「日本夜景遺産」に認定された人気スポットです

                                      ― 千葉市稲毛の民間航空の歴史 ―

               埋立てられる以前の稲毛海岸は遠浅な海岸が広がっており、引潮時には数キロに渡り干潟が広がっていた。
          以前の稲毛海岸は遠浅な海岸がこの干潟を利用して1912年明治45年)5月下旬、奈良原三次日本初の民間飛行場(稲毛飛行場)を開設、
                        伊藤音次郎をはじめ多くの民間飛行家たちが育成されこの地を拠点に活躍した。
                     当時の複葉機・鳳号が復元され、1987年昭和62年)11月9日に75年ぶりに復元飛行した[4]
               これを機に、民間航空の資料を集めて、1989年平成元年)4月29日に稲毛海浜公園内に当記念館が開設された[1][2][3]
                             
                               2018年平成30年)3月31日をもって閉館[5]

                         建物をリニューアル整備して、グランピング施設の受付場所・休憩施設として活用する予定。
                    施設改修後も鳳号の復元機はそのまま保存活用しその他の展示物も可能な限り活用する予定。

       

                             

          かつて旧14号線沿いの海岸には工場や団地が立ち並ぶ          史実に基づいて制作していますが番組内の歴史の検証については諸説ありますとあり

中学生頃まではまだ近隣は海でしたので日曜日などにはバケツをもってアサリとり、おやつはワタリガニ、炭火で焼いたハマグリにお醤油を注いで食べた美味しかった思い出は忘れることができません。

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千葉の贈り物 (フジテレビ放映よりご紹介)

2024年05月14日 06時00分00秒 | 千葉の事

                              目指せ!千葉県山武市のニラのブランド化

                千葉の贈り物、今回は、農業が盛んな九十九里地域で愛情を込めてニラを栽培している人たちのお話です。
                      「櫻田農園」を営む櫻田さんご夫婦は、山武市の特産品であるニラの専業農家。
   手作業で収穫や出荷を行い、大切に育てたニラを「浜ニラ」としてブランド化することを目指しており、農園HPに特製レシピを掲載するなど、ニラの普及に取り組んでいます。

                        
                         千葉県山武市の特産品であるニラの専業農家「櫻田農園」を営む櫻田さんご夫婦のご紹介

                    
                                   千葉県山武市の位置          


                             素晴らしい!海が広がる千葉県山武市の風景です

         
          今回の「まごころ配達人」は千葉県山武市の特産品であるニラの専業農家「櫻田農園」を営む櫻田 隆・光代さんご夫婦のご紹介 




                   


                   
                    

                   
                   
                   
                      

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千葉の贈り物 (フジテレビ放映よりご紹介)

2024年05月07日 18時37分30秒 | 千葉の事

      今回の千葉の贈り物は、温暖な気候で花の栽培が盛んな千葉県南部の安房地域。花づくりが盛んな安房地域でカーネーションを栽培する人たちのお話です。
           カーネーションの一大産地・南房総市の富浦地区にある「精華園代表の岩田秀一さんは、品質にこだわってカーネーションを栽培し、
                           令和6年1月の花の展覧会では農林水産大臣賞を受賞しました。

               独自の染色技術による青色のカーネーションの生産にも取り組み、国産のカーネーションの魅力を伝えています。


     今回の千葉の贈り物は、温暖な気候で花の栽培が盛んな千葉県南部の安房地域。花づくりが盛んな安房地域でカーネーションを栽培する人たちのご紹介です


南房総市富浦地区には約40棟の温室ハウスが並ぶ青木カーネーション団地があります 「精華園」岩田秀一さんは約30品種、年間50万本のカーネーションを栽培しています


    今回の「まごころ配達人」青木温室組合長「精華園」岩田 秀一さんは、最後の選別は自分で行いお届けした時に丁度良い大きさで花が咲くように出荷しておりますと


   2019年の台風に甚大な被害を受け「精華園」の廃業も考えましたがボランティアの皆さんや花業界の皆さんに助けられて復活することができましたと語りました


   岩田 秀一さんは今後は7~8割は輸入になっていく時代と思いますが、地域のカーネーションを盛り上げて国産のカーネーションを残していきたいと話されました



                                            岩田 秀一さんは独自の染色技術で青色のカーネーションを生産しました



       独自の染色技術で青色のカーネーションを生産しておりますと              ”母の日”を前に出荷のピークを迎えておりますと

                    
                       岩田 秀一さんは令和6年1月の花の展覧会では農林水産大臣賞を受賞しました

                    
                      岩田 秀一さん”母の日”には南房総で育ったカーネーションを是非ご利用頂きたいと

5月7日(火) 千葉の贈り物「安房地域でカーネーションを栽培する人たち」に多くの皆様にご訪問頂きましてありがとうございました。
感謝を保存したく思います。

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「ちば文化資産」佐倉チューリップフェスタ

2024年04月28日 06時00分00秒 | 千葉の事

                             「ちば文化資産」とは?

    千葉県誕生150周年を記念して千葉県内の文化資産のうち、県民参加により選定した、多様で豊かなちば文化の魅力を特徴づけるモノやコトとします。
               伝統的なものに限定せず、現代建築や景観等、千葉県の文化的魅力を発信するモノやコトを含みます。

           今回は千葉県佐倉市 オランダ風車と70万本のチューリップが春を彩る「佐倉チューリップフェスタ2024」のご紹介
                            開催期間 令和6年3月27日~4月21日


     この度の「ちば文化資産」は「佐倉チューリップフェスタ」のご紹介                「佐倉チューリップフェスタ」千葉県佐倉市の位置    ↑
 

          案内役の佐倉市佐倉の魅力推進課 向後 貴大さん             オランダチューリップまつりとして日蘭修好380年を記念して1989年に初開催


                なぜ オランダー?ですか        「佐倉市とオランダの関係」        佐倉藩藩主になった堀田  正睦の銅像


   1825年(文政8年)佐倉藩藩主になった堀田  正睦により蘭学を学ぶ動きが加速して1987年に市民公益活動団体「佐倉日蘭協会」が設立され文化交流が続いています。


         案内役の向後 貴大さんは新たなチューリップとの出会いを紹介               チューリップには色・形・香りがするなどいろいろありますと


       このチューリップは「ドリーマー」という品種でみなさんがイメージしているものとは違った形でばらバラのような形のチューリップですと説明されました


   「ディディ」 時間が経つごとに色が移り変わっていく品種と説明されました      「クリスタルスター」 香りがする品種、※通常チューリップはか香りがありませんと



                                     ストリートオルガンは、
手でハンドルを回して自動演奏する小型のオルガンです。3月27日~4月21日までの開催期間中の土日に チューリップをご覧いただきながら本場オランダの音色を聞くことができました 


 案内役の向後 貴大さんは「オランダとの関係があったり、地元のかたがたの想いの詰まったイベントです。開始当初から立ち上げてここまで大きくして下さっていると思っています」と


案内役の向後 貴大さんは続けます「沢山の人にきていただき、楽しんでいただいているので、幸せになっていただけるようなイベントになったら良いなと思っております。」と語られました

    尚、「佐倉チューリップフェスタ2024」の開催は終了しましたが、自由に散策ができますので、美しい沢山のチューリップを見に来ていただきたいと添えられました。

                           この度会場となりました「佐倉ふるさと広場」のご紹介(ネットより)

                                   印旛沼のほとりに広がる公園。
       内部見学ができるオランダ風車「リーフデ」を中心に、オランダ庭園やシェアガーデン、休憩所・売店を備えたオランダ風建物の「佐蘭花[さらんか]」などからなる。
                   四季折々の花が咲く園内には春になると色とりどりのチューリップが咲き誇り、オランダを思わせる風景が広がる。
                               毎年4月には「佐倉チューリップフェスタ」も開催。
                           シェアガーデンでは市民などによる個性豊かなプチ花壇が楽しめる。
           周辺にはサイクリングロードが整備され、7月開催の「風車のひまわりガーデン」や10月開催の「佐倉コスモスフェスタ」では観光船の運航も。        

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ちば文化資産 千葉県香取市佐原「伊能忠敬旧宅」(千葉テレビ放映より)

2024年04月05日 06時00分00秒 | 千葉の事

ちば文化資産 千葉県香取市佐原 國指定史跡「伊能忠敬旧宅」のご紹介

伊能忠敬が佐原で30年余りを過ごした母屋と店舗がそのまま残されている。
 母屋は寛政5年(1793)忠敬自身が設計したものといわれている。
 忠敬翁は17歳で伊能家の養子となり、醸酒業ならびに米穀薪炭販売に精励すると共に、村政の中心として活躍した
50歳で隠居をして、天文学や地理学を学び、大日本沿海輿地図を完成させたことで広く知られている
千葉県香取市佐原が生んだ世界に誇る科学的地図を作成した偉人である。(HPより)


 伊能忠敬旧宅(寛政5年(1793)建築・国指定史跡)のほか県指定文化財も8件(13棟)が小野川沿いや香取街道沿いに軒をつらねています。

説明をされる伊能忠敬記念館 平野 功館長



江戸に出るまでこの家で商売をしながら生活していました

伊能家の子孫が代々受け継いできた伊能忠敬地図や測量器具は1957年昭和32年)2月19日に重要文化財に指定され、
1961年昭和36年)以降数度にわたって佐原市に寄贈された。
佐原市はこれを受けて伊能忠敬旧宅に隣接して収蔵庫を建設して伊能忠敬記念館と名付け、1961年昭和36年)に開館した

伊能忠敬記念館

忠敬は道具を使い距離などを測り緯度・経度の測量には天体観測を応用していました

国を越えて測量するのは難しい事業ですがそれを援助して下さる幕府の人も居ましたので


佐原時代は豊富な資金を得ることができましたと記されております

 

この度のちば文化資産「伊能忠敬旧宅」の紹介にかつて歴史倶楽部で訪ねました 鹿島神宮・佐原の旅・観福寺(伊能忠敬の墓所)

 2009年06月06日 古いブログを懐かしく振り返ってみました。

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