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指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

義兄の告別式で

2023年11月02日 | その他

一昨日は、三番めの姉の夫、つまり義兄が73歳で、脳腫瘍で亡くなったので、海老名での告別式に行った。三番目の姉も、私より7歳上の1941年生まれで、わが家で1948年生まれの私だけが戦後生まれなのだ。私は、早生まれ、姉は遅生まれだったので、学年としては5歳差であり、私が小学校1年で入学したとき、姉は6年生だった。

さて、姉夫婦は、職場結婚であり、義兄は早稲田大学を出て、もともと車好きだったので、いすゞ自動車に入って、そこで二人は知り合ったのだ。

           

義兄は、愛媛の今治市の出身で、家の親戚でも数少ない関西人で、陽気でユーモアのある方で、私は好きだった。

だが、性格はかなり頑固で直情径行的であり、それはサラリーマン社会では、当然にも優等生的に生きられなかったようで、管理職としては本社には残れず、地方のいすゞの販売会社の社長をやっておられた。だが、そんなことは少しも気にしていないように私には見えた。

姉との間には、一人づつの男と女に恵まれ、この二人にはかなり厳しい父親だったようだ。

会社を退職後は、会社の仲間とのゴルフ、姉との海外旅行を楽しんでいたようだ。

退職後のことで、特筆すべきは、早稲田のセミナーで、『平家物語』を長く受講していたことで、

何年も受講されていたので、「面白いのですか」と聞くと

「非常に面白いねえ」と言われていた。

平家物語を好んだことは、やはり関西人としての好みなのか、また変な言い方になるが、「判官びいき」的な心情からだろうか。

僧侶は、わざわざ今治から菩提寺の住職が来られたとのことで、真言宗なので、普通には見られない様々な動作があり、「これが密教なのか」と思わせた。

そして、ここでスライドショーがあり、義兄の生い立ち、家族、子どもたち、退職後の余暇などが投影されて、最後は長男の父への言葉で終わった。

結構、上手くできていたのには感心した。

結婚式で、スライドショーを見たことはあるが、葬式では初めてだった。

また、納棺のとき、顔を見ると非常にきれいだったが、それはエンバーミングを施したからとのこと。

葬祭産業も進歩しているのだなあと思った。

大和の火葬場に行くお棺を見送ったとき、この日参列者の最高齢96歳の義兄に聞いてみた。

義兄は、カメラ・マニアなので、膨大な写真があるはずなのだが・・・・。

「私は、ああいうのはやらなくていいね・・・」と言われた。

彼は、16歳上の長女の夫で、東工大に航空工学で入学したが、ほとんど授業はなく、戦時中は学徒動員で埼玉の農家で部品製造に従事されたそうだ。

戦後は日本の航空機産業が禁止されたので、中学の数学の教師に就かれた方なのだ。

私の長女も91歳であり、ほんとうに超高齢化時代だなあと思った。

 

 

 

 

 


「サイズについて」

2023年11月01日 | その他

今日の朝日新聞の夕刊に、「男性性器のサイズ」についての悩みが出ていた。

少年のみならず、青年たちも「13センチ以下云々」で悩んでいるのだそうだ。

                     

思い出すのは、大島渚が、1976年に本番映画『愛のコリーダ』を準備していたときの話だ。

男女の俳優を多数オーディションしたが、女性はほとんど問題なく、早い時期に松田英子に決まったそうだ。最初に申し出たのは、なんと小山明子だったそうで、これは本当にやる女優がいなかったら、だったそうだ。

だが、男優には、非常に苦労し、多くの男が、

「私のあそこは小さいので・・・」と出演辞退するのが多いのに驚いたそうだ。

「1にジャンアント馬場、2にデイック・ミネ、3,4がなくて5に馬」と言われたものだが。

その俳優を決めるのは本当に大変だったようで、プロデューサーの若松孝二からの推薦で、藤竜也に会うことになった。

大島渚は、ある夜、藤竜也と新宿を呑み廻り、深夜をすぎて、明け方になった。

ついに大島は、おそるおそる聞いたそうだ、

「ところで藤さんは出ていただけるのでしょうか」 藤は答えた、

「出ないのだったら、こんなにずっと付き合っているわけはないでしょう・・・」

思わず大島も、若松に電話して「バンザイ!」を言い合ったそうだ。

 

そして、映画『愛のコリーダ』は、大島渚の晩年では傑作になった。

しかも、これは本質的に女性映画であり、その意味では松竹大船的な作品だったと思う。

撮影所の伝統は、バカにならないものだ。

 

 


小学校の運動会で

2023年10月13日 | その他

外では、小学校の運動会が行われている。

私は、小学校の運動会では、苦い思い出がある。

6年生のとき、運動会のアナウンスの担当に指名された。

半分嬉しかったが、半分は嫌だった。

というのは、担当のA先生は、明らかに問題のある人だったからだ。

親友で、非常に可愛かった田辺史彦君は、「先生の膝の上にのせられて、おチンポコを触られた」というのだ。

                                   

まさにジャニー喜多川なみで、こういう人は実際にどこでもいるのである。

ただ、先生は、普段はとても良い先生で、教え方もうまい人との評判だった。

だから、ジャニー喜多川をすぐれた人として評価することもわかるのだ。

だが、そうした人が、問題の趣向をもっていて、明らかに犯罪なのである。

幸い私は、先生の被害には会わなかったが。

その意味で、今回のジャニー喜多川の問題で、被害にあった方の気持ちはよく分かる。


「パチンコ屋も大変らしい」

2023年10月03日 | その他

シネマベティで『国葬の日』を見た後、日ノ出町に行くと、駅前にあったパチンコ屋がなくなっていた。

                 

前に閉めているときがあったので、どうしたのかと思っていたが、閉店で薬局チェーンに変わっていた。

かつて25兆円産業と言われたパチンコ業界だが、近年は大変のようだ。

パチンコから薬局とは、やはり健康志向なのだろうか。


「おい、どけよ!」

2023年09月14日 | その他

先日、ピケ解除での「カラヤン事件」を書いたが、同じスト解除で相撲部に押し出された事件もあった。

どこのピケット解除だが、忘れたが、やはりある学部のスト解除のとき、大学側が相撲部の連中を動員したことがあった。

学生側は、50人くらいてスクラムを組んでいたそうだ。

そこに相撲部の連中が来て、

「おい、どけよ!」と腕で押した。

すると、学生10人くらいがどどっと倒れたそうだ。

大学とは言え、やはり相撲部で日々鍛えている連中に押される「テッポウ」の威力はすごかっただろうと思うのだ。

                                     

素人と玄人とは、さすがに差があったのだ。


「カラヤン事件」

2023年09月13日 | その他

中野翠の回想は、大学時代を素通りして、仕事を始めた頃に飛んでいる。

大学時代のことは、まだいろいろと差しさわりがあるのだろうか。

私は、実際に経験はしていないが、1965年12月から始まった「学費・学館闘争」事件では、いろんなことがあったようだ。

1年上に、村上さんという人がいた。広島出身で、地元の放送劇団にいたらしく、いかにも役者らしい、面白い方だった。

同期には、後に井上遙となる漆川由美もいたのだが、彼女は155センチくらいの小柄な女性だったので、

「東京の学生劇団はすごい、子役もいるのかと思ったよ」と笑わせてくれた。

12月から、全学ストになり、各号館はバリケード封鎖されてしまい、大学側は締め出されてしまう。

1966年1月になり、大学は入学試験をやらなければならないので、順にバリケード解除を始めた。

ある学部、教育学部のバリケード封鎖解除になり、学生は動員して100人くらいがピケットをはっていた。

そこに大学の職員と体育会学生らが、バリケード解除にやってきた。

学生は、歌を歌って気勢を上げていると、大学の指揮者のある理事が、大きく手を挙げて、歌に合わせて手を振った。

そのとき、村上さんは叫んだ。

「いいぞ、カラヤン!」

もともと声の大きい人なので、一帯に響き渡った。

そして、その理事は命令した

「あいつをやっちまえ!」

村上さんは、大学職員等にボコボコにされたそうだ。

まだ、まだ牧歌的な時代である。

もう30年以上もお会いしていないが、故郷の広島では、玩具店をやっているそうで、なかなか大変なようだ。

 


同姓同名の方 松山晋也

2023年09月06日 | その他

阪神、中日戦を見ていたら、小笠原慎之介投手の次に、松山という育成から今や中日の押さえで活躍している投手が出てきて、なんと松山晋也で、音楽評論家の方とまったくの同姓同名なのだ。

 

                  

もうとっくに退職されたが、横浜市衛生局の幹部に、吉田拓郎と言う人がいた。

一度飲んだことがあるが、毎年何度かは、間違い電話があるとのことだった。

いずれ、このお二人にも間違い電話が掛かってくるようになるのだろうか。

 


「日本の古代に畜生道はなかった」

2023年09月06日 | その他

歌舞伎によく出てくる畜生道、愛し合った男女が、実は兄妹などで、愛し合えない禁忌に気づくのが畜生道で、江戸時代には、大変に避けられていたことだった。

私は、これは一種の「不条理劇」だと思ってきた。

つまり、絶対に愛し合えない、愛の不条理だと。

だが、日本の古代では、畜生道という考えななく、むしろ双生児で、しかも男女の双生児は、生の多産の象徴として喜ばれていたことを知った。

それは、朝日カルチャーセンターの元専修大学教授の荒木敏夫先生の『平安時代を考える』だった。

平安中期の、嵯峨天皇と橘嘉知子との間に、双生児の男女が生まれたそうで、それは正良親王と正子内親王だそうだ。

ただ、この正子内親王は、宮中では養育されず、女官の家で育てられた。

一応、別々に養育されたわけだ。

そして、この正子は、嵯峨天皇の父親桓武天皇と藤原旅子との間の子である、淳和天皇と結婚したのだそうだ。

つまり、桓武天皇は、母は違うが、自分の子の平城天皇、嵯峨天皇、そして淳和天皇と、3人の子に10年づつ天皇をさせたのだそうだ。

                      

桓武から見れば、息子と孫娘の婚姻となるわけだが、当時はこうした近親間の婚姻は、禁忌ではなかった。

そして、思うのは、畜生道というのは、仏教の考え方なので、仏教はすでに伝来していたが、平安時代中期では、まだそれが十分に広がっていなかったということなのだと思う。


中学のサマースクール

2023年08月11日 | その他

中学は、普通の区立中で、面白くもなにもなかったが、唯一面白かったのが、夏休みにやった「サマースクール」だった。

中一の時は、1960年なので、60年安保の反省の「帰郷運動」だったのかもしれないが、20くらいのプログラムを大学生が作って、われわれが自由に参加したのだ。

1年の時は、パズルのグループで、2年の時は、短編映画を見る会だったと思う。

3年はなかったのか、それとも高校受験に専念せよ、というものだったかは、わからないが私は参加していない。

1年のパズルというのは、当時私は、「パズル」が好きだったので、入ったのだと思う。

担当の大学生の方は、大変にまじめな人で、生意気にも私が変な問題を出したら、彼は答えられず、その日以後は、パズルを出し合って考えるのはあまりやらなくなった。

なにをやったかと言えば、トランプばかりだった。

なぜそんなことを憶えているかと言えば、トランプをやっている写真があるからである。

             

2年のときの短編映画を見る会では、『近代造船』という映画を見たことを憶えている。

石川島重工業が作ったPR映画だが、結構いい出来のだったと思う。

当時から、ドキュメンタリー映画が好きだったのだなと思う。

 


さすがハゲタカファンド銀行

2023年07月27日 | その他

あるところに送金しようとしたところ、登録した口座に送ると、「ありません」とのこと。

                                                 

調べると、新生銀行なのだが、今はSBI新生銀行に代わっているので、だめなのだ。

勝手に自分で名称を変えているのに、こちらに変更をさせる。

一斉に銀行側が変更したら、金がかかるため故だろう。

さすがにハゲタカファンド銀行だと思った次第。


運・建戦争

2023年07月23日 | その他

今や、この言葉を知っている人も少なくなっただろうが、1980年代の日本には「運建戦争」というのがあった。

これは、運輸省と建設省の縄張争いのことを言ったものだが、それは中央の霞が関で展開されるものではなく、横浜のような地方で、「代理戦争」として行われたものだった。

 

           

その典型的な例が、40年前の横浜で実施された、みなとみらい21計画の起工式に違いない。

それは、一応、公式的には1983年11月に、起工式が行われたとされている。

だが、その1週間後に、「礎石鎮定式」という名の起工式も実施されたのだ。

前者が、建設省と横浜市都市計画局で行われた公式的なものだった。

一方、後者は、運輸省と横浜市港湾局で行われた式だった。

横浜市で、みなとみらい21計画が始められたとき、最初は企画調整局の計画だった。

それが、都市計画局での実施事業になった。

そこで問題となったのは、港湾エリアの埋立事業だったが、これは港湾局の埋立でやるので、港湾局の了解がいる。

当然にも、都市計画局の担当の小沢さんらの幹部が、港湾に日参して説明したが、なかなか事は進まなかったようだ。

そうしていても仕方ないとして、まずは双方を顔を立てる形でやったのが、二つの起工式だったのだ。

関係者でもない私が良く憶えているかと言えば、その数日後に横浜で結婚式を挙げたからだ。

そして、私たちは新婚旅行に、バリ島とシンガポールに行った。

旅行から戻ると、日本シリーズで、西武が巨人を初めて破って日本一になっていた。

さらに、その間に「二階堂政権」という奇妙な動きもあったようだ。

すべて、40年前の1983年のことであり、今は昔の物語、というしかない。


今日は夏至で、英語で言えば

2023年06月21日 | その他

今日は夏至だそうで、英語で言えば、midsummer である。

だから、昔は、シェークスピアの「midsummer night's  dream」は、真夏の夜の夢 と訳されていた。

だが、これは夏至祭のことで、日本の真夏は、7,8月であり、季節が違うので、今は「夏の夜の夢」と訳されている。

 

                                               

実は、高校の演劇班(小山台高校は、文化部演劇班といっていた)で、文化祭のとき、これをやって、私も役者ででたのだ。

この時は、シュエークスピアの長台詞の描写が嫌いだった。

だが、あの長台詞は、実に気持ちの良いもので、聴くのも言うのも、面白いものなのだ。

だから、シェークスピアは、そのままやった方が良いというのが私の考えで、変な「工夫」をしない方が良いと思うのだ。

 


「情けは他人のためならず」

2023年06月13日 | その他

「情けは他人のためならず」は、最近は、他人に情けをかけることは意味ないので、しない方が良いとされる解釈もあるようだが、もちろん逆で、他人になにかをすることは、めぐり巡って自分に返ってくるという意味だ。

これを感じたのは、2001年に脳梗塞で倒れたとき、MRIやCTさらにエコー等に放射線機器で検査をされた時だった。

昔、パシフィコ横浜にいたとき、直接の担当ではなかったが、開業以来放射線医学会と機器会は、ずっとパシフィコ横浜を使ってくれていて、

「多少とも同学会の振興に寄与したことが、自分が倒れたときに返ってきているのだな」と思ったものだ。

 

                                             

そして、今回『ウォーマッド横浜・歴史から消えたビッグ・フェステイバル』を出し、多くの人から日本の野外フェステイバルの嚆矢だったとの再評価をいただいた。

これは、まさしく自分の趣味でほとんど企画したイベントだったが、それも自分のためではなく、日本のポピュラー音楽を愛する人のためになり、しいては私のためになったのだなあと思うものだ。


どちらも誤解している 名古屋城エレベーター問題

2023年06月07日 | その他

名古屋城の復元工事で、エレベーターが5階までないことをめぐって差別発言があったようだ。

また、河村市長らの対応にも問題があったらしい。

だが、私は、どちらにも組しない。

                                         

もともと、城の天守閣に、お殿様は登らないものであることを知らないのだろう。

たまには登っただろう、だが普段は下の居室にいて政務をとっていたのだ。

その証拠に、江戸城天守閣は、明暦の大火で焼け落ち、令和の今日に至るまで作られていない。

なぜか、必要がないからである。

戦国時代なら、敵の発見、さらに攻撃に向けて天守閣は意義があったろう。

だが、戦争がなくなり平和になった江戸中期以後では、天守閣は、城主の権威と金力を示すだけになったからである。

だから、明暦の大火の後、幕府の老中たちも、天守閣再建よりも、江戸の町の復興に力を入れたのだ。

今回の名古屋城再建では、2階までは、昇降機で障碍者も行けるとのことなので、それでよいのではと私は思う。

本当に最上階まで行きたい障碍者は、テレビのCMの「引越社」の赤井英和のような力持ち男を雇って登ればよいのではないかと思うのだ。

私は、4級の障碍者だが、2階で十分だと思うものだ。


セク・ハラの上司

2023年05月31日 | その他

今、世の中では、職場でのセク・ハラが問題になっているが、私もあるところで遭遇したことがある。

それは、私の上司で、非常に謹厳実直にみえ、およそまじめで、ほとんど休暇もとらない人がいた。

ところが、ある日、1週間の休暇を取った。理由は海外に旅行にいくとのことだった。

そして、休みの二日目に、自宅の奥さんから電話がかかってきた。

出た、女性は答えに困ったが、適当に答えたようだ。

 

                                         

だが、数年後その職場の女性たちに聞くと、これは愛人と旅行に行ったのだそうだ。

しかも、その人は、セク・ハラ、とっいっても女性のお尻を触る程度だが、女性の間では非常に有名で、宴会では隣に座らないことにしていたとのことだった。

私は、比較的仲が良く、一緒に市内の店に飲みに行ったこともある方で、そんなことはまったく知らなかったので、これを聞いて大変に驚いたものだ。

「人は、みかけによらないものだなあ」と思った。