指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『流転の海』

2010年03月09日 | 映画
日本映画専門チャンネルの森繁特集で初めて見た1990年の斉藤武市監督作品、原作は宮本輝の大河小説。
はっきり言って愚作。
森繁は勿論、シナリオの須川栄三、カメラの岡崎宏三などのベテランが集まってなんていう映画を作ったのだろうか。
金儲け仕事としか思えない。

一番の問題は、主人公の森繁で、彼の役柄ではないのだ。
主人公の松坂は、大阪で戦争で打撃を受けた自動車部品会社を戦後に再興し、50代で初めての子を得るなど、波乱に富んだ人生を送る。だが、森繁久弥の役柄ではない。
彼は、相当に自分勝手で、しかも愛すべき人間なのだが、こういう役は勝新太郎や三国連太郎などがやるべき役で、自意識が先に立つ森繁の役ではない。
少しも可愛くないのだ。
だから、ドラマが全く弾まない。
いくら名優と言っても、そのニンではない役は駄目という典型である。

技術的には、多くのシーンの画面に紗が掛けてあるのが気になった。
紗を掛けるのは、戦前のハリウッドの女優の撮影や松竹のメロドラマでよく使われた手法だが、カメラ、フィルムの性能が向上した今日、紗の中の明るい部分がハレーションを起こし、ひどく不自然になる。
森繁の皺を隠すためだったのかも知れないが、無用の技法と言うしかない。

『シャンハイ・ムーン』

2010年03月08日 | 演劇
今、東京では二つの上海劇が行われている。
渋谷、BUNKAMURAの『上海バンス・キング』と新宿サザン・シアターでの『シャンハイ・ムーン』である。『上海バンス・キング』は、見てきた方の話だと、「まるで同窓会みたいで、懐かしく、また祝祭的なもの」だったらしい。今更という気もするが、左翼音楽メロドラマとしては、大傑作なので、いいでしょう。

さて、井上ひさしが小説家魯迅を主人公とした『シャンハイ・ムーン』も、1990年以来の再演である。
上海市には、私も5回行ったことがあるが、他の都市と異なり、独自の文化を持った場所で、戦前から多くの日本人が行っていた。簡単に言えば、外国人が作った国際都市なのだ。
昭和9年の夏、上海内山書店に、中国国民党の迫害を逃れ、魯迅が避難してくる。
内山完造が経営する書店は、現地の中国人と日本人の交流の拠点でもあった。
そこに、医者の須藤、歯医者の奥田らが来て、魯迅を診察する。
魯迅は、長い逃亡生活や家族関係から、心身がひどく蝕まれている。
彼の心身をどのように治癒して行くか、と言うのがこの劇の構造であり、当時の井上ひさしの特徴の一つである。
そのため、各人の説明が長く、冗漫になっている部分があり、「まだ、この頃は井上も、劇作が完璧ではなかったのだな」と思う。

上海では、日本軍の中国侵略に伴い、日・中間の対立が高まっていた。
その中で、在上海日本人居留民団は、中国人と仲の良い須藤、奥田らを、「中国のスパイだ」として、暴行したり、診察所に投石したりしていた。
だが、彼らは中国人と親善を深めることを止めない。

最後、須藤らは、魯迅に日本の鎌倉に亡命することを薦め、一旦は魯迅もその気になる。
だが、やはり上海に留まって作家活動することを決意し、主に心の問題だった病からも解放される。

魯迅役は、初演では高橋長英だったそうで、今回の村井国夫は、柄から見て少々立派過ぎるが、さすがにこなしている。この人は、本当に何でも出来る役者である。

この劇を見て、改めて思ったのは、日本人のアジア人への排外主義の根強さである。
そして、現在の外国人の地方参政権の問題への、「2チャン右翼」の反対等を見るとき、その性向は、さして変わっていないのではないか、と思った次第である。

そして、月曜日に見た岡田利喜とチェルフッチュの退屈劇が、何もこちらにくれないのに対し、きちんと何かを与えてくれる、井上の劇のようなものの方が、本当の芝居だと確信した一夜だった。
よく、「感動をくれて有難う」と言う、バカな表現がある。
だが、何も見るものに与えてくれない岡田や平田オリザの劇など、「ぼったくりバー」みたいなものである。

言いようがない 演劇ジャーナリスト徳永京子の評について

2010年03月06日 | 演劇
朝日新聞の昨日の夕刊で、徳永京子という演劇ジャーナリストなる人が、岡田利規の『わたしたちは無傷な別人であるのか?』を大変高く評価している。
「へえー世の中には、いろんな人もいるものだね」と思う。

そして、思い出したのは、アンデルセンの『裸の王様』である。
ある国に二人の詐欺師が来て、「これは新しい服だ」と言って王様を裸にし、
「見えない服ですよ」と王様と宮廷の人間たち全員を騙して金を取る。
そして、王様が自慢げに外に出たとき、
子どもが「王様は裸だ!」と叫び、詐欺がばれてしまう。

勿論、詐欺師が岡田利規であり、騙されている王様は、徳永らである。
徳永は、「質の高い茶事に招かれたような体験」と評しているが、岡田の劇のどこに精神世界が存在しだろうか。
ひどく感性が鈍いな私には、何も感じられなかった。

一体、いつから演劇ジャーリストとか、演劇ライターとか、映画レポーターとか、おかしな名称を使う人間が生まれたのだろうか。
こういう人は、大変失礼だが、最初からものを書くことの心構え、責任を放棄しているとしか言わざるを得ない。
ものを書き、公に発表することは、おおげさに言えば、書いた自分に対し、批評した対象から弾丸が飛んでくることを覚悟することである。
ライターとかレポーターと称することは、最初からそれを放棄し、「私は批評家や評論家ではないので、反論しないでください」という逃げ口上を作っている。
そんな人の書くことを信じられるだろうか。
まるで、ワイドショーに出てくる、芸能レポーターやコメンテーターと同様の、ただの業界の太鼓持ちに過ぎないのである。

主役は時計だった 『わたしたちは無傷な別人であるのか?』

2010年03月03日 | 演劇
バンクーバー・オリンピックの閉会式が行われた月曜日の夜、横浜美術館で岡田利規とチェルフィッチュの『わたしたちは無傷な別人であるのか?』が行われた。

実にひどいものだったが、外人まで多数来ているのは、一体どういうこなのだろうか。
話は、幸せに見える中年男についての叙述と、沢田さんの家に行くみずきチャンについての、ある土曜日についての経緯である。
そして、ドラマは何も起こらず、「明日は2009年8月30日の衆議院議員選挙だった」と言うもの。

一体どこが面白いと言うのだろうか。
勿論、岡田はこうした批判を百も承知でやっている。
それより、われわれの演技の新しさ、革命性を見てくれと言いたいのだろう。
役者たちは、稚拙な台詞に全く合わせず、台詞と関係のない動作をする。
これは、演劇の基本である、台詞と動きの同調の基本を破壊するものだろう。
だが、こうした表現方法の破壊は、20世紀ではダダイズム以来行われて来たものだが、今や誰もやらないものである。
当然で、いくら表現様式を破壊したところで、内容は変わらないからだ。
無調性とミニマル・ミュージックに近似している点で、岡田の劇は、1980年代のバブル演劇の象徴だった如月小春にとてもよく似ている。
中身のなさ、マスコミへの売れ具合も同じである。

そして、この退屈極まりない劇を救っていたのは、舞台中央に下げられた時計だった。
それは、実際の時間で、「ああこの愚劣劇も、あと30分で終わる、あと15分、もう5分」と時間の進行に救われたのだから、この日の主役は時計と言うべきである。
これは、すごいアイディアであると岡田君に感心した。

ともかく、この岡田の劇を見ることの苦痛は凄い。
まるで人格修養をした気分で終わった。
まったく面白くないものを2時間近くじっと見ている人格修養である。
この劇を、是非少年院の「キレル」少年たちに見せて欲しいと思う。
彼らは、どういう反応を示すだろうか。

なぜ、チリで商店を襲う等が起きるのか

2010年03月02日 | 事件
先週、チリで大地震が起きた。
勿論、それ自体が悲劇だが、大きな問題はその後商店等を襲う暴動が起きていることだ。
貧富の差があり、社会の安定性がないことが第一の原因だが、それと同時に問題なのは、チリなどの中・南米諸国では、民族、人種毎に商売や経済の分野が決まっていることだそうだ。

中・南米では、電機機械販売はドイツ人、肉食業はポーランド人、金融はユダヤ人、自動車販売はアラブ人やインド人、八百屋等の小売商は中国人や韓国人、そして官僚や軍人はスペイン系というように、人種、民族ごとに分野が決まっていることが多いそうだ。
だから、こうした非常時になると、そこに人種的反感や偏見が基になり、暴動に発展してしまうことがあるのだそうだ。

中・南米で、そうした人種的境界がないのが、ブラジルであり、その意味では一番商売がしやすいのが、ブラジルなのだそうだ。
以前、ブラジル・ポルトガル語を勉強していたとき、中・南米で長い間仕事をされていた方から聞いた話である。
地震の被害から早く回復されることを祈念する。

キム・ヨナと浅田真央との差は

2010年03月01日 | その他
バンクーバー・オリンピック女子フィギュアで、金メダルはキム・ヨナ、浅田真央は銀になったが、その差はなんだろうか。
やはり、演技力の差、女性としての成熟度の差異であろう。
われわれから見ても、浅田、そして安藤美姫らは、きわめて幼く見えるのだから、西欧人にはもっと幼く見えるに違いない。
今後は、真央ちゃんには,もっと女性としての色気を表現することを学んで欲しい。
今は亡き、マキノ雅弘先生に、指導して欲しいところだが、今は誰が相応しいだろうか。

ところで、浅田真央の「真央」は、宝塚の太地真央から来ているのだろうか。