指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『大菩薩峠・完結編』

2019年11月18日 | 映画
WBSCで、日本が勝ち、時間があったので、録画しておいた1961年の市川雷蔵主演の『大菩薩峠・完結編』を見る。
監督は森一生で、森自身は「三隅研次がやった方が良かった」と言っているが、1、2部との違和感はない。
脚本は、すべて同じ衣笠貞之助だからだ。



実に面白く、次から次へと、筋が展開し、珍しい集団が出てくる。
タイトル前に、1、2部の粗筋が紹介されるなど、昔の映画らしく、見る者へのサービスも良い。

さて、この大河小説の一つの意味は、近藤恵美子が演じる、お玉が唄う「間の山」に象徴される、被差別民の文化、通常の世間の他にある社会の姿だろう。
天誅組や浪人集団もそうだが、見明凡太郎の盗賊、崖から落ちた机龍之介を救う薬売りの女集団など、不思議な連中が出てくる。
「間の山」については、内田吐夢監督、片岡知恵蔵主演の『大菩薩峠』には、この件が結構重く描かれていて、それを入口にした「人権研修ビデオ」もあり、職場で見たが非常に面白かった。

また、いろいろと難に遭う龍之介だが、その度に救う女が現れる。お豊、お銀、そして元のお浜だが、全部中村玉緒が一人で演じる。
小屋の爆破で盲目になった龍之介は、お銀に会ったときにいう、「目には見えないが、その声、その体、よく似た女に会ったことがある」
これは、実は問題が逆だと私は思う。
男女とも、人が惹かれる異性は、ある種同じタイプになっていており、だから似た異性に惹かれるのだと思う。
それは、DNAに書かれているのだと思うのだ。

最後は、甲斐の国に戻った机龍之介の村を大嵐が襲い、彼は子の名を呼びながら、濁流に呑まれて死ぬ。
それを見ていた宇津木文之丞の本郷功次郎も、仇討ちを否定する和尚の言に頷き、その死を見つめて終わり。
市川雷蔵の龍之介は、他の者とも比較し、台詞の持つニヒリズムがすごく、一番だと思う。
時代劇専門チャンネル

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