この日は、脚本の鈴木紀子と厚木たか。
『女学生記』は、まさに女学校の生徒たちの日常を描くもので、松竹蒲田的作品。
監督は、戦後『ゴジラ』の脚本を書く村田武雄、トーキーを作らせない松竹を出て、重宗・森・明電舎が作った東京発声での作品。ここは、世田谷にスタジオを持ち、東宝、新東宝、大蔵、そして今はオークランドになっている。
先生は、御橋公で、生徒は沢山出ているが、明らかに分かるのは、高峰秀子と御舟京子の加藤治子のみ。
他は、よく分からず。谷間小百合、矢口陽子、戸川弓子と言った女優だが、戦中、戦後に結婚して女優は辞めたようだ。仙人針の女として山田五十鈴が特別出演。1941年で、まだのんびりしている時代だった。
厚木たかの『わたし達はこんなに働いてゐる』になると、状況は一変する。1945年2月なので、サイパン島が陥落していて、悲痛な叫び、叫びである。すぐに沖縄戦になるわけだ。
海軍の被覆廠での、女子たちの労働を描くもので、実に悲惨である。
「こんなに働いてゐるのに・・・」と言っても、すでに1930年代に車社会になっていた、工業国のアメリカと依然として「歩け、歩け」の徒歩行軍の日本との差である。
「近代戦では、人口が多く、経済的力の強い国が必ず勝つものだ」
そうで、唯一の例外は、ベトナム戦争だと思う。