狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

D.Keene著作本について

2006-09-19 22:02:46 | 阿呆塾

私は決して読書家ではない。しかし「本」の話になりと、やはり嬉しい。そして愉しい。
それは、湖の岸辺の面に、釣竿を垂れて、いつかかってくるのか分からない獲物を、焦ることなくじっくりと、待っている人類と同じだろうと思う事がある。(オレは、あれほど聖人君子のような気分にはなれないが…)

希有の読書家であり、勤勉超人的、時の学習塾講師V先生とブログの上で、得がたい好誼を得た。
私が、D.Keeneの「碧い眼の太郎冠者」のことを書いたら、早速
「その本は、ネット扱いは、中止になっておりました。我が家の近くには、ブックオフ以外古本屋がありません。
手に入るものも沢山あったというより、ありすぎでしたので、もし、“これが良かろう”というようなものがあれば、一冊でも二冊でも、教えていただけませんでしょうか。」というコメントを頂いたのである。これにはすっかり狼狽してしまった。

V先生と小生とでは学問のレベルが違う。隔たりがあまりにもおおき過ぎる。
しかし、皇室さまだって、週刊誌のネタになるような今日、魂消ることもあるまい。
 と、ボクは、己の程度で、これはV先生に薦め出来ると思う本は、
「D.Keene 『声の残り』朝日文庫である。」と小さい声で囁く次第なのである。
怱々。謹言。

<余聞>
この本は1992年(平成4年)4月1日から、朝日新聞朝刊に連載されたものを、「大幅加筆したものである」と解説がある。(ボクはその新聞を切り抜いて2冊のファイルに綴じ込み、保存してある。ところが今捜したのだが、1冊37回分だけしか見つからぬ。だから何回に亘って連載されたのか、今のところ不明である)。

この連載ものは、完結次第単行本になることは充分予測できた。しかし、これまでのその種の例を見ると、新聞掲載の挿絵は、ほとんど削除されていたから、ボクはわざわざ切り抜きという、面倒な作業を実行したのであった。
新聞には、毎回、守屋多々志の軽妙な日本画風の絵が挿入されていたのである。