指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

有山睦夫先生は

2024年01月09日 | 横浜

高秀秀信市長など、有名な方以外でも、記憶に残る人はいる。

その一人が、34代目の横浜市会副議長の有山睦夫さんである。

社会党で、戸塚区から出ていて、元は重電機メーカーの東洋電機だった。

            

この人は、短足胴長、禿げ親父で、中年太りの典型だったが、女性にはもてて、私は聞いたことはないが、「千人斬り」を自称していたそうだ。

ただ、井上市会事務局長は、「全部玄人、金だろう」と軽蔑していたが。

ともかく酒が好きで、そして宴会で歌を歌うことがもっと好きだった。

なにしろ、喉が閉まるからというので、午後はほとんど水分を取らないのだからすごい。

唄う歌は、八代亜紀のものが多かったと思う。

当時のことで、8トラックカラオケだったので、いつも頭出しに苦労させられたものだ。

8トラックカラオケなど、もう憶えている人も少ないだろうが、カーステレオの8トラックテープを改良したもので、これで30曲くらいが入るようになっていた。

ただ、各曲の頭出しが難しくて、きちんとその曲に当らないことが多かった。

すぐにLPレコードからレーザーディスクカラオケになり、映像も付くので、この時代は長かったようだ。

だが、レーザーデイスクカラオケは、機材も盤も高かったので、次第に配信カラオケに代わった。

その頃だったと思うが、有山先生に連れられて、福富町のクラブに行ったことがある。

そこは、外人女性がいる、そうした店だった。

もちろん、私は払っていず、たぶん有山先生も払っていないと思われ、料金を払ったのは、同行したどこかの局の部長だと思う。

おそらくは、その局に重要な議案があり、それを議会で通すための対応だったと思うのだ。

「社会党が、こんなことで良いのか」と思ったものだが、当時の横浜の日本社会党の議員や幹部には、そうした人もいたのである。

さて、有山先生の「悪口」を書いたが、良いことも書いておく。

それは、横浜市とルーマニアの港湾都市のコンスタンツア市とは姉妹都市だったが、その友好委員会の委員長だったことである。

どのような経緯で委員長になったかは知らないが、誰か地元の人との関係ではないかと思っている。

もう一つ、傑作だったのは、副議長車を、日産からとトヨタ車に代えてしまったことだ。

「日産、イコール民社党だから・・・」と言うのが理由だったが、財政局は総務部長が来て、懇願したが、結局トヨタにしてしまった。

私は、日産車は車高が高く、短足の先生は嫌いだったのではないかと思うのだ。

有山先生も、もう亡くなられている。

 

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1 コメント

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そごう労組のストライキは素晴らしい (広い世界は)
2024-01-09 14:08:40
そごう労組はいい仕事をした。戦わない組合は社員の命を守らない。そごう労組は連合ゼンセン同盟で、日の丸・君が代大好き原発賛成の玉木の国民民主を支持している。旧民社?そんな事はどうでもいいです。組合は政党ではない。社員のために戦う。それだけでいいです。

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