きのう(6月29日)、広島市の平和公園とアメリカのパールハーバー国立記念公園が「姉妹公園協定」を結んだことをテレビで知った。
公園は人間ではないから「協定」を結ぶことはできない。この主語は人間であるべきだ。正しくは、東京のアメリカ大使館で、きのう、ラーム・エマニュエル駐日米国大使と松井一實広島市長が姉妹公園協定書に署名したということだ。エマニュエルはアメリカ政府を代表し、松井は広島市の地方政府を代表しているわけだ。
ここでも、日本語は不正確で、松井は「市」を代表しているのではなく、「地方政府」を代表しているのである。広島市議会でこの協定が承認されたとはまだ聞いていない。
この協定が結ばれるに至った背景を、NHKは6月22日にホームページでつぎのように書いている。
〈ことし4月、アメリカ側から広島市に対し、G7広島サミットをきっかけに協定を結びたいという打診があり、広島市は5月のG7サミットで出された核軍縮に関する声明「広島ビジョン」の実現に向けた機運の醸成につながるとして、受け入れることを決めました。〉
アメリカ側とは「アメリカ政府」である。アメリカ政府と広島市の地方政府とが協議するなんて、格が違うから不自然である。アメリカ政府が日本政府に「姉妹公園協定」を結ぶように働きかけたということであろう。日本政府が広島市の地方政府に協定を結ぶように迫ったのだろう。松井市長が協定を結ぶことにためらいがあったから、調印までに時間がかかり、調印式がきのうになったのであろう。
何か不愉快なものを私は感じる。
きょうの時事ドットコムニュースをみると次のようにある。
〈松井氏は両公園について「戦争の始まりと終わりを象徴する場所だ」と指摘した上で「平和を願う両国民の思いは同じだ」と述べた。エマニュエル氏は「かつて対立の場であった両公園は、今では和解の場となった」と強調した。〉
エマニュエルは、この協定は日本とアメリカとの「和解」の象徴であると言っている。ところが、松井は「平和の願い」の象徴と言っている。ずれがある。
広島平和記念公園は、戦争反対の象徴なのだ。核兵器だけを使わなければ戦争をしていいと言っているわけではない。核兵器を使わなくても戦争は殺し合いであり、悲惨なのだ。
中沢啓治の『はだしのゲン』は、原爆だけでなく、戦争中に日本で言論の弾圧があり、戦争反対をいうと暴力を受けたこと、戦後は被爆をしたということで同じ日本人から差別といじめを受けたことを描いている。
アメリカ政府の意図は何だろう。
バイデン大統領が広島平和記念資料館を訪れたのは、アメリカと日本の80年前の戦争の「和解」を演出するためであって、日本政府に無条件降伏を受け入れさせるために1945年に広島と長崎にアメリカ政府が核兵器を使用したという立場を変えていないとアメリカ国民に言いたいがためである。
私が感じた不愉快なものをここにあるのだ。岸田文雄はアメリカ政府と共に、広島の原爆ドームや記念資料館のもつ意味合いを変えて、軍事予算を倍増させ、軍備拡張競争に踏み込んでいる。人をバカにしている。不愉快を通り越して怒りを感じる。