衛星劇場の無声映画探検隊で、去年録画しておいたのを見た。
昭和5年に公開されて大ヒットした傾向映画である。
原作は、プロレタリア文学の藤森成吉の作で、築地小劇場で連日満員になった作品を、なぜか二流の娯楽映画会社の帝国キネマが映画化した。
傾向映画は、それほどまでの大流行だったということだろう。
話は、無学文盲で貧乏な主人公高津慶子の悲惨な人生行路である。
家の貧困から父親が自殺し、叔父の家に行くと曲芸団に売られる。
そこで、愛する男と逃げるが、途中で別れ別れになる。
養育園に入り、運良く筑前琵琶の師匠の女中になるが、例によってお手つきにされそうになるが、それは逃れる。
やっと男と再会するが、貧困から心中すると男は死に、自分だけ生き残ってしまう。
今度は、天使園というキリスト教の施設に入るが、その偽善に気づき、園を放火して逮捕される。
何が、と言うが、勿論資本主義が悪いという結論である。
だが、この昭和初期の日本社会の問題点であったものは、今では教育、福祉、医療、年金制度等の充実で、ほとんどなくなっている。その意味では、日本の社会は、確実に良くなり、進歩しているのである。
貧困、病気、即家庭悲劇という連鎖はなくなっている。
フィルムは、帝キネの火事で失われていたが、1990年代にソ連にあったプリントを復元したもの。元は、満映にあったプリントを戦後、進駐したソ連が没収しモスクワに持っていったようだ。冒頭と最後がなく、そこは字幕で補われている。
筋は、ジェット・コースターもので(ここでは下降ばかりで上昇がないが)、サイレント末期であり、当時は表現派のコントラストの強い映像が流行っていたので、画面は結構力強く、移動、アップ、切り返し等のテクニックも多用していて、なかなか見せる。
特に、主人公高津恵子の無垢な表情が良い。今は、こういうルックスの女優はいない。
皆「私は、それなりの教育を受けているのよ」という顔をしている。
監督の鈴木重吉は、この作品以外は、特にこれというものを残していないようだが、これはこれで大変立派なものである。
昭和5年に公開されて大ヒットした傾向映画である。
原作は、プロレタリア文学の藤森成吉の作で、築地小劇場で連日満員になった作品を、なぜか二流の娯楽映画会社の帝国キネマが映画化した。
傾向映画は、それほどまでの大流行だったということだろう。
話は、無学文盲で貧乏な主人公高津慶子の悲惨な人生行路である。
家の貧困から父親が自殺し、叔父の家に行くと曲芸団に売られる。
そこで、愛する男と逃げるが、途中で別れ別れになる。
養育園に入り、運良く筑前琵琶の師匠の女中になるが、例によってお手つきにされそうになるが、それは逃れる。
やっと男と再会するが、貧困から心中すると男は死に、自分だけ生き残ってしまう。
今度は、天使園というキリスト教の施設に入るが、その偽善に気づき、園を放火して逮捕される。
何が、と言うが、勿論資本主義が悪いという結論である。
だが、この昭和初期の日本社会の問題点であったものは、今では教育、福祉、医療、年金制度等の充実で、ほとんどなくなっている。その意味では、日本の社会は、確実に良くなり、進歩しているのである。
貧困、病気、即家庭悲劇という連鎖はなくなっている。
フィルムは、帝キネの火事で失われていたが、1990年代にソ連にあったプリントを復元したもの。元は、満映にあったプリントを戦後、進駐したソ連が没収しモスクワに持っていったようだ。冒頭と最後がなく、そこは字幕で補われている。
筋は、ジェット・コースターもので(ここでは下降ばかりで上昇がないが)、サイレント末期であり、当時は表現派のコントラストの強い映像が流行っていたので、画面は結構力強く、移動、アップ、切り返し等のテクニックも多用していて、なかなか見せる。
特に、主人公高津恵子の無垢な表情が良い。今は、こういうルックスの女優はいない。
皆「私は、それなりの教育を受けているのよ」という顔をしている。
監督の鈴木重吉は、この作品以外は、特にこれというものを残していないようだが、これはこれで大変立派なものである。