狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

後序

2006-08-27 21:43:01 | 本・読書

「新修平仄字典」林古径の、釈清潭の「序」を引用して、四声雑学としてブログに書いた。この序文は漢文である。しかも訓点がない。さらにその漢文たるや、正字あり俗字ありで、正俗交々、漢字ばかり並べた文で、意の概略は理解できるとしても、訓読せよとなると、難解は否めない。まして、無学の小生に於いておや。
字典読者の対照は、邦人、即ち日本人である。もう少し親切に書いてくれよと言いたくもなる。
折りしも、是非「読み下し文を…」というコメントをましま氏から賜った。
少しベンキョウの時間を、お願いし、その前に字典「後序」を引用して、この書の概略をご理解頂きたい。

後序
予幼時、詩を学ぶ、常に韻字平仄に苦しめり。十四五に至りては、日常用ふるところの語、大抵知らざるはなかりき。偶、先人の遺筐を開いて、韻字に国訓を附せるものあるを見、大に之を悦び珍重愛玩す。會、人之を取り去る。乃ち自ら之を作為せんと欲し、終に果さざりき。書名巻冊今凡て之を忘る。二十前後、全く念を漢詩に断ち、作らず作らしめず、百事抛擲す。三十五六歳に至り、清潭大獅子吼林氏に遇ひ、宿縁再薫、吟詠時に日夜を忘る、此の時、勉めて古人の詩を読み、近代人繊麗巧緻の風に陥らざるを以て務めとせり。然れども韻字平仄に至りては已に茫然一失、殆ど憶に存するなし。其の苦、想ふ可し。淡社詩盟成り、雑誌漢詩の創刊せらるるに及んで、米峰高島大人提議して曰はく、天山川上檉君と予と胥謀りて、當に平仄字典を作るべしと。二人悦んで事に従ふ。已に稿を起こすこと数十行、天山遽かに伯氏の憂に居り、棣蕚の義、故山に帰農し、遺孤を鞠育せざるべからずに会ふ。これより以後、予獨、事に當る。大正四年秋に始まり。大正十年夏に至りて一たび筆を擱く。稿の成るに従ひ、之を紙型に付す。中ごろ、東京活字職工の時間制問題あり、或は原稿の紛雑等、事累頻に至りかつ校正意の如くならず、怒りて泣かんと欲するに至る。其の校正の数、大抵七度、多きは十一度に至る。然れどもなほ脱誤多からんことを怒る。大正十年臘末集秀英舎紙型紛失の責を謝し、原稿の再造を乞ふ。乃ちその頁数を再記し、更に全部を訂正増補し、別に新に補遺を作り、遂に以て公刊するを得るに至れり。事は実に、大正十二年三月なり。爾来九星霜、其の間、誤脱を発見するもの少なからざるのみならず、読者中、或は菊版にては携行不便なりと言ふものあり、或は常用韻字の一覧表。平仄両韻表の如きあらば、便益少なからざるべしと言ふものあり、或は初学者のために、漢詩の作法を添へられたらんにはなどと言ふものあり。乃ち、これ等の要望を満足せしめんがために、旧版を廃棄して、さらに新にこの『新修平仄字典』を編著したる所以なり、この書元より大方君子に示さんとするにあらず。ただ幼年学詩者に、韻を知り、字を識らんとするの便に供するのみ、蓋し多少の裨補なくんばあらざるなり。若し今人の誇るが如く、歳月の悠久を以て能事戸なさば、此の泛泛たる一冊子、亦以て大著作となすべきなり。然れども、予かつて先賢先哲の遺著を見、其の精神と異常なる熱心と、異常なる苦心に驚き、涕涙搒沱、禁ずる能はざることありき。是を思いば、此の書の如きは、泛泛たるの中の最も泛泛たるものたるべきなり。
昭和九年九月
   於四時佳興楼
    古径 林竹次郎


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