指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『なにもいらない 山頭火と放哉』

2012年03月26日 | 演劇
劇団俳小の『なにもいらない 山頭火と放哉』を見る。
大変評価に困る劇である。
種田山頭火は、今ではラーメン・チェーン名にまで有名になった俳人だが、生前はただの乞食俳人だった。
尾崎放哉も同じようなもので、一高・東大だったのに、身を持ち崩し、全国を放浪して生きることになる。
共通するのは酒と自由律俳句、ただし生前は一度も会ったことがないらしい。
山頭火は、結構芝居や映像化されており、渥美清も演じたくて、早坂暁がシナリオを書いたが、渥美の体の不調でクランクインできなかったらしい。全国をテキ屋として放浪する車寅次郎と山頭火は、家を持たないという点では同じかもしれない。

劇団俳小公演の作・演出は、『人は見た目が9割』の著作もある竹内一郎。
前回の彼の劇が「とても面白かった」と聞いたので、期待して池袋のシアター・グリーンに行く。
ここでは、大学4年のとき、大隈講堂がロック・アウトされていたので、三好十郎作の名作『冒した者』をやり、そのとき同学年生の演出家を助けて舞台監督をした。
その後、1980年代には劇団離風霊船の『赤い鳥逃げた』を見たこともある。
30年ぶりくらいに行くと、位置も少し変わっていて、小さなプレハブ小屋程度だったのが、大きなビルになり、三つの劇場がある。

山頭火の斉藤真と放哉の勝山了介が、山頭火が晩年を過ごした松山の「一草庵」で夢の中で交流する幻想的なドラマが第一幕。
そして、終わるとこの二人と松山の女性新聞記者役の旺なつきの三人が頭を下げるので、「あれっ」と思う。
一幕は、これで終了。

この三人は、一幕で終りで、二幕目は、この「一草庵」に、東京から社員旅行に来た、IT企業の若者たちの話である。
ここは、端的に言えば、劇ではなく、竹内先生の山頭火についての新書版の著作のようなものだった。
どこにも生きた人物はいず、生の議論が交差するだけなのである。
何度も叫びたくなった、「どこにもドラマがない!」と。
そして、なにもなくても生きられる、という少しも面白くない結論になってしまう。
中小企業の社長としての斉藤真さんのご苦労がよく分かる芝居だった。
池袋シアター・グリーン

『女王蜂』

2012年03月26日 | 映画
長い間、いろいろな映画を見てきたが、これほど展開がよく分からない映画も珍しい。
市川崑監督、石坂浩二主演の金田一耕助シリーズも4作目で、元旅芸人の三木のり平と草笛光子夫妻をはじめ、田舎駐在警官の伴淳三郎、さらにいつもの加藤武の「あっ、分かった!」のルーティン・ギャグなどは面白いが、全体としての話がよくつかめない。
さらに、高峰三枝子、岸恵子、司葉子と歴代の犯人役が出てくるので、最後まで犯人の目星がつかない。
主人公は、これがデビュー作の中井貴惠で、彼女をめぐる男たちが次々に死ぬので、中井貴惠を「女王蜂」と言うが、彼女は女王蜂というには柄が弱い。
むしろ、堂々たる貫禄の高峰三枝子が、本当の女王蜂のように画面全体を支配している。

なぜ話がよくわからないのかと思い、市川崑の『市川崑の映画たち』を読んでみると、それもそのはず、市川崑自身が、横溝正史の原作がよくわからなかったとのこと。
その上、東宝での次回作『火の鳥』のシナリオの準備で忙しく、相当の部分を協力監督の松林宗惠に撮ってもらったのだそうだ。
だから、部分的には画面やカッティングは面白いところもあるが、全体の通り方がよく分からないのだろう。
1978年と随分と昔の映画で、亡くなられた武内享などの脇役が出ている。

このシリーズで一番良い出来は、やはり二作目の映画『悪魔の手毬唄』だと私は思う。
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