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城中心のお出かけ記

お城などの歴史系や、奇岩など絶景・奇勝系を求めるお出かけ記です。一番好きな城は姫路城、好きな武将は藤堂高虎です。

三戸城

2019年05月17日 | 
三戸城には車で登れるのですが、満車だったせいか通れず麓で車を停め、歩いて登りました。
そのおかげで綱御門とか城の雰囲気を味わいながら見ていけました。
模擬天守の歴史民俗資料館あたりは桜が綺麗で、本丸は駐車場やイベント広場になっていてかなり広大でした。
鍛冶屋御門は石垣が結構残っていて、見応えがありました。

・三戸城
・日時:2019年4月28日 午後 晴れ
・場所:青森県三戸郡三戸町梅内城ノ下

・遺構:模擬天守、模擬門、石垣、空堀、土塁、曲輪、碑、説明板
・歴史
永禄年間(1558~1570年) 南部晴政が築城
1590年 南部信直は豊臣秀吉に南部七郡の領有が認められ、三戸城を本拠とする
1591年 九戸政実の乱を豊臣秀吉軍と制圧し、福岡(九戸)城に移る
1633年 南部氏は盛岡城に移る
貞享年間(1684~1688年) 城代が廃され代官が常駐する




物見櫓跡

綱御門

綱御門

鳩御門

模擬天守(歴史民俗資料館)





空堀

鍛冶屋御門の石垣

鍛冶屋御門の石垣

鍛冶屋御門の石垣

鍛冶屋御門の石垣

北側景色

四戸城

2019年05月15日 | 
四戸城は別名金田一城で、城主は四戸氏で地名からすると金田一城です。青森県と岩手県の一~九の戸の地名では四戸だけは現在ないそうです。
戸は牧場のあった場所とか守備兵の駐屯地とかの意味らしいです。
城は上館、中館、下館と曲輪があり、上館はべこ石があり、中館は土塁が巡っていて、下館は遺構はよくわからなかったです。
これで帰ろうとしましたが上館から西側に道があったので入っていったら、結構深い空堀がありました。さらにその堀の曲がった先には見事な薬研堀になっていて見れて良かったです。

・四戸城(金田一城)
・日時:2019年4月28日 午前 晴れ
・場所:岩手県二戸市金田一舘

・遺構:空堀、土塁、曲輪、説明板
・歴史
四戸氏が居城 戦国末期には九戸氏と姻戚関係
1591年 四戸宗元は弟金次郎の流言で秋田へ逃れ、病死しました。四戸城は九戸方に対する南部信直方の居城となり、九戸の戦いの後、廃城となる

べこ石

中館の土塁

上館の堀

上館の堀

上館の堀

九戸城

2019年05月14日 | 
九戸城は高低差こそ20m程の平山城ですが、ほぼ垂直の切岸が半端なく壁が反り立っているようで、石垣よりもすごいかもしれません。
空堀も深くて、各曲輪間に堀がありました。
本丸の堀の内部には石垣があり、蒲生氏郷時代になって作られたものらしく、結構大きな石垣を使っていて草が生えていましたが魅力的な石垣でした。
これだけの素晴らしい城だったので、結果を知った上での考えなんでしょうけど、和睦せずに冬まで籠城できていたらと、また違った結果になっていたのかなと勝手に思ってしまいます。

・九戸城(福岡城)
・日時:2019年4月28日 午前 晴れ
・場所:岩手県二戸市福岡城ノ内

・遺構:石垣、空堀、土塁、碑、説明板
・歴史
明応年間(1492~1501年) 九戸光政が築城
1591年 九戸政実は南部信直に対して挙兵(九戸政実の乱)
豊臣秀吉は豊臣秀次を総大将に6万の軍を送り、5千人の九戸軍は和睦に応じるが、城内の者は撫で斬りされる
蒲生氏郷は九戸城を改修し福岡城とし、南部氏が本拠とする
1597年 盛岡城に本拠を移す
1636年 廃城



三の丸土塁と堀

 本丸垂直切岸と深田堀

大手口

本丸空堀

空堀と石垣

石垣

 石垣と空堀

桜吹雪

本丸追手門

本丸空堀

二の丸搦め手

二の丸と若狭館間の堀

 石沢館と二の丸の堀

 本丸と二の丸間の堀

一戸城

2019年05月12日 | 
一戸城は北館が公園になっていて南側の八幡館との間の道路が堀跡のようで結構深い構造になっていました。

・一戸城
・日時:2019年4月28日 午前 晴れ
・場所:岩手県二戸郡一戸町一戸大沢

・遺構:空堀、曲輪、碑
・歴史
建長年間(1249年~1256年) 一戸(南部)義実が築城
1581年 城主の一戸父子は殺害され一戸氏の嫡流が滅亡し、九戸政実の腹心の一戸図書が入ったが、南部信直は一戸城を攻め落とし、北主馬秀愛を城主とする
1591年 九戸政実の乱では籠城する
1592年 豊臣秀吉の命により廃城

北館と八幡館間の堀(道路)

北館

北館

空堀



わずかな土塁?




大館城

2019年05月11日 | 
大館城は桂城公園になっていていました。
水堀、土塁、石垣が残り、堀跡が国道7号線として使われていました。
すごく晴れていて桜が綺麗で景色も良かったです。

・大館城
・日時:2019年4月28日 午前 晴れ
・場所:秋田県大館市中城

・遺構:水堀、土塁、石垣、曲輪、説明板
・歴史
1550年 浅利勝頼が築城
1582年 浅利勝頼は安東愛季によって殺害され、安東(秋田)氏が支配する
1588年 城代の五十目氏が南部氏に内応し、南部氏の支配下となる
1590年 秋田実季が奪還
1602年 秋田氏は常陸国へ転封し佐竹義宣が入封する

 水堀

 土塁

 堀跡の道にかかる橋

 碑

土塁

水堀


大仏ヶ鼻城(石川城)

2019年05月10日 | 
大仏ヶ鼻城は桜が咲いていて遠くからでもあそこが城と分かるほど形の良い小山にありました。
公園化されていてどこまでが遺構か判断は難しいですが、一番高い主郭に土塁がありその下に竪堀がありました。
そして景色もよく岩木山は雲がかかり相変わらず見えず、それでもこの周辺を一望することができます。
わざわざ電車が来るのを待って撮ることはありませんが、城とか山とかで電車が通るとついつい撮りたくなりにわか撮り鉄になります。更にあまりこない地方では電車の形や色などを見ることが好きです。ここでは奥羽本線と弘南鉄道が本数が少ないのに見れてそれも嬉しかったです。

・大仏ヶ鼻城(石川城)
・日時:2019年4月27日 午後 曇り
・場所:青森県弘前市石川大仏

・遺構:土塁、竪堀、曲輪、碑、説明板
・歴史
1334年 曽我道性が築城
1533年 南部高信が津軽を制圧し、石川城を居城として石川氏と称する
1571年 大浦為信が攻め落城



三の丸

岩木山方面

弘南鉄道

奥羽本線

土塁

土塁

竪堀

大仏ヶ鼻城遠景

堀越城

2019年05月09日 | 
堀越城は整備されていて土塁や堀が一部復元されていました。
丸みをおびた低い土塁や堀に慣れてしまったいるので、エッジのきいた土塁や堀にやりすぎな感じすら感じてしまいましたが、自分が今まで見てきたのは月日が経って崩れた土塁や埋まった堀ということを考えると、これがむしろ戦国当時の姿だったのかもしれません。
土塁の虎口は相手に内部を見せずに隠れつつ攻撃ができるものであることが分かりやすかったです。

・堀越城
・日時:2019年4月27日 午後 曇り
・場所:青森県弘前市堀越柏田

・遺構:堀、土塁、曲輪、碑、説明板
・歴史
1336年 曾我貞光が築城
1594年 津軽為信が大浦城から堀越城に移城
1611年 弘前城に移る
1615年 一国一城令で廃城



二の丸虎口

二の丸土塁空堀

水堀

三の丸土塁

三の丸虎口

三の丸空堀

三の丸堀

三の丸虎口

外堀

本丸土塁

二の丸

二の丸土塁

二の丸土塁堀

本丸水堀

弘前城

2019年05月06日 | 
弘前城には14年ぶりに訪れました。前回は電車バス旅で大変だった思い出でしたが、同じGW時で桜が見事で岩木山がよく見えました。
今回はあいにくな雨で岩木山は見えませんでしたが、桜が満開で雨のせいかこの時期としては人が少なかったのが救いでした。
自分的にはここの桜が日本一すごいかなと思ってましたが、さすがに見事な咲きっぷりでした。ソメイヨシノだけではなく52品目も桜があるということで、全部が咲いてたわけではないけれど、それが色合いを含め素晴らしかったです。
臨時駐車場から四の丸から天守周りの櫓や門を見てから、天守に向かいました。その中でも追手門の水堀越しの土塁があり門があるという構造の景色が良かったです。
石垣の修復中で天守は本丸内に移動していましたが、天守内の見学はできました。映像でも見ましたがこれだけの天守を移動させるのもすごいことでびっくりです。でもまた元の位置で石垣が修復されて見てみたいです。

・弘前城
・日時:2019年4月27日 午後 雨
・場所:青森県弘前市下白銀町

・遺構:現存天守、現存櫓、現存門、石垣、水堀、土塁、曲輪、碑、説明板
・歴史
1603年 津軽為信が築城を計画
1609年 津軽信枚が築城開始
1627年 落雷で天守が焼失
1810年 蝦夷地警備の功績で、隅櫓を改築し天守とする

四の丸水堀

丑寅櫓

東内門

東門

辰巳櫓

追手門

未申櫓

修復中石垣

天守

天守

岩木山方面

天守

石垣

内堀石垣

桜のトンネル

桜のトンネル

北門

浪岡城

2019年05月05日 | 
浪岡城は各曲輪間に二重か三重の堀が巡っていて、その間には土塁(中土塁)が中洲のように人が二人ぐらいしか入れない程度の太さでありました。
現在の堀の深さこそ浅いですが、雨が降っていたのもあり湿地状にもなっていて、簡単に堀に侵入ができそうにもない状態になっていました。
各曲輪は堀で囲まれていてまるで川に囲まれた島のようにも見え、そして広さがあり居城スペースも確保されていました。
三重県を拠点としていた北畠氏の一族がこちらに来ていたことにも驚きました。

・浪岡城
・日時:2019年4月27日 午前 雨
・場所:青森県青森市浪岡大字浪岡五所

・遺構:堀、土塁、井戸、曲輪、碑、説明板
・歴史
1460年頃 浪岡(北畠)氏が築城
1562年 親族間で争いが起こり、勢力が衰える
1578年 津軽為信に攻められ落城

 碑

東館の堀

東館

 東館と北館間の堀

 東館と北館間の堀

 東館と北館間の堀

二重堀と碑

内館と西館間の堀

内館と西館間の堀

内館と西館間の堀

西館と剣校館間の堀

 北館と西館間の堀

内館と西館間の堀

内館と猿楽館間の堀

大阪城

2019年04月14日 | 
大阪城には10年ぶり4回目に訪れました。
普段の人の多さに桜の時期で更に人が多く、あまりゆったりは見れなかったけど、桜が綺麗でした。
圧倒的な広さで、水堀は広くて、石垣は高く、屏風折れが幾重にもなっていたり、近世城郭の完成形ともいえるような素晴らしい城でした。


・大阪城
・日時:2019年4月6日 午後 晴れ
・場所:大阪府大阪市中央区大阪城

・遺構:復興天守、現存櫓、門、石垣、空堀、水堀、土塁、井戸、曲輪、碑、説明板
・歴史
1583年 豊臣秀吉が築城開始
1614年 大坂冬の陣後に堀を埋め立てられる
1615年 大坂夏の陣で落城し、豊臣氏は滅亡
1620年 徳川秀忠の命で藤堂高虎が普請を行う
1665年 天守は消失

大阪城東側から

青屋門

内堀

極楽橋

石垣巨石

天守

天守

天守から西側

天守から北側

空堀

空堀

大手門と千貫櫓

 内堀

一番櫓

天守

乾櫓

六番櫓

外堀

外堀

外堀