城中心のお出かけ記

お城などの歴史系や、奇岩など絶景・奇勝系を求めるお出かけ記です。一番好きな城は姫路城、好きな武将は藤堂高虎です。

甲良宗広の銅像

2014年01月14日 | 銅像
甲良宗広の銅像が甲良町町役場の近くにありました。たまたま帰り際に銅像があるのを見つけそれが甲良宗広の銅像でした。
知らなかった人物でしたが日光東照宮の建設にあたった人で、藤堂高虎と同じこの甲良で共に縄張り、建設と土木の技術責任者として、さらに穴太衆の石垣造りなど戦国、江戸時代で日本の基礎をこの地方は作ったんだなと実感しました。

・甲良宗広の銅像
・日時:2014年1月5日 午後 晴れ
・場所:滋賀県犬上郡甲良町法養寺

・甲良宗広
1574年 近江犬上郡甲良庄法養寺村で生誕
大工・建築を行う
1632年 増上寺台徳院霊廟を手がける
1636年 日光東照宮を手がける
1639年 上野寛永寺の五重塔を手がける
1646年 死去



藤堂高虎の銅像

2014年01月13日 | 銅像
藤堂高虎の銅像が在士館の高虎公園にありました。ほぼポーズとしては三重県の津城の高虎像とほぼ同じポーズですが、見比べると若干違う気がします。

・藤堂高虎の銅像
・日時:2014年1月5日 午後 晴れ
・場所:滋賀県犬上郡甲良町在士

・藤堂高虎
1556年 近江国に藤堂虎高の次男として生まれる
浅井長政に属し、浅井氏の旧臣だった阿閉貞征、磯野員昌の家臣として仕える
大溝城主の織田信澄の家臣として仕える
1576年 羽柴秀長に仕える
1583年 賤ヶ岳の戦いで武功をたてる
1591年 秀保の代理として翌年の文禄の役に出征
1595年 高野山に出家、宇和島城主となる
1597年 慶長の役にも水軍として参加
1600年 関ヶ原の戦いで東軍として武功をあげる
1608年 伊賀、伊勢22万石に加増
1614,1615年 大阪冬の陣、夏の陣
1630年 死去




在士館

2014年01月12日 | 
在士館は自分が好きな戦国武将の藤堂高虎の生誕地です。
遺構は特にありませんでしたが、藤堂高虎の銅像や大阪城の再建時の残念石などがありました。

・在士館
・日時:2014年1月5日 午後 晴れ
・場所:滋賀県犬上郡甲良町在士

・歴史
藤堂氏が築城




目賀田城

2014年01月11日 | 
目賀田城は目賀田城址公園として整備されていて、これぞ土塁という立派な土塁がありました。

・目賀田城
・日時:2014年1月5日 午後 晴れ
・場所:滋賀県愛知郡愛荘町目加田

・遺構:土塁
・歴史
佐々木六角氏の家臣の目賀田氏が築城






吉田城

2014年01月10日 | 
吉田城の碑が酒蔵の見学用駐車場の隅にありました。

・吉田城
・日時:2014年1月5日 午後 晴れ
・場所:滋賀県犬上郡豊郷町吉田

・遺構:碑
・歴史
佐々木秀義の六男厳秀がこの地を治め吉田氏と名乗る
1571年 織田信長に宇曽川の戦いで敗れる


肥田城

2014年01月09日 | 
肥田城は田んぼの真中に碑や説明板、地図があり、それをもとに土塁、堀がある所を見てきました。

・肥田城
・日時:2014年1月5日 午後 晴れ
・場所:滋賀県彦根市肥田町

・遺構:土塁、堀
・歴史
六角氏の命により高野瀬隆重が築城
高野瀬秀隆の代に浅井長政につく
1559年 六角氏に肥田城の水攻めされる
1560年 野良田の戦いと2回浅井方の援軍で勝利する
信長、秀吉の元で蜂屋頼隆と長谷川秀一が城主となる
長谷川秀一の病死で廃城






和田山城

2014年01月08日 | 
和田神社の方から和田山城に階段を上がっていき、わかりにくいけどなんとなく高い方に進んでいくと土塁がある主郭に到着しました。土塁があることは何とか分かりましたが、それのみしか分かりませんでした。

・和田山城
・日時:2014年1月5日 午後 晴れ
・場所:滋賀県東近江市神郷町

・遺構:土塁
・歴史
六角氏の一族の和田氏が城主







佐生城

2014年01月07日 | 
佐生城は観音寺城と同様に石垣を用いた城でしたが、広さはかなり狭くコンパクトな城となっていました。

・佐生城
・日時:2014年1月5日 午後 晴れ
・場所:滋賀県東近江市佐野町

・遺構:石垣、土塁
・歴史
佐々木六角氏重臣の後藤氏が築城
1563年 後藤堅豊父子を六角義弼が謀殺した事から観音寺騒動が起こる
















六角定頼の銅像

2014年01月06日 | 銅像
六角定頼の銅像が繖山トンネル入口にありました。
あらかじめ調べて行ったので見つけましたが、駐車場もなくトンネルの直前に突然あります。さらに普通台座に名前ぐらいは書いてますが何もなくかなり不親切な銅像でした。

・六角定頼の銅像
・日時:2014年1月5日 午後 晴れ
・場所:滋賀県東近江市五個荘石馬寺町

・六角定頼
1495年 生誕
1504年 相国寺慈照院に僧侶として入る
兄氏綱が負傷、病死した為、還俗して家督を継ぐ
足利義稙に仕え、細川政賢を討つ
楽市楽座を行う
1552年 死去




観音寺城

2014年01月05日 | 
あけましておめでとうございます。昨年はあまり城めぐりできなかったので、今年はもっと行けたらと思ってます。
今年の最初は観音寺城に行ってきました。
麓に赤坂道の階段をひたすら上り20分程度で観音正寺につきました。そこから西に進むと本丸さらに南に行くと平井丸、落合丸、池田丸と進みました。とにかく石垣が素晴らしく、至る所に石垣があり、大きな石の石垣や高石垣もあり、土塁背後にも石垣がありました。
その後本丸北の小さな曲輪を通って繖山の頂上まで行き、その途中にも石垣が点在していました。繖山の三角点からは景色がよく、琵琶湖、伊吹山、鈴鹿山系がよく見えました。
そこからさらに観音正寺に戻る道では土橋らしい所や堀切があり、佐々木城址の碑があり、巨岩や石垣も点在していました。
広すぎて全部回りきれませんでしたが、石垣だらけで石垣好きな自分には大満足の城でした。

・観音寺城
・日時:2014年1月5日 午前 晴れ
・場所:滋賀県近江八幡市安土町桑実寺

・遺構:石垣、土塁、空堀、井戸、堀切
・歴史
1335年 佐々木(六角)氏頼が城に拠り、北畠顕家と対峙すると太平記に記載
1568年 織田信長が上洛する際、六角義賢・義治父子は観音寺城から逃げ無血開城する