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指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

不要不急とは

2020年03月27日 | 事件
コロナ騒動で、小池百合子都知事が偉そうに、週末の外出自粛を言い、「不要不急」の行為を慎めと言っている。



自慢じゃないが、定年退職後の年金生活の身にとって、不要不急以外の行為などほとんどなく、すべて不要不急の事柄である。
だが、冷静に考えてほしいのは、約1万年前に人類が農耕と牧畜生活を始めて以降の発展、進歩は、今日に至るまで、それは「不要不急の行為」の拡大・発展の結果だった。文化、芸術は本来不要不急の行為である。
公共サービスの他、医療、福祉、介護など日常生活の必須の事柄以外をすべて止めたら、大げさに言えば、それは数百万年前の石器時代の生活の戻ることである。
キリスト曰く、「人はパンのみにて生きるにあらず」
簡単に不要不急の外出をやめろと言ってほしくないと思う。


岸家対小林家

2020年03月08日 | 事件
コロナウイルス騒ぎで、多くのイベントや公演で、中止、延期が相次いでいる。
大相撲やプロ野球では、無観客で試合が行われている。
その中で、宝塚歌劇団は、宝塚大劇場での公演を9日から再開することにしたそうだ。
安倍内閣のご指示に逆らったと言うよりは、本公演で退団する生徒もいることが大きな理由だろうと思う。

                 

さて、安倍晋三と宝塚と言えば、祖父岸信介と宝塚の創始者小林一三との対決を思いだす。
1940年の第二次近衛内閣の時、この二人は商工大臣と次官だった。
そして、戦時体制への移行で、統制経済が叫ばれ、その急先鋒の岸信介と、自由主義経済の小林は鋭く対決した。
本来、次官は大臣に従うものだが、岸は容易には大臣に従わず、二人の対決は近衛文麿の手におえないものとなり、ついに近衛は二人を辞職させることにして事態を収拾した。
この岸信介の統制経済は、彼の孫の安倍晋三に遺伝していると思える。
春闘での、彼の「賃上げ要求」などは、まさしく統制経済的発想だと思う。

守銭奴という言葉を思いだした ゴーン被告

2020年01月10日 | 事件
元日産自動車会長のゴーン被告が、レバノンで記者会見した。
久しぶりに「守銭奴」という言葉を思いだした。
1990年代のソ連崩壊で、資本主義の勝利が言われて来たが、その大成功の果てがこれなのだろうか。
かのマックス・ウェーバーも、資本主義と言っていたが、あのゴーン氏の言動は、「醜い」の一言に尽きるだろう。

                  

彼が、日産で大きな成功を収めたとしても、この醜さは本当にみっともない。
あれはまさに悪人面である。
日本のテレビ局は、ゴーン被告を招いて、『水戸黄門』の悪役に配すれば良いと思う。
そしていう
「越後屋、お主も悪よのう、ウフフ」


家出サイトについて

2019年11月26日 | 事件
大阪の少女が、栃木で保護されて話題となっているが、私は8年前の2011年3月に、次のように書いた。


「若者はいつも大人の予測を超えることをする それが大人への成長の入り口なのである」

2011年03月01日 | その他


    

昨日、青葉区で人権講演会があり、吉川誠司の『今、携帯を持つ子どもたちに起こってきている事実」を聞いた。携帯やパソコンについて随分知らなかったことを聞き、参考になった。結論として言えば、我々も子どものときにそうだったが、何とかして大人の考えつかないことを考え出し、やってしまおうと一日中考えていたものだ。今回、京都大学等の入学試験で、携帯電話を使った試験問題の流失事件が起きているが、昨日聞いたような若者の携帯電話についての習熟、利用を考慮すれば、別に不思議なことではないようだ。驚いたことの一つに、ゲームサイトが、ゲームのみならず、ウェブ機能を完全に持っていて、そこで子どもが通信のやり取りをしていること。また、ゲームは「一部は有料」と表示しているが、ほとんどは有料で、少しでも面白いレベルに上がるとすぐに有料になってしまうもので、「一部無料」と表示すべきものなこと。パソコンも含めゲームは一切やったことがないので、全く知らなかった。グリーは、この高額請求等の仕掛けで年商100億円なのだそうだ。講師は、グリーの宣伝を見ると「一部無料」と表示すべきと思うそうだ。出会い系サイトについても、最近は管理者がかなり監視しているので、投稿する女子は、投稿を写真でやったり、縦書きで書いたり、隠語で書いたりして投稿している例があるとのこと。監視は、目視もあるが、コンピューターによるキーワードの検索なので、写真、動画、縦書き等は識別できないのだそうだ。また親が、子どもの携帯に利用制限を掛けたとき、それを解除するために、子どもが親の扮装をして店に行き、免許書等のコピーを見せると、業者は親子を明確に判別できないので、申し出どおり解除すること等があったこと。その他、実例を挙げると差しさわりがあるので書けないが、実に子どもたちはいろんなことを考えるものである。そうやって知恵をつけ、成長し、大人になって行くもので、そうした背伸びは、ある意味必要なことかもしれない。

だが、この日一番驚いたのは、ネットに「家出サイト」があり、家を出て宿泊することを求めるのと、受け入れるメッセージの交換が行われていることだった。これなどは、今NHKや朝日新聞がバカみたいに騒いでいる「無縁社会」の典型的な現象かもしれない。
それほどまでに家庭は崩壊し、また若者に間の友人関係も縮小しているのだろう。
まあ犯罪の被害に遭遇する一歩手前のように思えるが、それも個人の自由である。

少年や少女が、ある時期に家を出たいと思うのは、特別なことではない。
それは、子供が大人になるとする意思の始まりの一つだからである。
家出サイトは、今はスマフォで容易にアクセスできるようになっているのだろう。
悪事千里を走る、というべきか。

警察関係者の再就職先

2019年06月19日 | 事件
最近、テレビのワイドショーを見ていると、元県警刑事というのが出てくる。
元警察関係者の再就職先にテレビがなっているわけだ。
勿論、警察関係者も、退職後「2000万円の資産不足」があるわけで、再就職は仕方ないだろう。
だが、警察関係の再就職先として一番多いのは、言うまでもなくパチンコ屋である。

              

以前、区役所で保護司の審査会に出た時、候補になっていた方は、元警察の方で、現職はなんとか興業になっていて、パチンコ屋だった。
パチンコ産業は、日本で大きな産業なので、多くの映画に出て来て、意外にも小津安二郎作品にある。
中で興味深いのは、豊田四郎監督の『甘い汗』で、主人公の京マチ子をだまして、朝鮮人の靴屋山茶花究の店をパチンコ屋にしてしまうのは、元船員で今はヤクザになっている佐田啓二である。
彼は、その店を市原悦子にやらせるのだ。
佐田と市原という普通は善人役が悪役で、いつもは悪人の山茶花究が朝鮮人で善人と言うのは、豊田四郎らしい皮肉である。

談志ならどう言っただろうか

2019年05月31日 | 事件
川崎での殺傷事件について、立川志らくが、「自殺なら自分一人で死ね」と言ったそうだ。
普通の人の意見としては普通だが、立川談志の弟子としては、少し恥ずかしいのではないだろうか。
 

      


立川談志は、「落語は人間の業の肯定である」と言っている。
私は、志らくも嫌いではないが、師匠の談志のことばをどう考えるのだろうか。
一人で勝手に死んでくれとはだれでも思う。
ただ、そうできないのが人間であり、その愚かさなのだと私は思う。

鬼ではなく、猿だ

2018年06月08日 | 事件

5歳の女児が虐待死し、両親はまるで鬼だとされているが、私は「猿」だと思う。

そして、こういう事件が起きるのは、戦後教育が悪い、日教組の性だと来る。

だが、明治、大正時代から劇団新派の当たり狂言は、継子虐めだった。松竹映画でも継子虐めはヒット作品だったと言われている。

               

さらに、歴史的に見ればギリシャ悲劇の戯曲『王女メディア』は、わが子を殺してしまう王女メディアの悲劇である。ただし、これも前妻との間の子であり、継子虐待である。

なぜ、このようなことが起きるのか。それは人間が猿から分かれた動物だからである。
ハヌマンやチンパンジーでは、前の「妻」や「夫」との間にできていた子を殺すことがよく知られている。
たかだか、50万年前に分岐した人間と猿の本能が似たものであるのは当然であるのだと思う。


「内田監督、内田監督」と言うと

2018年05月24日 | 事件

日大のアメリカン・フットボールの悪質タックル事件で、「内田監督、内田監督・・・」というと、「内田吐夢監督か」と思ってしまう。

                                        

内田吐夢は、戦前から巨匠と言われてきた監督で、戦後に中国から帰国してからも大巨匠として評価されてきた。

一般的には中村錦之助主演の『宮本武蔵』が有名だが、『飢餓海峡』は本当に凄い作品だと思う。

黒澤明や小津安二郎らと同等の評価を与えて良いと私は思っている。


映画『道』では・・・

2016年07月27日 | 事件

昨日、相模原の障害者施設で大変な事件が起きた。昔、石原慎太郎閣下も、同様な施設に行った時に、「意味があるのかね」と言っていた。

だが、私はフェデイリコ・フェリーニの名作『道』の台詞を引用したい。

                                                 

 

最後はアンソニー・クイーンに殺されてしまうピエロは、ジュリエッタ・マシーナに言う。

「石ころだって役に立つ」

これは非常にカソリック的な考え方である。なぜなら、この世のすべては神が創造されたものであり、全能の神は無駄なものは作られなかったはずだからである。

だから、この世のすべてには、意味があるはずになるわけだ。

 

宇宙の歴史を考えれば、全宇宙ができて約137億年、地球は約50億年前にでき、その後約30億年前には、どういう契機かはいまだに解明はされていないが、生物が生まれた。

そして、長い間の無限の変化と突然変異を経て、今日のわれわれがあるわけだ。

その過程では、無数の「不要」で、変化の途中で止まってしまった多くのものも残されたのである。

そうしたすべての変化と進化を考えれば、すべてのものには意味があることになる。

「石ころだって役に立つ」


ギリシャ時代からあったことなのである

2016年01月30日 | 事件

大田区で、3歳の幼児が自分にガンをつけて生意気なので、折檻したとか、母親が子供を虐待したなどの事件が報道されている。

すぐに来るのが、「こんなことは昔はなかった、原因は戦後の変化で、戦後教育の誤りだ、諸悪の根源は日教組だ」とくる。

だが、子殺し、親殺しはギリシャ時代からあったことなのである。

                   

 

それに気づいたのは、1983年2月に帝劇で鈴木忠治が作・演出した『悲劇・アトレウス家の崩壊』を見た時だった。

家庭悲劇であり、それは小津安二郎程ではないにしても、神代辰巳程度の日常的な劇だと『ミュージック・マガジン』の劇評に書いた。

事実、メディアは、子供を殺し、オイディプスは自分の父を殺してしまう。

こう考えると、人間もその社会も、ギリシャ時代から大して変わっていないことに気付くに違いない。

植木等ではないが、

「わかっちゃいるけどやめられない」のが人間なのである。

 


「火事場の馬鹿力」  関東・東北水害について考えること

2015年09月17日 | 事件

先週起きた北関東と東北の水害は、まことに大変なもので、災害にあわれた方々には、謹んでお見舞いを申し上げる。

私が体験した最大の水害は、1958年、昭和33年9月の狩野川台風だった。

小学校4年生で、大田区池上だが、朝から豪雨が続き、学校はもちろん休校、池上の一部には呑川よりも低い地域があり、すぐに床上浸水になっていたのですぐに休校になっていた。その豪雨は、午後になっても降りやまなかった。

そして、夕方になって呑川が氾濫してあふれ出し、道路も川のように水が流れはじめた。

当時、父は馬込の小学校校長で家にはおらず、母と5人の子供が家にいた。

8時ごろついに、床下浸水になり、風もあって玄関の戸が水流に流されてしまった。「ここで大風が吹けば家が壊れる」と、母は狂ったように濁流の中を飛び出して行き、大学1年生の兄も続いた。

そして二人は、すぐにクズ餅屋・池田屋の前で戸板を掴み持ってきて玄関に何とかはめ込んだ。

それも大きなことだったが、水はさらに増えて、床上浸水になりそうになった。

母は子供たちに命じた。

「全部、上にあげるんだ!」

それでなんと母と子供たちだけで、1階のタンスやその他の家具を2階に持ち上げてしまった。

そして畳も全部上げたのだ。タンスは全部中身が入っているままに。

ほっとして二階の階段から見下ろすと、濁流が木の枠組みだけになった1階を流れていく。

結局、床上少しの浸水だったようだ。

夜中すぎには、雨も完全に上がり、その夜は眠られぬままに、6人が二階に寝た。

そして翌日、これが大変だった。

当然のことながら、タンス、畳を下すことができない。タンスの中身を抜いてやっとそろそろと下したのであった。

まさしく「火事場の馬鹿力」の一夜だった。


犬に襲われたことがある

2015年09月15日 | 事件

千葉県で、暴れる犬を警官が射殺したという事件があった。

動物愛護家から見れば、悲憤もあるだろうが、一番の問題は飼主の犬への教育、躾である。

犬はきちんと教育すれば、人を襲ったりは絶対にしないものである。

日本は犬や動物に対して極めて甘いが、欧州は全く異なり、ドイツ等では、犬が人に吠えたりしたら、飼い主がすぐに犬を張り倒すそうだ。

そのように躾ければ、犬は吠えることもなくなるとのこと。

昔、区役所で犬の飼い方教室を開催したところ、元歌手の佐良直美が来て、犬を連れてきた。

それはすべて非常におとなしく全く吠えたりしなかった。彼女は、今は犬の飼い方教室を主宰しているのである。

 

さて、私は、小学校2年生の頃、犬に襲われたことがある。

自宅の庭で、私も小型犬を飼っていたので、外から大型の犬が脅かしに入ってきたのだ。

私が、追い払おうと木の枝を持って行くと、そいつは急に私を襲ってきて、爪に顔を引っ掻かれた。

大きな私の鳴き声で、母が来て、すぐに近所の外科に連れて行ってくれた。

何針か縫って出血は止まったが、傷跡は、今も左目の下に大きく残っている。

ちなみに、その犬は、駅前の肉屋のもので、他人の庭に勝手に入って来たのだから、綱もつないでおらず、向こうの過失は明らかである。

だが、何もせず、もちろん抗議も損害賠償要求もしなかった。

軽症だったからだが、今なら即裁判だろう。


素人には手を出さなかったものだが

2015年03月03日 | 事件
川崎の少年の事件を見ていると、かつて暴力的な連中はいくらでもいたが、それは彼ら内部のことで、普通の人間、素人さんには手を出さない不文律があった。
それがなくなったのは、やはり暴対法によって暴力団が町から一掃されたことが大きな原因だと思う。

私が生まれ育ったのは、川崎の対岸の大田区池上で、非常にガラの悪いところだった。
中学校には少年院に行ったこともあると言われている少年もいて、彼に一度だけ脅かされたことがある。
ある日、なぜか自宅の近くの道で会うと、いきなりこっちに来て「金、ないか!」と言われた。
持っていなかったので、「ないよ・・・」というとそれで終わりだった。
このように、彼らは彼らの世界の秩序と価値の中で生きているので、素人さんには基本的に手を出さなかったのである。

川崎の中学生を殺害した18歳の少年は、恐らく両親はもとより、学校などの連中の言うことなど聞くことはなかったと思う。
もし、彼にものを言える人間がいるとすれば、彼よりも暴力を持っている大人であり、昔で言えば、末端の暴力団だったと思う。
悪には悪の秩序があり、その世界がある。
それを国家の暴力で無理やり抹殺しても、新たな問題が起きるだけなのである。
江戸時代の、ヤクザにはヤクザの一定の役割を世の中で果たしてもらうというのは、正しかったと思うのだ。
世の中は、きれいにすればそれで済むというものではないのだ。

1936年は大変に興味深い年である

2014年11月05日 | 事件
今朝の東京新聞に、戦前洲崎にあった洲崎球場のことが出ていた。
1936年にでき、日本最初の野球専用球場で、伝説の巨人・阪神戦(当時は大阪タイガース)で、沢村英治が快投をしたところである。
私の知人の父は、約30年近く前に亡くなられたが、子供の時、「洲崎や上井草球場で沢村を見たことがある」と言っていた。
生きていれば90歳近くになるはずだが、当時は神田に住んでいた都会っ子だったので、プロ野球をよく見に行ったようだ。





さて、この1936年、昭和11年は、言うまでもなく「2・26事件」が起きた年で、昭和史では、軍国主義に進んで行った「暗い時代」の始まりとされる。
確かに今から見れば、太平洋戦争へと向かっていた時代となるが、同時に大衆文化の「享楽」が花開いた時代でもあった。
この年に、松竹がトーキー映画製作のために、蒲田から大船に移転したように映画はほとんどがトーキーになり、フリーターだった黒澤明は、助監督試験を受けて合格し、PCLに入る。
小津安二郎は、蒲田で茂原英雄が開発した茂原式トーキーで『一人息子』を撮り、当時の著名な監督が参加して日本映画監督協会ができる。
つまり、映画を代表に大衆娯楽が産業として形成されて来た時なのである。
その一つとして、プロ野球(職業野球)も事業化されたと言えるのだろう。

「朝日新聞は面白い」

2014年09月27日 | 事件
「朝日新聞は読みごたえがあって面白い」と言ったのは、30年以上前に結婚した時の女房である。

私の父は、大仏次郎あたりを尊敬する保守派の教育者だったが、新聞は戦前から朝日新聞だったようだ。
読売など、まったく問題ではなかったようで、一時期勧誘員にひどく勧められたのと、『少年ケニヤ』が掲載されていたので、長兄の希望で産経新聞も取っていたこともあったが、それが終わると元の朝日新聞だけに戻った。

一方、女房の父親は、一部上場企業の管理職で、家では日経新聞と東京新聞を取っていたとのことで、これも面白い組み合わせだが、東京新聞は同居していたおばあさんが好きだったようだ。

それが私と結婚して、女房は朝日新聞を読むことになり、女房曰く、
「朝日は記事の数が多くて丁寧に書いてあるので読んでいて面白い」とのことだった。

今、私は東京新聞なので、現在の朝日新聞の傾向がどうかはよく知らない。
だが、以前は読売新聞は、記事についての記者のコメントの分が多く、水増し的な内容が多かったのが不快だった。
それに比べれば、朝日新聞の方がはるかに公平で客観報道の姿勢があったと私は思う。
ともあれ、現在の朝日バッシングは異常と言うしかない。 
報道機関がやっているなど、まさに「自分で自分の首を絞めている」に他ならないと思う。