初めての展覧会出品でしたが夏休みの嬉しい思い出になりました 作品は5点出品に「元気」が展示されました
賞 白扇書道会 と刻まれました筆を頂きました
ちなみに私は残念ながら入選のみに展示はしていただきましたが賞状も賞品もなく、孫から「おばあちゃんも頑張ったのに残念ね!」と励まされました。
初めての展覧会出品でしたが夏休みの嬉しい思い出になりました 作品は5点出品に「元気」が展示されました
賞 白扇書道会 と刻まれました筆を頂きました
ちなみに私は残念ながら入選のみに展示はしていただきましたが賞状も賞品もなく、孫から「おばあちゃんも頑張ったのに残念ね!」と励まされました。
平成29年8月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌 休載11ヶ月となりました
平成29年は終戦から72年目を迎えました。
日本遺族会では厚生労働省から補助を受けて実施しております「戦没者遺児による慰霊友好親善事業」の参加者を募集しております。
亡き父の終焉の地を巡り慰霊追悼をを行うとともに、現地住民との友好親善をはかることを目的としております。
遺児と言え、80歳前後の高齢者となりました。
まだ参加されていらっしゃいませんお方は是非、お元気なうちに参加をされますことを希望いたします。
千葉県のお方の問い合わせ先
千葉県遺族会事務局
(〒)260-0045
千葉市中央区弁天3-16-1
(電話)043-251-3358
今年も8月15日前後には戦争の特集が放映されました。
池上彰さんの「戦争を考える”特攻”」は録画して特に何回も涙を流しながら拝見させて頂きました。
今更ながら大切な命をなぜ捧げなくてはならなかったのでしょうか。
生き残り元兵士は特攻の生みの親の元上官大西瀧治郎氏に「敗戦に割腹するくらいなら自ら乗ってほしかった」と。
特攻隊員は全員志願兵?とんでもない命令の他、何もなし。
戦争は大きな間違いでした。
何年経ても元兵士の苦しみ、遺族の悲しみは癒えません。
本当に本当に残念です。合掌
終戦から72年を迎えた8月15日、およそ310万人の戦没者を慰霊する政府主催の全国戦没者追悼式が東京の日本武道館で行われました。
式典には全国から遺族の代表など、およそ6400人が参列しました。(NHKニュースより)
式典会場 日本武道館 天皇・皇后両殿下をお迎えした式典斎場
案内状に同封されておりました式次第 内閣総理大臣名の案内状 千葉県代表章
遺族関係者・来賓等約6400名が参列 オーケストラによる「君が代」斉唱
正午の時報にあわせ、天皇・皇后両陛下と共に1分間の黙とうを捧げました。 合掌
続いて天皇陛下が「過去を顧み、深い反省とともに戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、
世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」とおことばを述べられました。
天皇陛下のお言葉を拝聴させて頂きました
終戦から72年を迎えて遺族の高齢化が進み、参列した遺族の78%は70歳以上となり、戦没者の妻もこれまでで最も少なく6人となりました。
最年長の参列者で、東京・練馬区に住む101歳の芹ヶ野春海さんは、昭和20年6月に沖縄本島で、結婚してまもない夫の博さん(当時31)を亡くしました。
芹ヶ野さんは「夫は1度も怒ったことがない優しい人でした。当時のことはあまり思い出せないが、戦争は嫌なものです」と話していました。
また、去年に続き、ことしもすべての都道府県から18歳未満の若い世代、合わせて123人が式典に参列しています。
参列者で最年少となる6歳の宮崎市に住む田邉彩乃さんは、沖縄戦で曽祖父の田邉章さんを亡くしました。
彩乃さんは両親と共に曽祖父の遺影を胸に抱いて式典に参列し、「ひいおじいちゃんに会いたかったです」と話していました。
都道府県から18歳未満の若い世代代表者献花 各県遺族代表者献花
千葉日報 8月16日の記事より転載 千葉県参列者の皆様(NHKのニュースより
)
千葉県参列者207人、内千葉市参列者14名の中に未歩ちゃん9歳と付添いの二女と共に参列させて頂きました。
千葉市参列者の責任者として全員無事を会長に報告することができました事にホットいたしました8月15日でした。
ご案内状の「書」の文字は右側の初代会長扇舟先生署名の「書く」の「書」からと伺いました
先生方の作品展会場
第34回日中友好「北京市書法作品」展示会場
扇舟賞に輝きましたお二方先生の素晴らしい作品に感激いたしましたのでご紹介させて頂きます
「全国学生書道展」の部に於いて、孫 未歩が初めて出品。大賞・準大賞に続く「日中友好条約締結記念賞」を頂きました。
日中友好条約締結記念賞 先生からの ババの友人からの 素敵な「しおり」の説明
8月17日(木)は書道教室を展示会場の千葉県立美術館に移動して、出品作品をはじめ、雅印、先生方の参考作品などを鑑賞して先生のご指導を頂きました。
孫も出品者の一人として参加をさせて頂きましたところ先生が先ず、孫の作品をお仲間の皆様に紹介して頂き沢山の を頂きました。
又、先生からは筆の を頂きました事に幸せなお勉強会になりました。
孫は、月例作品の硬筆・毛筆の写真版に続いての受賞に夏休みの素晴らしい思い出になりました事と思っております。
参考作品 私の作品 作品鑑賞中の私
千葉県護国神社の隣に建つ忠霊塔 千葉県森田知事の拝礼
黙祷 参列の熊谷千葉市長↑会長↑護国神社宮司↑ 黙祷 千葉市遺族会代表参列者の皆様
千葉県森田知事献花 千葉県遺族会丁子(ようろご)源三郎会長献花
拝礼式終了後の千葉県森田知事のお言葉
拝礼式終了後の千葉県遺族会丁子(ようろご)源三郎会長のお言葉
平和祈念式典 平成29年8月9日(水)午前10時35分開始 気温
会 場 長崎市平和公園
原爆の犠牲になられました長崎市民の多くの御霊に哀悼の誠を捧げます。 合掌
長崎市広報より
長崎に原爆が投下された72年前の8月9日、アメリカが長崎に投下した原子爆弾は、およそ7万4,000人の命を奪った。
長崎市の平和公園で開かれることしの平和祈念式典には、安倍総理大臣のほか海外の58の国や地域の代表が参列して午前10時35分から始まります。
8月9日は、朝早くから会場を訪れ、静かに手をあわせる人の姿もあった。
式典では、この1年間に亡くなったり、死亡が確認された、3,551人分の被爆者の名簿が奉安され、原爆による死没者は、合わせて17万5743人になる。
原爆が投下された午前11時2分に、犠牲者に黙とうをささげる。
そして、長崎市の田上富久市長が平和宣言を読み上げ、2017年、国連で採択された核兵器禁止条約に参加するよう、日本政府に呼びかける。
そのうえで、核兵器を持ち続ける限り脅威はなくならないとして、条約に反対する核保有国や日本を含む「核の傘」の下にある国々に対し、核兵器に依存する安全保障の在り方を見直すよう求めることにしています。
「長崎を最後の被爆地に」と訴えてきた被爆者の平均年齢が81歳を超える中、その切実な願いを受け継ぎ、核兵器のない世界をどう実現していくのかを考える一日となります。
長崎平和祈念式典会場 原爆投下の午前11時2分「平和の鐘」に合わせて黙祷を捧げました
立派に司会を務めました高校生のお二人 被爆者47名の合唱団「ひまわり」の皆様の歌声から開始
被爆者歌う会「ひまわり」合唱団の最高齢者は田川照子様(92歳)20歳で被爆されたお元気なお姿を拝見いたしました
新たに3,551人分の被爆者の名簿が奉安されました 市民代表者による献水
長崎市 田上市長の「平和宣言」 原爆投下の時間 ↑
田上市長の「平和宣言」のおことば
支えられて壇上に向かう被爆者代表深堀好敏様 16歳の時に被爆されましたと語り始めました
平成29年(2017年)8月6日(日)は広島平和記念式典が執り行われます。
2008年12月22日に綴りました テレビが伝えた ヒロシマの悲劇 の記事を思い出し、改めて過去の悲劇に哀悼の誠を捧げております。
原爆投下の瞬間
筑紫哲也さん×昭和史特別アンコール第 2 夜
ヒロシマ・・・あの時、原爆投下は止められた・・・いま、明らかになる悲劇の真実
1級 → 特級に昇級しました 優級 → 優級上に昇級しました
おかげさまで初めて毛筆・硬筆の両作品が写真版掲載を頂くことが出来ました。
1年生からお稽古をはじめ1年生は3回、2年生は5回、3年生になってからはなんとか10回程の提出でした。
4年生になりましてからはとても元気に毎月提出できるようになりました。
先月号は、両作品とも写真版の方の次に名前があり「残念!」と言えます程に関心を持つようになりました。
有り難いことにこの度で「硬筆が3回目」、「毛筆が2回目」の写真版掲載を頂きました。
先ほどスマホに作品を送信しましたら「ヤッタ~これからもがんばりま~す。」と喜びのスタンプの返信がありました。
ババ馬鹿ですが、なんとか続けて作品を書いて欲しい!と願い記念におさめました。
ご覧頂きまして有り難うございました。