伊勢真一監督が、父伊勢長之助が、戦時中にインドネシアのジャカルタで、日本映画社ジャカルタ支局の中心人物として130本もの宣伝映画を作ったことをたどる作品。
日本ニュースに、「共栄圏だより」としてインドネシアの映像が紹介されることがあるが、それ以上に現地向けの共栄圏協力映画を作っていたとは、初めて知った。
それは、日本にもインドネシアにもなかったが、なんとオランダに保存されていて発見されたのだ。
と言うのは、日映が接収したジャカルタのスタジオは、元はオランダ系のユダヤ人が作ったもので、ナチスに追われてオランダからジャワに来た人だった。
戦後、オランダに持って行かれたものらしいが、詳しい経緯はここでは描かれていない。
伊勢監督は、ジャカルタで老婦人、スタジオにいた人等にインタビューすると、「ロウムシャ」「バカヤロー」等の日本語の記憶が出てきて、複雑な思いになる。
伊勢長之助、伊勢真一と二代に渡る映画関係者は、結構珍しいと思う。
昔、東宝、そして左翼独立プロの大プロデューサーだった伊藤武郎の息子伊藤昌洋の本『映画少年』を読んだことがある。彼には、兄と姉がいたが、プロデューサーだった父の生活があまりにひどいので、二人とも映画界には進まず、普通の会社員になったとのことだ。
その意味では、伊勢真一さんは、余程映画が好きだったのだろうか。
K’Sシネマ