日 時 平成20年12月21日 (日) 14:00~17:00 於 レッスン場
「2008 後期おさらい会」 参加者の皆様
澤田先生ご夫妻のご指導のもとに楽しくレッスンに励んでおります私達は前期、後期の年2回のおさらい会に先生のご指導を頂きながら会員の皆様との懇親を深めております。
女性会員はご主人様先生に、男性会員は奥様先生にリードをしていただき、日頃の成果を楽しく、真剣に披露致しました。
披露する前に 「おさらい会」 に寄せたコメントが先生から紹介されますが、殆どの皆様が「健康で楽しくダンスが継続できますようにご指導をお願い致します」 と
添えられておりました。
一組ずつの発表にとても緊張致しましたが、観客席からはお一人お一人に惜しみない大きな と声援が贈られ、楽しい「おさらい会」 となりました。
終了後は先程までの緊張感から解放され美味しい を頂きながら楽しい忘年会となりました。
未熟な ですが、お許しをいただけそうなお方のご紹介をさせていただきます。
正装で披露された松本様と奥様先生 素敵な先輩ご夫妻 先生と披露されたT様
原爆投下の瞬間
筑紫哲也さん×昭和史特別アンコール第 2 夜
ヒロシマ・・・あの時、原爆投下は止められた・・・いま、明らかになる悲劇の真実
証言で再現する命の物語。「私は謝らない」と原爆を投下した原爆科学者と被爆者60年めの対話。
以上は新聞のテレビ番組に綴られていた文言です。
筑紫哲也さんがご存命の時に放送され「私は謝らない」の言葉に被爆された皆様はどんな思いだったでしょうと涙無くしては見ることが出来ませんでした。
この度、再放送にあたり「ヒロシマの真実」を遺しておきたくテレビに を向けました。
原爆が投下された映像を撮影された原爆科学者
「私は謝らない彼が謝るべきだ」は誰?原爆投下の映像を撮影した原爆科学者と被爆者60年めの対話
筑紫哲也さま貴重な報道番組を有り難うございました。どうぞ安らかにお眠り下さいませ。 合掌
戦後生まれの人口が多くなりました現在ですが、過去に起こった悲惨な戦争の事実は事実として後世に伝えてゆかねばならないと考えます。
畑小学校出身のお仲間 (卒業生36名中) ご馳走を囲んで
日 時 平成20年12月17日 (水)
一次会 18:00 ~ 19:00
二次会 17:00 ~ 24:00
あっとランダム
参加者 49名(検見川小・畑小・花園中卒業同級生 約200名中)
「一年の輪がめぐり、4つの季節が循環して、またもや訪れてきた12月の末とその自然。・・・」自然を愛した詩人、尾崎喜八の『年輪の含蓄』の一節より。
12月も半ばを迎え、何かと気持ちが落ち着かない今日この頃ですが、幸いにも12月の書道作品提出〆切が早まり、13日に提出完了。
短歌の詠草のとりまとめも無事に終了しました折りの同窓会でしたので、ユックリ楽しむことが出来ました。
しかし、残念な事はこの一年間に5名の同級生がお亡くなりになられたことでした。
会の初めに5名の友人に黙とうを捧げご冥福をお祈り申し上げました。 合掌
今年も残り少なくなりました。いつもお訪ねいただいております皆様のご健勝をお祈り申し上げております。
2008年 「今年の漢字」 決定 !
2008年の世相を表す「今年の漢字」に「変」が選ばれ、京都市東山区の清水寺で12月12日
森 清範 ( せいはん ) 貫主が縦1・5メートル、横1・3メートルの特大和紙に 揮毫した。
日本漢字能力検定協会(京都市)が公募。
1995年に始めて以来、最多の11万1208票の応募があった。
トップの 「変」 は6031票。首相の交代や米大統領選で「変革」を掲げたバラク・オバマ氏の
勝利など、政治の変化、世界的な金融情勢の変動などの理由を挙げる声が多かったという。
2位以降には「金」「落」「食」が続いた。
森貫主は 「社会が変化した1 年だった。来年をよい年にするには、一人ひとりが変わっていくことが大切」 と話しました。
12月 7 日 (日) 21:23 未歩ママからの
「題」 未歩たんの3歩
初めての3歩に感激しました。
3歩しては座り、又3歩を繰り返し 「お上手、お上手」 すると、満面の笑みで をして喜んでいます。
12月 8 日 (月) 19:47 未歩ママからの
「題」 初めての6歩
先生から「今日は6歩歩きましたよ」と嬉しいお話を頂きました。
お便り帳にも書いてくださってありました。
12月 9 日(火) 21:23 未歩ママからの
「題」 6歩の練習
保育所から帰っても尻餅をつきながら何度も何度も6歩の練習をしていました。
それから 楽しみにしています。 (未歩より)
毎日大不況のニュース、そして心から大きなを贈らせて頂いておりますノーベル賞授賞者の近況などの報道に一喜一憂しております。
しかし、67年前の12月8日 はどんな日だったのでしょうか。
戦後生まれの人口が多くなり遙か遠い事と風化の途に在る現在「難しい事実は解りません」事を前置きにして、誤った国策、戦争責任者は誰!に
戦争犠牲者の一人として真実を記憶し、伝え継ぐ者として に学びました。
一話目は
平成20年12月7日(日)「最後の戦犯」
「戦争犯罪」に問われた若者の心の葛藤を自ら綴った膨大な手記をもとにドラマ化したものでした。
「人を斬ったときの感じは忘れられない」 と苦しみ自分の命よりも 「命の重み」 に罪と向かい合い、自らの覚悟、決断に感動致しました。
二話目は
平成20年12月8日(月)
「3月10日 ・ 東京大空襲 語られなかった 33枚 の真実」
地獄の写真を撮り続けた男 ・・・ 石川光陽氏 の写真をもとにドラマ化されたものでした。
今回は2回目の放映でしたが、前回、筑紫哲也さんがご存命の 3月に放映され、とても辛く悲しい衝撃を覚え 2008年3月10日のブログに記録しました。
「東京都慰霊堂」の存在を知る人も少なくなり又、空襲に焼かれた人々の脂が言問橋に「黒じみ」として遺されておりますことなどを切々と語られた筑紫さんの
生前のお言葉に当時を偲びました。
放映を見て詠んだ歌です。
六十三年甕に隠して守られしフィルムは三月十日を証す
東京の惨状写す三十三枚一枚一枚問いかけ巡る
背負ひゐし黒こげの赤子はかたはらに落ちゐて母の背のみの白く
空襲に焼かれし人らの脂にて言問橋に黒じみ残る
慰霊堂に空襲伝ふる写真展予想を超ゆる惨状ばかり
三月十日の映像いく度もくり返す焼夷弾の雨と焼け跡の叫び
B29のワッペン帽子に付けて元操縦士ら言ふ「戦争だったから」
千葉実年大学校 歴史倶楽部 平成20年 12月度定例会
12月3日(水)は “千葉県木更津市” を訪ねます。
千葉 ・ 木更津と言えば 證誠寺の童謡 “狸ばやし” で有名ですが、證誠寺の住職から講話と “狸ばやし” の由来等を聞きます。
また、成就寺 で住職から講話を聞き「波の伊八」の彫刻 “狛犬” (こまいぬ)源氏物語屏風一対を見学します。
木更津には古墳が多くあります。
「金鈴塚古墳 (およそ 6 世紀後半)」からおびただしい副葬品が出土され、その中に“5 個 の純金の鈴” が出てきました。
昼食は、母子二人の 創作ランチ です。下見で美味しく満腹なりと!
上記のご案内に大勢の会員が参加を致しました。
1.開 催 日 : 12月 3 日(水)
2.集合場所 :JR木更津駅改札口 9時30分
3.参加人数 : 69名
4.木更津市について
その昔、大阪城へ徳川家の水軍徴募に応じた木更津の水夫24名は、遠く淀川口に奮戦して生き返る者数。
やがて徳川家は江戸開幕に際しこの地を徳とし、上総房州の旅人 ・ 物資は専ら木更津より渡海すべきの特権を与えた。
以来「木更津船」は江戸期を通じて威風あたりを払って江戸湾を往復し、港街木更津は繁栄して遊侠の風おのずから漲りその盛名と共に繁盛は房総随一の活気を呈したと言われていたそうです。
5.訪 問 先
(1)木更津市郷土博物館・金のすず
(イ) 太田山公園
木更津市を一望できる小高い丘全体が公園となっていて、桜やつつじの名所でもあります。
その昔、日本武尊(やまとたけるのみこと)がこの丘に立ち、荒海を鎮めるために身を投げた弟橘媛(おとたちばなひめ)を偲んだと言う伝説ゆかりの地である事から 「恋の森」とも呼ばれ
ています。
公園内には、フィールドアスレチックや遊歩道が設けられ、県立上総博物館、金鈴塚遺物保存館、旧安西家住宅もあり、木更津の歴史と文化の拠点となっています。
又、「きみさらずタワー」(日本武尊と弟橘媛のブロンズ像がデザインされた全高28mのタワー) から展望する景色は、晴天時には横浜ベイブリッジや東京湾アクアライン、新宿副都心
などが見渡せるところです。夜間は、ライトアップされます。
「きみさらずタワー」
(ロ) 木更津市郷土博物館(元上総博物館)
平成20年10月1日(水)午後1時オープン!
長年親しまれてきた千葉県立上総博物館は、木更津市に移譲され、装いも新たに「木更津市郷土博物館金のすず」としてオープン。
新しい博物館は金鈴塚古墳から発掘された、数々の貴重な出土品をはじめ、木更津の歴史や文化を展示しています。
入 場 券
(ハ)金鈴塚遺物
出土した金鈴は5個。
直径1cm、重さ1.25gほどの小さな鈴で,純度の高い金で上部と下部を別々に作り、ロウ付けして合わせる手の込んだ造りをしている。
中には小石が入っていて、出土した時、すずやかな音色で鳴ったという。出土状況から、太刀飾りか腰帯の装飾と考えられている。
なかでも 5個の純金の鈴 は、国内でも唯一の貴重な出土例であることから、ここに「金鈴塚」の名がついたのです。
金鈴は、国の重要文化財に指定され,市の旧金鈴塚遺物保存館(昭和31年~平成20年)で保存・展示していた。
平成20年10月からは、旧県立上総博物館と統合した新郷土博物館「金のすず」で公開されています。
5個の純金の鈴
(ニ)旧安西家住宅
太田山公園に昔懐かしい茅葺の民家が建っています。江戸時代中期の建築とされる市内草藪・安西家の住宅で、ここに移築復元したものです。
安西家は旧草藪村で代々組頭を勤めた農家で、上総地方最大級の民家の一つです。
建築当時は居住部分と土間が別棟となった分棟型の民家でしたが、江戸時代末期に現在の直家型に改築されているそうです。
(2)昼 食 (割烹・田園) 母子二人の創作ランチです
大通りからちょっと路地を入った静かな佇まいのお店でしたが、美味しい和食を心ゆくまで楽しむことが出来ました。 又、お訪ねした ~ い 多くの皆さんの感想でした。
(3)證 誠 寺(しょうじょうじ)
住職さんの話術に魅了されながら、心の安らぎを覚え、また、有名な「狸ばやし」の童謡のお話などについて講話を頂きました。
證誠寺(しょうじょうじ)は木更津駅西口の市街地に位置し、樹木が生い茂った趣深い寺です。かつては寺子屋として名高く、境内には、市内文人の筆を納めた筆塚があります。
しかし、何と言っても證誠寺といえば「狸ばやし」でしょう。
月夜の晩に和尚さんとおはやしの競争をして、3日でついに腹の皮が破れて死んでしまった大狸のおかしくも哀れな伝説で、群馬県館林市茂林寺の「分福茶釜」、愛媛県松山市の「八百八狸物語」
と並んで「日本三大狸伝説」のひとつとして語りつがれており、大狸を葬ったという 狸塚 があります。
「しょ、しょ、證誠寺、證誠寺の庭は…」 誰もが口ずさんだことのある「證誠寺の狸ばやし」は、大正8年にこの地を訪れた詩人・野口雨情 作詩、中山晋平 作曲 以来愉快な童謡として全国で親し
まれてきました。
昭和31年には境内に童謡碑(雨情・晋平両先生の直筆)が建てられ、現在では毎年10月下旬には地元の小学生が、狸や和尚さんに扮して童謡にあわせて踊る楽しい「狸まつり」が催されている
そうです。
證誠寺住職の講話を伺いました ぶらっ~と訪れた 山下清 画伯の作品
狸 塚 童 謡 碑
(4)成 就 寺
室町時代応永 33 年建立。大菩薩峠に登場する「剣豪・中村一心斎」の供養塔。
初代波の伊八の彫刻「狛犬」 (こまいぬ)。
木更津甚句で全国に木更津の名を広めた芸者「若福(本名 小野キク)」のお墓がある。
小野 キクさんのお墓
(5)八剱八幡神社(やつるぎはちまんじんじゃ)
源頼朝が鎌倉開幕に当たり、神領を寄進して神殿を造営したといわれています。拝殿の天井には、狩野派の技法で風景・花鳥・動物などの装飾画が描かれており、18世紀の作品です。
(6)木更津会館 (見番)
木更津の花柳界は大正から昭和 30 年代にかけて全盛を誇り、最盛期には 200 人もの芸者が在籍していたそうです。
その中心的建物として「木更津会館 (見番)」は当時のまま保存されています。現在では「踊りや小唄」の稽古場所として活用されているそうです。
(7)光 明 寺
光明寺本堂 切られ与三郎の墓
木更津駅前の富士見通り沿いにある日蓮宗の寺。薬医門をくぐると、境内には本堂、七面堂、客殿、鐘楼堂などが立つ。
実話をもとに書かれた歌舞伎の名狂言『与話情浮名横櫛』[よわなさけうきなのよこぐし]で有名な「切られ与三郎の墓」があり、現在でも歌舞伎役者の香華が絶えず、
墓の脇には坂東玉三郎や片岡仁左衛門の卒塔婆も見られました。
(8)選擇寺(せんちゃくじ)
選擇寺本堂 こうもり安の墓
選擇寺の現本堂 は、平成12年 国指定の登録文化財 です。
「与話情浮名横櫛」で、 “切られ与三郎”の相棒だった「こうもり安の墓」があります。
また、上総飯野藩初代保科正貞の兄正重親子、幕末の豪商で文化人でもあった稲次東渓の墓もあります。
文化年間(1804~1818)には、小林一茶が度々当寺を訪れていたと伝えられています。
(9)逆さ狸「きぬ太くん」 木更津駅前にあります
野口雨情の童謡にあるように月夜の晩に和尚さんと狸達が踊り明かしています。
その中で逆立ちまでして楽しげに踊る一匹の狸が「きぬ太くん」です。
『時には逆さになって見てみよう。今まで見えなかったものが見えてくるはずです。
新しい発想で市民一人一人がこの街を見つめ直した時、それぞれの力はささやかであっても、それは大きな力となります。』
ときぬ太くんからのメッセージです。季節によって装いが異なり、クリスマスを間近にした現在は、サンタさんの姿でした。
会長さんを初め、役員の皆様のおかげで郷土・木更津市の歴史を学ぶ機会に恵まれましたことに心から感謝を申し上げております。
昼食は「割烹・田園」での創作ランチを心ゆくまで楽しむことが出来ました。
おかげさまで、万歩計は14,000歩を記録、健康的な有意義な散策が出来ました。
貴重な資料及び会長さんが撮影された素晴らしいお写真を頂き「旅の思い出」が綴れますことも喜びとするところでございます。
未熟なブログですがお読みいただきまして、訂正箇所などご指摘頂けましたら幸いに存じます。
歴史倶楽部の益々のご発展と役員の皆様並びに会員の皆様のご健勝をお祈り申し上げます。
今年一年大変お世話様になりまして誠に有り難うございました。