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指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

1966年の永田洋子

2011年02月07日 | 事件
連合赤軍のリーダーで死刑囚だった永田洋子が死んだそうだ。65歳。
彼女には、1966年の秋に一度会っている。

横須賀に米軍の原子力潜水艦が寄港することになり、その反対運動が横須賀の臨海公園で行われていた。
集会に行くと、昔から知っていた某党派の男に会った。
すると彼は、彼らの機関紙を早稲田の支部に届けてくれないかと言い、数百部の新聞を渡された。
8時過ぎ頃、集会はデモ行進に移って公園から出たので、私は帰ることにした。

横須賀からか電車に乗り、その新聞をパラパラと読んでいると、隣の女性から話しかけられた。
「あなた、○○派なの」
「・・・と言うわけでもないが、知り合いがいてね」
「そう、・・・」
それから、その女性は私が川崎で乗り換えるまで、当時の学生運動のある党派の内部について、極めて詳細に教えてくれた。
「何々ちゃんは良い人だけど、何々はだめ」というような言い方をした。
「へえー、このおばさんは一体なんだ」と思った。

彼女が、永田洋子だと分かったのは、連合赤軍事件が終わり、彼女らについての本が出てからであった。
当時、彼女たちは、社学同ML派というところにいたのだが、その中の大部分が関西の連中と合併することになり、「純粋ML派」と言われ、毛沢東主義者だった彼女たちは、ML派を追い出されたのである。
ごく少数の泡沫的分派となった彼らは、その後京浜安保共闘になり、さらに皮肉にも彼らを追い出したはずの関西派の中の最過激派の赤軍派と合同して連合赤軍となる。
今考えれば、実に不思議な時代だった。
永田洋子らのやったことが、間違いだったことは言うまでもない。当時、彼女は大学を出て、東神奈川にある済生会病院で薬剤師をやっていたようだ。
思い出せば、正直に言って永田洋子は、極めて不愉快な感じのおばさんだった。

憂国さんへ

2011年01月05日 | 事件
私が前に書いた「テレビ関係者一億総白痴化」について、憂国さんが、昨年末から話題となっている麻木久仁子、大桃美代子、山路徹のことについてコメントされた。
一言でいえば、山路に二人の女が騙されていた、あるいは貢いでいた、ということに過ぎず、これは本来当事者だけの問題で、どうでも良いことである。
憂国さんは、反体制的文化人、ジャーナリストが女性の金で生きていたことに憤慨されているようだ。
だが、古今東西、ある種の才能と魅力を持つ男が、様々な人、団体、組織から金を得て生きることは、能力の問題であり、道徳的に非難されることではない。
山路が大桃や麻木から金を得ていたことが問題なら、北一輝から戦後の右翼、総会屋に至るまで、企業、財閥を脅して栄耀栄華をむさぼっていた連中はどうなるのだろうか。

このように反体制的知識人が、芸能人女性に支援されていたケースは意外とあり、加藤登紀子と藤本敏夫、岸恵子と小田実、海外では女優のジーン・セバーグは、黒人過激派のブラック・パンサーの支援者で、そのためにCIAに暗殺されいたと、彼女の夫でペルーの監督、外交官だったロマン・ギャリーはドキュメンタりー映画の中で言っている。

もっと昔の話では、アナーキストの大杉栄をめぐっての伊藤野枝、神近市子の「日陰茶屋事件」も、今回の事件と同類のものであるだろう。
いずれにせよ、そう大騒ぎするほどのことではなく、騒げば騒ぐだけ、二流芸能人にすぎない麻木と大桃の露出機会が増え、二人を喜ばすだけである。
憂国さんのお気持ちは分かるが、あまりにも表現が汚いので、削除しますので、どうぞよろしく。

世界貿易センターでランチ

2010年09月11日 | 事件
9・11の世界貿易センター・ビル事件があって、ちょうど9年。
あの日私は、磯子区滝頭の脳血管医療センターに入院していて、朝起きるとテレビが大騒ぎしているので、何事かと思った。
前夜は、患者なので10時前には寝てしまい、ニュースステーション等の「実況」は、見られなかったのだ。
なんとも簡単に崩壊してしまった世界貿易センター・ビルだが、あそこでは1983年10月に昼食をとったことがある。

2001年当時は、すでに民間会社に売却されていたそうだが、あのビルは、もともとはニューヨーク&ニュージャージー州港湾局の建物で、今も土地は、港湾局の所有だと思う。
当時私は、横浜市港湾局にいて、海外への横浜港の広報宣伝、所謂ポートセールスを担当していた。
その年はアメリカ東海岸のニューヨーク、ニューオリンズ、ボルチモアの各港を訪問し、関係者にセールスする一団を引きいて成田をたった。

ワシントン空港で小型機に乗り換えてボルチモアに行き、最初のセールスをした。
当時、ボルチモアは、港湾エリアを再開発していて、先進的モデル都市として有名だった。
だが、再開発と言っても、広いので、老朽化した施設は半ば置き去りにして、新たに大型施設を作るのだから日本とは根本的に発想が違う。
リアス式のように入り組んだ海岸線の岸辺には別荘があり、そこに直接ヨットやボートが横付けされているのは最高で、団員の不動産会社の人も
「日本ではこれは出来ないんだなあ」と、その美しさに驚嘆していた。

さらに南下してニューオリンズでセールスすると共に、ミシシッピ河の脇で「世界河川博」という万博をやっていて、週末には見学に行く。1だが、万博と言っても日本の地方博程度の中身なのには、驚く。
世界的に見れば、万国博と言うものも、そんな程度なのである。

そして、最後の目的地のニューヨークに行く。
ケネディー空港で、ホテルでのパーティーの際に、ギブ・アウェーとして贈呈するための、ネクタイ等の段ボールの山が税関で引っかかり、「これは輸入品だから税金を払え」と言われ、空港をなかなか出られないトラブルもあった。
勿論、言われたとおりに小額の金を払って無事通過。
お金持ち日本人客への嫌がらせである。

翌日、世界貿易センター・ビル内のニューヨーク州港湾局を訪問する。
プレゼンや意見交換で公式訪問は終了して、向こうの幹部を招待して昼食をとった。
20階くらいにあったレストランで、普通のメニューだったと思う。
当時は、かなり有名で、一般の観光客もいた。

だが、その世界貿易センターにいた間に気になっていたのは、地下鉄の振動と音だった。
ビルの地下には、地下鉄線が通っていたので、その振動と音が聞こえたのである。
「随分脆弱な構造だな」と感じたのを憶えている。
そのことを、日本に戻って建築の専門家に聞くと、「あれはきわめて軽く作っているから、そうかもしれないね」と全く気にしない。
あのビルが、ストンと落ちるように崩れたのは、まさに限界までの軽量化した構造があったとのこと。
そうでなければ、「あんなにきれいには壊れない」のだそうである。
確かに「きれいに壊れた」が。

なぜ、チリで商店を襲う等が起きるのか

2010年03月02日 | 事件
先週、チリで大地震が起きた。
勿論、それ自体が悲劇だが、大きな問題はその後商店等を襲う暴動が起きていることだ。
貧富の差があり、社会の安定性がないことが第一の原因だが、それと同時に問題なのは、チリなどの中・南米諸国では、民族、人種毎に商売や経済の分野が決まっていることだそうだ。

中・南米では、電機機械販売はドイツ人、肉食業はポーランド人、金融はユダヤ人、自動車販売はアラブ人やインド人、八百屋等の小売商は中国人や韓国人、そして官僚や軍人はスペイン系というように、人種、民族ごとに分野が決まっていることが多いそうだ。
だから、こうした非常時になると、そこに人種的反感や偏見が基になり、暴動に発展してしまうことがあるのだそうだ。

中・南米で、そうした人種的境界がないのが、ブラジルであり、その意味では一番商売がしやすいのが、ブラジルなのだそうだ。
以前、ブラジル・ポルトガル語を勉強していたとき、中・南米で長い間仕事をされていた方から聞いた話である。
地震の被害から早く回復されることを祈念する。

『公認会計士VS特捜検察』 日経BP 1,800円

2010年02月23日 | 事件
東証上場の会社だったキャッツの株価操縦をめぐり、有価証券報告書の虚偽記載を問われ一、二審とも有罪となった、公認会計士細野祐二氏の本である。
以前、ビデオ・ニュースで本人が出ての回も見たが、この本で読んで見ると実に、恐ろしいと言うか、面白い実話である。

そして、すぐに思い出したのは、平和相互銀行事件である。
日本のバブルの始まりの頃に起き、平和相銀の崩壊、住友銀行への吸収になった平和相互銀行事件で、「4人組」と言われた監査役伊坂重昭氏の役割に、細野氏の役割はとてもよく似ている。

キャッツは、シロアリ退治の会社で、社長の大友裕隆氏が一代で作り上げた零細だが、成長力のある優良会社だった。
だが、細野氏の努力によって、株式公開、店頭市場上場すると、大友氏は、本業を離れ、持ち込まれる様々な新規事業に手を出そうとする。シロアリ退治という3K仕事から、もっときれいなカッコいい実業家になろうとしたのであるが、苦労した大友氏としては、仕方ないことだろう。
それをいちいち検討、吟味し、止めさせるのが細野氏の役割になる。
この辺も、検事だった伊坂氏が、ある事件で平和相互銀行の創始者小宮山英蔵氏に気に入られたことから、入社し、顧問として小宮山氏が持ち込む新規事業を辞めさせる役を演じるようになり、ついには監査役になる経緯とよく似ている。

そして、小宮山氏がなくなると、小宮山家以外の人間たちと一緒に、小宮山氏の長男英一を退けて銀行の実権を握るようになる。
だが、小宮山家から川崎定徳への株式売却、最終的には住友銀行の保有によって、伊坂氏ら「4人組」は追放されてしまう。

このキャッツ事件でも、細野氏は顧問として次第に会社の経営にまで深入りするようになる。
だが、当時専務だったM氏が、上場当初株価が低迷していたことから、その打開策を証券会社外務員に相談したところ、騙され株と資金を取られてしまう。
そして、仕手筋に株を買い占められ、それを買い戻すために、会社は様々な工作をする。
そこでは、細野氏は、全く株価操縦も、虚偽記載もしていなかったのだが、事件で容疑者とされた人間の内、唯一有罪を認めなかったので、長期に拘留されてしまう。

そして、興味深いのは、最初に自白させられ、虚偽証言をしてしまうN元常務である。
彼は、キャッツの上場に際し、取引銀行だった富士銀行から入社するが、東大経済学部卒の学歴とのことで、成績、能力もよく、みなさすがと思っていた。
だが、数ヵ月後それは全くの嘘だったことがばれ、その結果有価証券報告書の取締役の経歴・学歴欄を全員削除することになる。
この彼の学歴詐称を検察は追求し、その弱みに付け込んで、虚偽の証言を作り上げ、他の被告にも、彼の自白に沿って自白をさせる。
この辺は、松川事件や八海事件等でも、微罪等の弱みを持っている気弱な容疑者を叩いて自白を作り上げ、そこから全体の証言、事件を作るのと同じである。

2審で、細野氏は、大友社長以下関係者の証言を供述調書にし、法廷でも証言させることに成功する。だが、判決は、すべて無視、控訴棄却だった。
日本の刑事裁判は、起訴されれば、99%有罪で、弁護士は最初から、勝つ、無罪を勝ち取る気などないが実態だそうだ。
どのように情状酌量し、罪を軽くしてもらうかが、弁護士の仕事であるらしい。
実に司法の世界は闇である。
以前、田中森一も、特捜と言うのは、国策捜査だと書いていたが、ここでも国策捜査だった。
当時、問題だった足利銀行事件等で、公認会計士が虚偽記載等に関わり社会的に指弾されていたので、検察は一罰百誡で、細野氏を逮捕、起訴、有罪にしたかったのだ。
この辺の構図は、今回の小沢一郎事件と大変よく似ていると思う。

読んでいて不思議に思うのは、こんなに泥沼に行くまで、なぜ細野氏は、この会社に付き合ったのか、と思うが、それは時として、大友氏が見せる「男気」だった。

砂に書いた言葉

2009年09月18日 | 事件
歌手酒井法子の謝罪記者会見が行われ、テレビで大々的に放映された。
その姿に、賛否両論あるだろうが、思い出すのは、
新約聖書ヨハネ伝8章の「砂に書いた言葉」である。

オリーブ山でパリサイ人が、娼婦を連れて来て、「これは、法的に罰さないといけないのでは」とキリストを試す。
そのときキリストは言う。
「この中に罪のない者がいれば、この女に石を投げよ!」
と自分は砂の上に字を書いた。
誰も石を投げられなかった。

酒井法子は、一市民として法を犯した問題はあるが、彼女に石を投げられる者は、いるだろうか、特にテレビの中に。

『公安検察』 緒方重威

2009年09月10日 | 事件
朝鮮総連本部の所有権を売買移転させようとして、それに元公安調査庁長官の緒方重威が関わっていたのは、実に不可解な事件だったが、その経緯が本人により書かれた。

「事実は小説より奇なり」と言うが、まことに驚くべき内容である。
緒方は、父親も満州国で検事をやり、戦後は公安調査庁の設立にも関わった「右翼的」人物だった。
彼は、「思想検事」として、共産匪賊討伐にあたっていたとのことで、中には金日成(金正日の父ではなく、戦前から朝鮮でゲリラ活動をしていた初代金日成)もいたそうだ。親子二代にわたって北朝鮮に深く関わってきたのだ。

息子緒方重威も、公安検察畑を歩き、ついには仙台高検検事長にまでなる。
彼は、これを大変な名誉と思っていたらしく、何度も本書の中で「天皇からの認証官となった私が」と書いている。
認証官とは、戦前は「高等官」と呼ばれ、一部の高級官僚のみに与えられる称号で、天皇から直接辞令を受けたし、現在も天皇から辞令を受けている。

その認証官たる緒方が、ヤメ検になった後、なぜ北朝鮮の朝鮮総連本部の所有権移転事件に関わるようになったのかは、是非本書をお読みいただきたい。

一番驚くのは、この事件の立件を強力に進めたのは、安倍晋三元首相だということだ。
特に、ノンキャリながら秘書官となり、今回小田原から無所属で衆議院選に出て、当然落ちた井上義行あたりが強力に推進したのだろう。
本書には書かれてはいないが、この井上と言う人は、大変興味深い人物である。
極貧に生まれ、大学にも行けなかったので、旧国鉄に入る。
そして分割民営化で、総務省に移籍する。
そこで、名を上げ、ついには北朝鮮強硬対策で、安倍元首相と意気投合し、秘書官に抜擢されるのである。
そうした彼の人生の怨恨が、あるいは、緒方のようなエリートへの反感となって、緒方の立件を強力に進めさせたのかもしれない。
全く馬鹿と言うほかはない。

よく、反体制的組織の認識に、「政府自民党は」など、権力を常に一体として見る見方がある。だが、権力と言うのは、そんなに単純ではなく、その内部には様々な人間、グループ、派閥が動き、複雑な実態があることがよく分かる。

1969年10月の新宿国際デーのとき、緒方は新宿ルミネ2階からその動きを見下ろしていて、騒乱罪適用の可否を考慮していたそうだ。
当時取調べをした学生運動の指導者についての批評が面白い。
社学同の藤本敏行は、正々堂々とし、デモでも常に先頭に立ち、立派だったが、中核派全学連委員長の秋山勝行は、陰湿で、デモでもすぐに一般の列に逃げ、そこから指令を送り卑怯で嫌いだったなど、社学同・ブント系と革共同系の陰湿な陰謀家組織の違いが浮き彫りにされていて、鋭い。

APOジャパンの被害者

2009年02月08日 | 事件
先週、逮捕されたL&Gの波会長は、以前横浜でAPOジャパンなるマルチ企業をやっていた。
その被害者企業と関ったことがある。
当時、私は港湾局で財産管理の係長をやっていて、大桟橋も担当施設の一つだった。
ある年末の12月、担当職員が大桟橋の清掃を委託している企業がどうもおかしいらしいという噂を聞いてきた。
そして、突然その会社の役員が来て、「委託を辞退させてくれ」と言い出した。
理由を聞くと、「社長が行方不明になっていたが、数日前に自殺遺体が発見され、会社は倒産する」とのこと。
さらに、詳しい事情を聞くと、「社長がAPOジャパンに関り、多額の借金をして夜逃げし自殺した」のだという。
大変可哀相な話だった。
いまだに波が大きな顔をしてさらに詐欺を働いていると見ると、誠に憤慨に堪えない。
正直者がバカを見るのは、やはり良くないことである。

渋澤龍彦説的中か

2009年01月16日 | 事件
中央大学で教授が刺殺されたが、かつて作家渋澤龍彦が「男が一番無防備なのは、小用を足している時だ」と書いたことがある。
中大高窪教授殺害事件では、まさに小用の時に背中からナイフで刺されたようで、渋澤説が的中したわけである。
何か、他人の恨みを買うと思われる過去を持っている方は、是非小用の時は、十分にご注意いただきたいと思う。

「火サス」的思考

2008年11月20日 | 事件
私が「火サス」的思考と名付けている思考方法がある。
火サスとは、言うまでもなく昔日本テレビが放送していた「火曜サスペンス劇場」であり、そこで描かれた事件の構造である。
そこでは、事件の裏に過去の冤罪等の事件があり、関係者が必ず犯人である。

以前、ある民間施設で内紛があり、一方の当事者から手紙が来たことがある。
それが、まさに「火サス」的思考だった。
彼らを迫害し、施設利用者にも問題を与えているのは、施設長らで、その上には理事長がいる。
彼は他の町の有力者であり、そこでは権力を使って反対派職員を勝手に首にしては、悪事を働いているのだから、横浜でも悪辣なことをやっているはずだ、という告発だった。
事実がどうであったかは、結局不明だったが、全体がまるでテレビドラマのような構造に驚いたものだ。

今回、厚生労働省元幹部が殺人事件に遭遇した。
どこか「火サス」的な誤解をした犯人の事件のように見えるのは、私も「火サス」的思考に毒されているのだろうか。

三浦和義死去

2008年10月12日 | 事件
ロス疑惑事件の三浦和義氏が亡くなられた。自殺だそうだ。61歳と私と同年代であり、無関心ではいられない。
ロス疑惑事件については、いろいろ問題があるが、それについては触れない。
彼が、なぜ様々な事業を起業し、その果てに事件を起こしたか、について考えて見たい。
それは、彼の十代の体験にあったと思う。

彼は、横浜市立戸塚高校に入る。
高校では、生徒会長を務め、善行表彰を受けるほどだったと言う。
その一つが、火事を発見し通報したことだったが、後にそれは自らの放火であることが分かり、放火犯として、7年間刑務所暮らしになる。
1966年から1973年までの間である。
この間の日本は、高度経済成長の真っ只中であった。
1964年の東京オリンピックを経て、日本中は繁栄に沸いていた。

そこでの彼の出所である。
彼は、その社会の変化、激変に驚いたに違いない。
彼にとっての「失われた7年間」を取り戻すため、彼は様々な事業を起こし、いくつかは成功する。
その過程では、随分危険な、あるいは事件性のあることもやったようだ。
最初の妻の行方不明事件などは、相当に怪しい事件である。
そして、ロス疑惑事件になる。
島田壮司の大著『三浦和義事件』を読んだ限りでは、ロス疑惑事件について、三浦氏も共謀とされた日本人も無罪であるようだ。
その意味では、日本の裁判所が出した無罪の結論は正しいと思える。
ただ、問題は今回の共謀罪である。
恐らく、アメリカで三浦氏から事件を依頼された人物(恐らくプロの殺し屋だろう)、それが別の事件で逮捕され、司法取引で、三浦事件の共謀も自白したのだと思う。
だが、裁判開始まで、検察側はそのことを法廷作戦上一切明かさなかった。
そのため、今後も共謀罪の経緯は永久に明かされることはなく、永遠の謎となるであろう。
それとも、また別の事件等で明るみに出てくることもあるのだろうか。

国連レート

2008年08月01日 | 事件
新聞、テレビで、外務省職員が都内のホテルに長期宿泊し料金約1,500万円を請求されているとの事件が報じられている。
これは、個人の問題だが、国際関係では、ホテルが「国連レート」を適用することがあったそうだ。

20年以上も前だが、ESCAP(国連アジア太平洋経済社会委員会)と国際会議をやったことがある。
事前協議で来た職員(運輸省からの出向者)が、打ち合わせ終了後、東京に宿泊することになった。
その時、品川プリンスホテルだったが、ホテルに対し「国連レートで泊まれるように言ってくれませんかね」と頼まれた。
「そんなものがあるの?」、と聞くと、
「国連など外交関係者には特別の割引料金が適用されるのです」とのことだった。
多分、1,2割引きだったと思う。
いずれにしても、当時はホテルを頻繁に利用する人間が少なかったことに起因するものだろう。

外務省には、いまだにこうした特権意識があるようだが、時代遅れであることは言うまでもない。

居酒屋タクシー

2008年07月21日 | 事件
最近の話題で、驚いたのが「居酒屋タクシー」である。
港湾局にいたとき、国の役人(当時運輸省、現在国土交通省)を公費で接待したことはある。
平日の午後横浜に来てもらって、まずお願いする現場を見てもらう。
実際に来てもらう口実は、そうなっているのだから、最初に現場を視察してもらい縷々説明し、ご指摘をいただく。
そして、夕方になり飲食店に行く。
横浜なので、大抵は中華街である。
そこで、飲み食いし、本当の意見交換をし、問題処理の結論を出す。
大抵は、そこで終わりか、せいぜいカラ・オケだった。
そして、タクシーで官舎に送って終了だった。
まれに、相手の要求で風俗店にまでお付き合いした職員もいたようだ。

だが、いずれにしても、「居酒屋タクシー」とは、驚いた。
それほどまで、現在のタクシー業界の競争が激しいということか。

阿佐ヶ谷のKEGONだろう

2008年06月23日 | 事件
朝、ワイドショーを見ていたら、俳優の汐見直行さんと言う方が、児童文学者の吉田定一容疑者に殺されたとの報道をしていた。
そして、二人が通っていた喫茶店の映像が出たが、あれは阿佐ヶ谷駅北口の「KEGON」だと思う。
KEGONは、今風のではなく、極めて昔風の喫茶店で、コーヒーの他、サンドイッチどころかカレー、ハンバークまでのメニューがあり、新聞もスポーツ紙のほか、朝日、読売、日経もある。

純喫茶風の木造の内装が快い店であり、ラピュタで順番の券を買った後は、私が時間を待つ店である。
先週の土曜日も、『嘘』の順番を取った後に行くと、改装中とのことで臨時休業だった。

汐見さんは、劇団手織座の俳優だったそうだ。
手織座は、八田尚之と宝生あや子がやっていた劇団で、私は見たことはないが、まだやっていたとは知らなかった。
宝生さんも亡くなられたと思うが、なかなか品の良い女優だったと思う。

オリンピック聖火リレー

2008年04月25日 | 事件
北京オリンピックの聖火ランナーのリレー問題が話題である。
言うまでもなく、この聖火リレーが始まったのは、1936年のベルリン・オリンピックからである。

ベルリン・オリンピックの、レニー・リーフェンシュタール監督の記録映画『民族の祭典』の冒頭のシーンは、ギリシャの丘で太陽から反射鏡で火を採り、古代人のような裸の人間が松明を持って走るところである。
ベルリン五輪の聖火リレーのコースは、ギリシャから東欧を通ってドイツに来たが、後の第二次世界大戦でドイツが東欧、ギリシャを侵略したときの進路であり、戦争のためにやったという説もある。

ベルリン五輪で始まったものには、記録映画もある。
『民族の祭典』は、やらせでも有名で、日本の2選手が銀と銅メダルを分け合った棒高跳びなど、いくつかのシーンは再現して撮影された。これは、競技が夜間になってしまい当時のカメラでは撮影できなかったからだが。
また、望遠レンズや高速度撮影カメラ等の機材も、このときのために開発されたものである。

レニー・リーフェンシュタールは、ナチスの党大会の記録映画『意思の勝利』も撮っている。
このニュールンベルグの党大会においては、イベント、そして宣伝映画制作のために大会会場を建設したと言うのだから、ナチスの宣伝政策はすごい。
ゲッペルス宣伝相は、映像と音楽の力を熟知していたのだ。