千葉実年大学校 歴史倶楽部 平成23年2月度定例会
「開催のご案内」 より転載
2月定例会は、今年の “千葉シリーズ” の2回目 茂原市及び周辺の町 を訪ねます。
明治維新後上総の天領は、“安房上総県 (明治元年7月)”となり、その後 “宮谷(みやざく)県”明治2年2月誕生。
明治4年7月の廃藩置県、同11月の版籍奉還により木更津県に統合、明治6年6月木更津県と印旛県が統合され 千葉県 となりました。
今回は、宮谷県「知県事務所」が置かれていた所、大網白里町 “本国寺”、又古事記にあらわれる日本武尊の妃「弟橘媛命」(おとたちばな ひめのみこと)を祀った “橘樹神社” (たちばなじんじゃ)
を訪ねます。
茂原市では “藻原寺” ・ “茂原公園”、 白子町では、 “芥川龍之介の一の宮荘”、皇女和姫の駕籠のある “東漸寺”、九十九里町では “伊能忠敬出生碑” および“高村光太郎詩碑” 巡りをいたします。
白子町では、 “河津桜” で花見をします!
私は残念ながら参加できませんでしたが、会長様から早速に3日間にわたって開催されましたご様子をお伺いすることが出来ました。
ただ残念 河津桜は5分咲き?週末には満開でしょうか。といただきました。
上記のご案内に、この度も多くの会員の皆様が参加されました。
頂きました素晴らしいお をご紹介して記録とさせて頂きます。
2月20日 (日) 一時小 気温 (約10℃) 参加者53名
2月21日 (月) 風が吹き体感温度は低い (約10℃) 参加者45名
2月23日 (水) 気温 コート要らず に 参加者36名 計 134名
橘樹神社 ・ 本殿 本国寺 ・ 住職と記念写真
本国寺 ・ 日蓮の手紙 本国寺にて
この度の企画にご尽力いただきました元役員のAさまを初め、役員の皆様、大変お疲れ様でございました。
会長様にお心遣いをいただき、楽しさのお裾分けをいただくことができましたことに感謝申し上げております。
平成23年2月 靖国神社社頭に掲示された遺書
三重県出身 陸軍少尉 前田 健三 様 (32歳)
昭和19年2月24日 中部太平洋方面にて戦死 合掌
ご両親様、奥様、お子さま方への 「遺書」 をご紹介させていただきます。
御両親様へ
只、一人ノ幸子ヲ北満迄寄コシテ下サッタ事ヲ、常ニ感謝シテヰマス。
少シノ孝養ヲ尽ス事ナク、カヘッテ御心配バカリオカケシテ、申訳有リマセン。
若クシテ夫ニ離レタ幸子。幼クシテ父ト別レタ富美子及来春生レテクル子ノ好キ父母トナリ、
祖父母トナッテ、軍人ノ妻トシテ遺児トシテ、立派ナ日本人ニ育テラレル様、御願申上ゲマス。
私ハ今何ノ心配モナク、笑ッテ散リマス。
幸子ヘ (奥様)
(前 略)
子ノ事ヲ思ヒ修養シ婦徳ヲ収メラレヨ。
次ハ、靖國ノ社頭デ会ハウ。
(お子さま方の名前を書かれて)
父ヲ知ラナイ諸子ハ、可愛想デアルガ、身体ヲ鍛ヘテヨク勉強シ、母ノ言フ事ヲ守ッテ立派ナ日本人ニナレ。
(中 略)
父ハイツモ諸子ノ幸福ヲ祈ッテヰル。
以上、遺書の一部を転載させていただきました。
お父様を知らないお子さま方への切なる願いに、自分自身を重ねて父からの軍事郵便に涙をし、悲しみを共にさせていただきました。
以前、九段短歌に載せていただきました歌ですが、私たちの悲しみは永遠です。
戦争の悲しみ深しわれら今語り継ぎゆくも父は還らず
今号にも全国から鎮魂の歌が寄せられておりますのでご紹介させていただきます。
ご一読頂ければ幸に存じます。
洋上にて祖父の慰霊をなせしとふ海自の甥の便りが届く 富士吉田市 遺族
大勢の家族を支へし母の背に強さをもらひて我は生きなむ 長浜市 遺児
戦死した南洋群島行きたくも遂に夢には果たせぬままに さいたま市 妻
親子三人の写真納めし胸ポケットを押へたしかめき征く朝の亡夫 横手市 妻
何事もなきがに海は碧く澄む父の眠れるソロモン海は 富士吉田市 遺児
墓守る弟も逝き受け継いだ私もすでに八十路越したり 豊川市 遺児
征きしのち生まれたる吾子は六十五四人の孫の祖母となりたり 諫早市 遺児
戦死せし面影老いず吾のみが八十路越え来し秋は淋しも 和歌山県 妻
声合せラバウルの唄に父偲ぶ湯けむりの宿に集ふひととき 名古屋市 遺児
還らざる兄百歳を迎へども遺影は若く時は過ぎゆく 京都市 遺族
「国の為に生命を捧げたんだから」母が遺した一つの言葉 東松山市 遺児
レイテ湾の海の温さに手を浸すこの底いづこに父眠ります 千葉市 私
今号は、妻のお立場のお歌を拝読出来ましたこと、お元気なお姿に嬉しく存じました。ご健勝を心からお祈り申し上げました。
この度の「港区の旅」において各見学地毎の集合写真を頂きましたので、資料と共に見学先の一部をご紹介させていただきます。
1.「大倉集古館」(おおくら しゅうこかん) 〈ホテルオークラ内〉
大倉喜八郎 (1837~1928) が大正6年 (1917) に創立した日本で最初の私立美術館。
明治から大正にかけて大きな財をなした実業家大倉喜八郎が、長年にわたって収集した古美術 ・ 展籍類を収蔵・ 展示する為、大正6年 (1917) に財団法人大倉集古館として
大倉邸の敷地の一角に開館したもので、日本最初の私立美術館です。
開館からまもない大正12年 (1923) 関東大震災によって当時の展示館と一部の展示品を失い、一時休館を余儀なくされた。
昭和2年 (1928) 、建築家伊東忠太の設計による耐震耐火の中国風の展示館が完成し、翌年開館した。
喜八郎の長男 ・ 大倉喜七郎も近代日本画などの収集品を館に寄贈している。
国宝 : 3点。重要文化財 : 13点。重要美術品 : 44点
大倉集古館にて (滝井様より)
2.「金刀比羅宮」 (ことひらぐう)
2004年11月にリニューアルされた境内は開放感にあふれ、気軽に参拝できる。
創建は万治3年 (1660) 。
本殿前の銅鳥居には、左右の柱の上部に方位をつかさどる 「四神像 (しじんぞう)」 が取り付けられ、左に青龍と玄武(カメ)右には朱と白虎の四つの立体像が飾られている。
脇にはお百度参りに使用された 「百度石」 があり、銅鳥居とともに港区指定登録文化財。
金刀比羅宮にて (高橋様より)
3.「泉岳寺」 (せんがくじ)
泉岳寺は曹洞宗の寺院です。
曹洞宗のご本山は二つあり、一つは道元禅師が開かれた福井県の永平寺、もう一つは横浜鶴見区の総持寺です。
慶長17年 (1612) に徳川家康が外桜田 (現在の赤坂見付ホテルオークラの近く)に門庵宗関(もんなんそうかん) 和尚 (今川義元の孫) を招いて創建。
寛永18年 (1641) 寛永の大火で焼失したが、徳川家光の命で、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷・今川の5大名により、現在の高輪の地で再建された。
浅野家と泉岳寺の付き合いは、この時以来のものです。
元禄赤穂事件で有名な浅野長矩と赤穂浪士が葬られていることで知られ、現在も多くの参拝客が訪れる。
境内には、赤穂浪士ゆかりの品を所蔵している 「赤穂浪士記念館」 がある。
泉岳寺にて (辻様より)
4.愛宕山 ・ 愛宕神社
5.NHK放送博物館 他。