指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

検討委員会を見て

2023年12月01日 | 横浜

昨日の午後は、山下ふ頭再開発検討委員会学識者の議論をオンラインで見た。

         

横浜市港湾局の報告も、寺島委員長のご意見も極めてきびしいもので、物流港としても、今後は難しい立場だろうとのことだった。

そこで、カジノ・IRというのが、前林市長、そして当然にも裏にいた菅義偉官房長官だが、安倍晋三氏が亡くなった今日、この方向はもう無理だろう。

彼らと同じ志向性の日本維新の会が、主導する大阪万博は、費用が2倍以上になることが暴露されて、維新の人気もがた落ちのようだ。

「身を切る改革」は、いったいどこへ行ったのだと思うのは、私だけではないだろう。

そもそも、カジノや万博、そして2年前のオリンピックのように、大規模イベントをやって・・・という発想が、時代遅れなのだ。

これらは、19世紀的発想で、しかも欧州の発想で、21世紀の、アジア、アフリカなど「グローバル・サウスの時代」の発想ではないと私は思うのだ。

では、どうすればよいのか、老齢化する国と町には、それにふさわしい考えがあると思うのだがね。

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山下と新山下

2023年11月30日 | 横浜

横浜には、山下公園と山下ふ頭、そして新山下に貯木場がある。

こう書くと、山下ふ頭の後に、新山下貯木場ができたのでは、と思われるかもしれない。

だが、実は、新山下の貯木場は戦前に作られていて、山下ふ頭は、戦後の建設なのだ。

それを示す映画がある。

            

1933年の清水宏監督の『港の日本娘』で、主人公の港の不良江川宇礼雄が、山手の丘で女学生の井上雪子と及川道子に会う。

なんと彼は、オートバイで現れるのであり、まるで日活最後の映画『八月の濡れた砂』みたいだなあと思ったものだ。

このとき、丘の下では、埋立工事が行われているのが見えるが、これは貯木場なのだ。

当時、関東大震災による被害で、住宅需要があり、横浜では新山下に貯木場を作ったのだ。

東京の木場も、このときに拡張したはずだと思う。

この貯木場が出てくるのは、篠田昌浩の『涙を獅子のたて髪に』で、主人公の加賀まり子の父親の永田靖が、藤木孝に殺されて水面に浮かんでいるのが、貯木場なのである。

ここは、岡本造船所とレストランもあり、絵になる情景なので、テレビや映画によく出てくるのだ。

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「これができるのは、横浜だけだ」

2023年11月30日 | 横浜

ユーチューブの横浜経済新聞の動画で、「クリスマス・ショー」を見るが、こんなことができるのは、横浜港だけだと思う。

                

横浜港では、みなとみらいも、中央地区も新港も、どこも広く緑地を取っているので、多くの人が見に来られるのだ。

山下ふ頭再開発についても、緑地を取ってほしいというもっともなご意見もあった。

ただ、これは現実を知らない意見である。

日本のどの港よりも、緑地が大きく取られているのである。

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山下ふ頭の岸壁は全部国の建設だった

2023年11月28日 | 横浜

良く知られているように、山下ふ頭の山下公園側は、国の整備で、その後に横浜市港湾局が埋立して整備したので、中央から新山下側は、横浜市の財産だった。

ただし、そうした横浜市が整備したところでも、岸壁、桟橋部分は、国が建設した。

それは、港湾法によって、外貿ふ頭の外殻施設、つまり防波堤、岸壁、さん橋等は、国が整備すると定められていたからだ。だから、本牧ふ頭のD4 などの公共バースも、国の整備だったはずだ。

だから、山下ふ頭では、もともと全部が国のものだったのである。

 

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「山下ふ頭の岸壁は全部違う」

2023年11月28日 | 横浜

山下ふ頭の岸壁の構造は全部違うと聞いたことがあり、それは本当のようだ。

              

「どうしてそんなことが行われたのですか、一番良いもので全部作ればよかったのに」と聞くと

「国の技術者が、博士論文を書くのに使用されたのだろう」との答えだった。

その性か、1970年代のある日、山下の岸壁が、なにもないのに突然崩壊して大問題になった。

議会で、共産党が追及したが、なんとなくうやむやになった。

奇妙な事件だった。

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山下ふ頭の再整備について

2023年11月28日 | 横浜

話題の横浜港の山下ふ頭再開発について、次のように考えます。

エリア

整 備 の 内 容

整備手法

整備主体

その他

ふ頭基部山下公園側

 ここについては、市内で長く独自の演劇をしてきた横浜ボートシアターを評価し、船を岸壁に付けて、活動をさせる。だが、シアターのみでは採算が取れないので、これを包含する中劇場「横浜ワーフシアター」(600席)を作る。この規模については、宝塚バウホールがあり、中規模の劇場の試みがあるので、これに倣う。

この劇場のホリゾントは開閉式にして、花火大会の際の有料席とするほか、船を小劇場とし、中劇場の公演と映像で繋ぐような実験ができるものとする。

中劇場は、横浜市が整備し、ボートに委託して運営させる。ボートシアターは、船を横浜市に寄付し、運営の委託を受ける。

横浜市役所

船も寄贈を受けた後、市の財産とする。

 

   基部新山下側

 ここは、低層の京都風の「町屋」の町並みとして、そこで多様な文化・芸術活動を行う。今後は、市民文化・芸術活動も、小規模のものになっていくと予測されるので、それに対応したものにし、アーチスト・イン・レジデンスも試みる。ただ、これだけでは寂しいので、中心に野外劇場を作る。横浜スタジアム建設のとき、取り壊された野外音楽堂の代わりとして、横浜市に罪滅ぼしをさせる。

一方、新山下側の海面は、海洋性レジャー活動ができるものとし、岸壁には関連施設を整備する。

民間企業の提案を受けて、整備させ、実際の運営は、市民団体が行う。

開発・民間企業

運営・市民団体

 

ふ頭中央部

 ここについては、すでに移転が決まっている金沢区福浦の横浜市大病院を建設し、関連する特養ホーム、介護施設を整備する。さらに、民間の有料老人ホーム、高度医療病院などを誘致し、高齢者の第二の人生の「日本のフロリダ」としてゆく。

横浜市及び民間事業者

病院・横浜市

民間施設・民間企業及び団体

最優先で整備する。

ふ頭先端部

 ここは、岸壁使用付の「高級賃貸住宅」地区にして、賃貸料と岸壁使用料を取り、この山下ふ頭の運営と横浜市への財政的貢献としていく。

言わば「IR」の代わり。

 また、域内住民用のショッピングセンターやホテルも整備し、外部とは完全に遮蔽する。

民間企業の提案受けて、賃貸住宅を整備させる。

 民間住宅企業

 民間開発企業

 

どうぞ、ご意見、ご批判をよろしくお願いいたします。

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200万で売った土地を60億で買い戻す

2023年11月25日 | 横浜

私のもう一つの市長決済事案について書く。

これは、新杉田にあった西武鉄道の土地の購入である。

昔の人なら、新杉田に西武のゴルフ練習場やテニス場、自動車学校、そして西武農園のガーデンがあったことを記憶しているだろう。

実は、ここは戦後すぐ横浜市が埋立権を取得して工事をしていた場所だった。

根岸湾は、戦前から湾の北と南の両方から埋立を行ったもので、南の新杉田はおそらくは県の埋立で、日本飛行機や県工業試験場などがあった。

そこにさらに横浜市が戦後、埋立を行ったのだが、当時は根岸湾のハ地区の埋立以前で、湾の波浪は非常に大きく、ある時台風の波で、護岸が壊されてしまい、ついに横浜市は埋立を断念した。

                

その埋立権を取得したのは、当時横浜で、野毛の横浜国際劇場、野毛山の迎賓館等をもっていた桑島建設が設立した財団法人に売ってしまった。

この財団の計画は興味深く、新杉田に海洋性レジャー施設を作るという斬新なものだった。

ただ、その中に競艇があり、杉田の住民から強い反対が出た。

そんなことをしている内に、桑島建設の経営がおかしくなり、彼らは、埋立権を西武鉄道に売却した。

そして、西武は、ゴルフ練習場等を作ったのだ。ちなみに、この新杉田の用地は、全部西武鉄道の所有になっていた。ある時、その理由を聞いたことがあるが、鉄道会社は、国の監督もあり、安全なので西武関係の土地の所有者は、基本的には西武鉄道だと聞いたことがあるが、多分そうだと思う。

1980年代に、そこを国道357号線が通過することになり、なぜか港湾局が取得の担当になっていて、私が担当したのだ。

これについては、どこからも文句はなく、無事約60憶円で横浜市が取得し、現在は磯子スポーツセンター、野球場等になっている。

その後、私はパシフィコ横浜に異動して、係長をやっているとき、その新杉田の埋立権を売却したであろう、総務部長の岡本坦さんにお聞きした。

「あれは、年末の職員に払うボーナスがなかったので、200万円で売ったのだよ」

と教えてくれた。

昔は、横浜市役所も大変だったんだなあと思ったものだ。

 

 

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市長決済

2023年11月25日 | 横浜

横浜市役所に長年いて、市長決済の文書を担当したのは、2回だけだと思う。

一つは、新杉田で、西武鉄道が持っていた用地を、357号線等の用地とするために約60憶円で買収した時だった。これは、横浜市がもともと持っていた埋立権を200万円で、桑島建設の関連団体に売ったものを取り戻したという、バカバカしい事案だった。

もう一つも、これまた国道357号線関連の事案で、大黒ふ頭、本牧ふ頭の首都高への土地の売却の問題だった。

これについては、横浜市港湾局管財第一係長の、私の前任者の小山政雄さんが、周囲の無理解にもかかわらず大変に頑張っていて、首都高に対して有償で売ることで数年間交渉していたのだった。

対して、首都高と横浜市道路局の伊藤課長や、後に開国博の本部長にされて、中田宏市長のあまりのひどさに苦悩して若死にしてしまった川口おぼっちゃま君などは、「ただで売れ」という立場だった。

ただ、これには大問題があり、地方財政再建措置法というのがあり、「国は地方に財政で無用な負担をさせてはならない」が定められいたからだ。実際に、市会では社会党の議員からの質問もあったのだ。

この間の議論の間には、建設省のバカで生意気な係長に呼び出されたなんてこともあった。

これも実に、不愉快な事件で、ある日突然、三ッ沢にある建設省国道事務所に来いとの電話があった。

私は、担当の佐竹君と一緒に三ッ沢の事務所に行った。

インターの裏の方にあった小さな事務所だった。

行くと、「俺は建設省のエリートだ」という顔をした痩せて貧相な男がいて、

いきなり「横浜市は、首都高と357号線の用地を全部タダでよこすのが当然だ」と言った。

私は、「地財法の定めがあるのでできません・・・」と静かに答えてあげた。

こいつは、完全に知財法など、知らないと思い、持参した六法を見せた。

すると何も言わずに、「帰れ・・・」だった。

実は、この時ほど興奮したことはなく、以来私の高血圧は大変にひどくなった。

佐竹君も「指田さんが、あんなに怒ったのははじめ見ました」と言った。

多聞、血圧は200を越えていただろうと思う。

そして、1986年12月の中旬、いきなり首都高が来て、「大黒、本牧の土地は全部有償で買います」と言ってきた。

事情を聞くと、首都高は当然予算主義で、毎年東京、横浜で用地買収費を予算化している。その元は、財政投融資だそうだが。

その年も、何十億か予算化されいた。

ところが、その主なものだった東京の王子線がだめなので、大黒、本牧で予算消化するしかないので、「横浜市の言い分で買います」と頭を下げてきたのだ。

ただし、大黒ふ頭については、国への埋立申請のとき、その付帯条件に「将来、国道ができる時は、その権原は国に帰属する」となっていたので、大黒、本牧とも国道357号線と首都高が重なる部分については、無償で帰属させた。

                  

しかし、大黒については、巨大なインターチェンジがあり(目玉とよんでいた)、相当部分がはみ出るので、それは有償とした。また、本牧はその大部分は、横浜港ふ頭公団の土地で、港湾局は住友倉庫に隣接するほんの少しで、公団は、「全部横浜市にお任せします」とのことだった。

急遽、佐竹君に起案文書を作ってもらったが、なんと土地の図面のない用地売買だった。

本牧はともかく、大黒は、大きな目玉があり、それも順に降りているので、地上権の算定が非常に面倒なのだ。

今なら、PCですぐにできるのかもしれないが、当時は手作業でやることにし、それは後日付けることで、市長決済を廻すことになった。

港湾局は無事出たが、道路局を経て、当時の助役だった池澤利明さんで止まった。

彼曰く「横浜市は、道路を作ってもらうのだからタダで上げるのが当然だ」ったが、後にNHkの『プロジェクトX』では、なにも触れていなかったのには、池澤さんもNHKもいい加減だなあと思った。

逆に「もっと高く売れ」と言ったのが、財政局の原克己部長で、この人は昔は、港湾局にいたこともあり、事情に詳しいので苦労したが、なんとか判を押してくれた。

その後は、市長だが、これは市長室の秘書にあずけて、やっと終わった。

全100憶円の内、当年度分で25億円だった。

と思ったら、今度は、財政局の予算担当から電話があった。

「この12月という、年末に25億円もの、収入の増化があるのは困る」というのだ。

「国からの地方交付税が大体きまっているのに、ここで25億も歳入がいきなり増えては困る」という理屈だった。

「もう市長決済が降りていますから」と無視した。

その翌年、私は港湾局から都市計画局に異動したが、全部で100憶円くらいは、私も横浜市の財政に寄与したはずである。

 

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山下ふ頭再開発・4

2023年11月22日 | 横浜

山下ふ頭再開発について、その先端部分の利用法について、書く。

             

ここは、非常に議論のあるところだと思うが、一番重要なことは岸壁を使うことだ。

まず、考えられるのは客船だろうが、すでに横浜港には、大さん橋の他、大黒ふ頭と新興のハンマーヘッドにも客船バースができたので、もう客船バースはいらない。

そこで、ここを岸壁使用を前提とした「高級な賃貸住宅」を作る。

数年間に、大さん橋に行ったら、円谷プロの特撮テレビに出てくるような怪船が停泊していた。

「どこの船?」と聞くと、ロシアのオルガルヒの大型ボートだそうで、こうした連中に住宅を貸し、賃貸料と岸壁使用料を取り、横浜市の経済に貢献させるわけだ。

要は、IRの代わりにして、この連中がカジノをしたかったら、横浜から大型ボートに乗って、大阪の舞洲に行ってやってくれば良いのだ。

このエリアは、言わば「租界」を作るようなもので、愉快なものではないが、将来の経済のためには仕方ないと思う。

また、このエリアの内、2号と3号岸壁の間も少し埋立てて土地を作り、そこにはこのエリアの住民のためのショッピングセンター等を作ればよいと思う。

いかがでしょうか。

 

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山下ふ頭再開発・3

2023年11月22日 | 横浜

山下ふ頭再開発の基部のうち、旧新山下貯木場の新山下側について考える。

ここは、山下公園と反対側で、新山下の中村川河口に面する部分である。

ここは、おおむね低層の長屋風の「町屋地帯」にする。例としては、京都の町屋的なエリアにする。

そこに長屋、路地、広場などを配置し、その家屋の中で、文化、市民活動を行う。

ところどころでは、居住する者もいる、「アーチスト・イン・レジデンス」も展開する。

イメージとしては、最近増えている、商店街の空きスペースを利用した活動に近いだろう。

今後は、文化活動も大規模なものではないと思われるので、こうした小空間で自由にできるようにしておく。

劇場と連携した稽古場、専門・専修学校などの誘致も可能だと思う。

また、新山下との間の広い水面は、市民の海洋性レジャーやスポーツを行う空間とし、そのための必要施設を陸上に設ける。

だが、これは有料施設でよく、その利用料でメンテナンスや海上清掃などを行う。

              

山下ふ頭基部と道路との間は、最終的には切り離して水路とし、岩国の錦帯橋のような特徴ある橋を架橋して、水上交通が可能とすると共に、観光の目玉となるようにする。

方角的に考えて、この橋の後ろは西であり、沈む夕陽の錦帯橋は、「バエル」名所となると思われる。

 

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山下ふ頭再開発について・2

2023年11月22日 | 横浜

皆さんが一番興味があるだろう文化施設について、私の考えを書く。

まず、前提として二つある。

いろいろと問題はあるだろうが、今の横浜で、一般的に文化施設は、かなり整備されてきた。

美術館、コンサート・ホール、博物館等も、みなとみらいや港北ニュータウンですでに整備されている。

残るものと言えば、林前市長の場違いなオペラハウスくらいだ。

もう一つは、文化施設は、行政にとって緊急に整備すべきものではないので、ここでも最後の最後に整備されるべき施設だということである。

その中で、現実化が考えられるのは、長年横浜で、独自な活動をつづけきた横浜ボートシアターを中心とした劇場である。

ただ、言うまでもなく横浜ボートシアターだけでは、商業的に自立させることは無理だろう。

だから、彼らの船を山下ふ頭基部の山下公園側に接岸させるとしても、それだけでは運営は無理である。

そこで、まず横浜ボートシアターを水面に浮かべて、その甲板を舞台にした中劇場の「横浜ワーフ・シアター」ですべてを包含する。

客席は、600人程度で、これについては宝塚バウホールという見本がある。

           

ここは、宝塚大劇場に付置され、座席600で、新進作家や各組の二番手スターなどの公演に使用されている。

ただし、オーケストラ・ピットもなく、舞台機構も大してそろっていないが、十分に商業的公演に耐えるもになっている。

この横浜ワーフ・シアターの舞台の背景のホリゾントは、開閉式にし、かつての状況劇場のラストのように、主人公が海に消えていくような演出ができるものにする。

また、花火大会の時は、その有料席から、この花火を見られるようにするなどの工夫も可能だろう。

いずれにしても、高齢者、障碍者は、ボートに降りられないのだから、その公演を場内の映像装置で見るようにもできる。

また、この中劇場とボートの小劇場をつないで、外形的な筋書きは中劇場で進行させるが、主人公の独白シーンは、海中の小劇場でやらせて、それを中劇場の映像で見るといった立体的な演出も可能だろう。

日本には、新国立劇場のように、大、中、小の劇場を持つものは多いが、それを有機的につないだ劇場はなく、先進的な試みになると思う。

いかがでしょうか、ご意見をいただければ幸いです。

その他の文化、市民施設については、また別に書きますので、よろしく。

 

 

 

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山下ふ頭は、

2023年11月19日 | 横浜

山下ふ頭は、もともとは安保代替ふ頭とよばれ、1950年代当時、瑞穂ふ頭の全部と新興ふ頭の大部分を米軍に提供されていたので、その代替として、国に要望して建設してもらった外貿ふ頭だった。

           

だから、山下公園側のふ頭用地は、国有地、ただし管理委託で横浜市が管理運営していた。

その他の民間倉庫会社の倉庫が立っている部分は、国が個々の店社に底地を売ったので、民間企業の土地だった。

その後、横浜市が埋立をしてふ頭を拡張したので、およそ全体の70%くらいの新山下側のふ頭用地は横浜市港湾局で、民間倉庫の底地は、民間企業のものだったと記憶している。

当時は、仕事柄、横浜港の臨港地区のほとんどの土地の所有者を記憶していたのだが。

さて、その後、例の「IR」が企図され、林文子市長の命令で、「山下ふ頭の用地は、ほとんど横浜市が土地交換等をして取得した」と、4年くらい前に、当時の伊東慎介局長から聞いた。

それは、その後も変化していないはずなので、現在も横浜市港湾局の所有のはずだと思う。

もし、変化していたとすれば、大問題である。

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山下ふ頭の再開発についての私の考え・1

2023年11月18日 | 横浜

山下ふ頭の再開発について、以下に私の考えを書きます。

その一で、まずは中央部で、ここは横浜市の公共施設を作る。

なんでも良いが、老朽化から移転が決まっている横浜市大病院が最適だと思う。                

                

 

これについては、2年前に中区根岸の旧米軍住宅地区の案が出たが、およそ現実を知らない者の案と言わざるをえない。

なぜなら、根岸住宅地区のほとんどは、国有地で、ほんの数軒住宅があるだけであり、市有地はまったくないのです。

どうやって病院用地を取得するのでしょうか。国有財産審議会の審議だけでも、5年は掛かるでしょう。

さらに、あの高台にどうやって登るの?ケーブルカーでも作るのでしょうか。

その点、山下ふ頭は、IRの性で、現在はほとんど市有地ですから、どこでもすぐに建てられます。

さらに、ここを拠点に、当別養護老人ホームなど介護・福祉施設を作る。

そして、民間の有料老人ホーム、高度医療病院なども誘致する。

ここをアメリカのフロリダのような、第二の人生をおくるエリアにする。

「山下ふ頭を、日本のフロリダに!」

これが唄い文句です。

私は、別に市大病院に限りませんが、なにか行政が整備しなければならない施設を作ることが、第一に必要なことだと思うのです。

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港湾局での最後の仕事 

2023年11月16日 | 横浜

1987年春、横浜市港湾局港営課管財第一係長としての最後の仕事は、公共臨港線を廃止する申請を運輸省にすることだった。

公共臨港線とは、1964年に、新興ふ頭まで来ていた国鉄の線路を伸ばして、山下ふ頭への貨物専用線を建設したもので、当時経済成長で賑わっていた山下ふ頭の大量の貨物を鉄道でさばくものだった。

また、当時はほとんどの海外旅行客は、客船で来日し、大さん橋もにぎわっていたので、ここから出る旅行客と荷物を妨げないように、そこは高架で渡り、山下公園の端を進んで山下ふ頭に入るものだった。これについては、市民にアンケートも行って決めたのだった。

いかに貨物があったかは、19666年の鈴木清順の映画『東京流れ者』の冒頭のシーンを見ればわかる。そこでは、渡哲也をリンチするために、川地民夫、郷英治らが、渡哲也を取り囲むのは、山下ふ頭の貨物ヤードなのである。

              

     ここの部分は、モノクロになっていました

だが、1970年代以降、本牧ふ頭の整備、さらにトラック輸送の発展で、山下ふ頭から公共臨港線を使って貨物を輸送していたのは、当時は極冷という会社の「ホップ」の輸送だけで、1日1便に減っていた。

それは、毎週1便、コンテナ船でオーストラリアから輸入してくる「ホップ」を、本牧ふ頭からいったん横持ちして山下の極令の冷凍サイロに保存する。それを毎日、朝9時ごろに、山下ふ頭からキリンビールの生麦工場に運ぶものだった。

そこで、この公共臨港線を廃止することになり、その手続きをやったのだが、その年の5月に港湾局から都市計画局(実際は横浜国際会議場)に異動したので、これが港湾局での最後の仕事になったのだ。

そして、なぜ国に廃止申請をしたかといえば、この線の建設に際し、建設費総額20億円の内、10憶円を国から補助金としてもらっていたからだった。

この補助施設を廃止するとなると、「補助金返還」の問題が出てくるので、廃止申請をしたのだ。

だが、意外にも国は簡単に「補助金返還の要はなし」と回答してきた。

理由は、「20年以上使用され、現状は周囲の状況から不必要になったので、仕方がない」だった。

本当の理由は、この臨港線の元になる新興ふ頭への国鉄線は、桜木町駅海側に大きな踏切があり、人流を妨げていたからだった。

2年後に予定されていた横浜博覧会89、さらにみなとみらい21の開発に、この大きな踏切は邪魔だとのことで、廃止して、踏切もなくしたのである。

今は、鉄道道となっている部分の手前である。

 

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「山下ふ頭全盛時代 『無頼非情』」

2023年11月03日 | 横浜

冒頭10分くらいは見損なうが、19868年山下ふ頭全盛時代の映像である。

             

1967年の傑作『拳銃は俺のパスポート』の最後の宍戸錠と若親分杉良太郎との対決のシーンが、本牧のDふ頭なのだから、この時期、すでにコンテナーふ頭への転換は進行していた。だが、岸壁では人力とフォークリフト等による沿岸荷役が行われていたのだ。

脚本山崎巌、監督江崎実。主演はもちろん、渡哲也で、横浜で出会う女は松原智恵子、その父親は、高品格。彼は、元はヤクザだったが、足を洗って昼間は、山下公園で売店をやり、夜はレストランをやっている。

松原は、レストランでピアノを弾き、

高品は「ピアノ目当てに客が来やがる・・・」と喜んでいるが、彼女が弾くのは『月の砂漠のみ』

内田良平、渡辺文雄、内田朝雄、名和宏、郷英治らも出てくるが、意外にも内田良平は、善玉で、一番悪いのは渡辺文雄である。また、扇千景がここでも出てくる。

港湾運送事業は、法で規定され、沿岸、船内、筏、はしけ、エゼント、検数・検定、検量などの区分されていて、それが公共岸壁の1つづに定められている。完全な規制業種だが、これは1940年代の国家総動員法に決められたもので、兵員や武器を能率的且つ安全に輸送することが最大の目的だった。

だから、基本的に日本人以外には免許は与えられておらず、明治以降横浜のはしけ事業で莫大な財をなしたヘルム一族も免許を取り上げられたので、すべての財産を不動産にして、それが本牧のヘルム山となり、今ではエレベーターのあるマンションとなっているのだ。

私は、このときに、ドナルド・ヘルム氏と港湾局の境界査定を担当した。このとき、付いてきて通訳をやったのは、中国人のロバート・ジー氏で、「これが買弁か」と思ったものだ。

全盛期の山下ふ頭の荷役の様子が出てくるので、かなり貴重な映像である。

荷役事業の内、一番重要なのが船内で、これは危険で、さらに荷の据え付けには経験と工夫がいるので、港湾荷役事業では一番幅を利かせていたが、藤木企業は、船内の会社である。

こうした区分を消したのがコンテナー荷役だが、それでも元船内が偉いようにみえる。

例によって悪辣な渡辺の仕業にたえられず、渡は、渡辺と内田朝雄の作業場、あのハンマーヘッドクレーンの周囲のようにみえる。そこから彼らの倉庫に追い詰めて、決闘になる。

そこは、塗料の缶が詰み上げられているが、それが崩れてひっくりかえり大量のペンキが床に流れる。

その油性の塗料の上で、渡哲也と渡辺文雄は、すべりながら戦う。

黒澤明の『酔いどれ天使』の最後の三船敏郎と山本礼三郎のアクション・シーンのように。

ここは、脚本の山崎巌や監督の江崎実生らが、黒澤明から受けた影響の大きさがわかる。

最後、渡は、本来は扇千景に渡るはずだった300万円を新興ふ頭内の牛乳屋に預けて、万国橋から去って行く。

 

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