指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『原節子、号泣す』 末延芳晴 集英社新書

2015年02月24日 | 映画
小津安二郎映画に出た原節子の作品の内、俗に「紀子三部作」と言われる『晩春』『麦秋』『東京物語』のそれぞれのクライマックスで、原節子が号泣していることからアプローチしたユニークな小津映画論である。



他の小津安二郎産業本に比べて、かなり独自の視点で、『晩春』での最後の京都旅行の夜の意味、原節子と笠智衆の「近親相姦的」意味を否定している。
それは蓮實先生やドナルド・リチーから言われたもので、他にも類似した観点での批評がある。
だが私も、小津安二郎のモラルから見て、あの場面にエレクトラ・コンプレックスの意味を付与するのは相当に無理があると思う。
ただ、多くの論者にそう書かせたくなるほど、原節子は一見は慎ましやかに見えて、実は大いに性的なのである。
それを筆者は、「原節子の反社会性」のよるものと書いているが、さらにそれがどこから来ているのかの言及がないのは私には大いに不満である。
反社会性というよりは、むしろ反道徳性というべきで、それは言うまでもなく義兄熊谷久虎との問題に起因していると私は思う。
また、『東京暮色』への言及が少ないことも私には不満だったが、小津安二郎産業本の中では、極めて個性的な本のひとつであることは間違いない。


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3 コメント

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未読です (広い世界は)
2023-12-29 18:56:03
原が隠遁生活に入ったのはある意味で「反社会的」だったからと思います。本人は隠遁と思ってないし、自由に生きたと思います。「東京物語」で原に「私そんなに良い女じゃない」と言わせたのは小津が原を知っていたからだ。
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熊谷との関係は (サシダフミオ)
2023-12-29 21:33:31
小津安二郎は、もちろん、原節子と義兄の熊谷久虎との関係は知っていたと思う。それは、東宝の藤本真澄が、「惚れてたんだけど、あの右翼野郎とできている知って手を引いたんだよ」と晩年に言ったくらいですから。

原が、引退したのは、実兄のカメラマン会田吉夫の家族との関係だつたと私は思うのです。
会田を殺したのは、熊谷の異常な撮影法、御殿場線の真ん中にカメラを置かせたので、疾走してきた列車に会田は撥ねられて死んだのです。
これは、円谷英二に言わせればバカな撮影法で、線路上に鏡を45度で置いておけばよかっただけのことなのだそうです。

1960年代初頭に会田が亡くなって原節子は、引退していますが、たぶん会田の家族にそれまで金銭的補助をしていたのではないかと思うのです。
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そうでしたか (広い世界は)
2023-12-29 23:14:11
原節子を最後までお世話したのは会田氏のご家族だったのでしょうか?原は会田の死を義兄熊谷の責任と知り会田の家族の面倒を見たのですね。
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