城中心のお出かけ記

お城などの歴史系や、奇岩など絶景・奇勝系を求めるお出かけ記です。一番好きな城は姫路城、好きな武将は藤堂高虎です。

川越城

2018年05月27日 | 
川越城は本丸御殿が現存していて、二条城と比べて華やかさやこそ及びませんでしたが、逆に武士向けらしい作りになっていました。
三芳野神社には土塁があり、ちょっと離れた所には富士見櫓がありましたが立入禁止になっていました。

・川越城
・日時:2018年5月4日 午後 晴れ
・場所:埼玉県川越市郭町2丁目

・遺構:本丸御殿、土塁、櫓台、碑、説明板
・歴史
1457年 扇谷上杉氏は太田道真道灌父子に築城を命じる
1537年 北条氏綱は川越城を奪取する
1546年 扇谷・山内両上杉氏は古河公方足利晴氏と結び包囲するが、北条氏康による夜襲で連合軍を撃退する(河越夜戦)
1590年 小田原攻め時は前田利家に攻められ落城















武蔵松山城

2018年05月25日 | 
武蔵松山城は巨大な空堀が残っていたのですが、結構草木に覆われていてこの先はどんな遺構が残っているのかというワクワクとこのまま進めるのかいうドキドキがありました。
それでも堀も深さは分かったし素晴らしい城でした。

・武蔵松山城
・日時:2018年5月4日 午後 晴れ
・場所:埼玉県比企郡吉見町北吉見

・遺構:土塁、空堀、堀切、曲輪、碑、説明板
・歴史
1399年 上田友直が築く
1537年 北条氏綱は上田正広の籠る松山城を攻撃、後に北条側につく
1561年 上杉謙信が奪取して太田資正を城代にする
1562年 北条氏は武田氏の援軍を得て勝利し、再び北条氏の城となる
1590年 小田原攻めの際に、前田利家や上杉景勝らの攻撃により落城
1601年 松平忠頼が浜松藩に移封し廃城




















吉見百穴

2018年05月23日 | 考古
吉見百穴に行ってきました。岩山にボコボコと穴があいていて、アリの巣のようななんとも奇妙な所でした。
この穴は何かというと集合墳墓のようで、地階の洞窟内は地下軍需工場だったそうです。

・吉見百穴
・日時:2018年5月4日 午後 晴れ
・場所:埼玉県比企郡吉見町北吉見











小倉城

2018年05月22日 | 
小倉城には林道で城の南側まで車で行き、そこからほぼ高低差なく城まで行けました。
城につくと堀切に竪堀があり、そのまま進むと主郭と二郭のあいだも堀切になってました。
主郭は何箇所も虎口がはっきりとあり、その土塁部分に石垣も使われてました。
主郭の南側の三郭は細長い石垣が残っていて、関東では珍しい石垣で、利用できる石を持ってきて、独自に工夫して作ったのかなとか思いつつ堪能できました。

・小倉城
・日時:2018年5月4日 午前 晴れ
・場所:埼玉県比企郡ときがわ町田黒

・遺構:石垣、土塁、堀切、空堀、虎口、曲輪、碑、説明板
・歴史
後北条氏の家臣の遠山光景の説た松山城主上田氏の説がある




































畠山重忠の銅像

2018年05月20日 | 銅像
畠山重忠の銅像が菅谷館にありました。

・畠山重忠の銅像
・日時:2018年5月4日 午前 晴れ
・場所:埼玉県比企郡嵐山町菅谷

・畠山重忠
1164年 畠山重能の次男として現在の深谷市で生誕
1180年 源頼朝が挙兵した時に平氏方に属するが、同年頼朝に帰順する
1184年 宇治川の合戦、一の谷合戦で活躍
1189年 奥州合戦で活躍
1205年 北条時政に子の重保が謀殺され、重忠も北条義時と戦い討死





菅谷館

2018年05月19日 | 
菅谷館はその直前に行った杉山城とは違って、広大でデンと構えていて、大量の兵士でも籠城が可能なほどでした。
遺構は大きな空堀に土塁があり、大変満足な城でした。

・菅谷館
・日時:2018年5月4日 午前 晴れ
・場所:埼玉県比企郡嵐山町菅谷

・遺構:土塁、空堀、水堀、曲輪、碑、説明板
・歴史
鎌倉時代 畠山重忠が居城
1488年 山内上杉氏の家臣の太田資康が改修






























杉山城

2018年05月17日 | 
杉山城は一つ一つの曲輪は小さめでコンパクトですが、土塁と空堀が至る所に巡らされていました。
しかも簡単に本丸にたどり着けずに、自分は南の曲輪から井戸曲輪、先に北の曲輪を周り本丸に到着しました。最後東の曲輪を周りようやく一周です。曲輪に入るのには虎口があり、土橋で少人数しか入り込めないようになってます。
メインの居城するような城ではなく、少ない兵でも一定期間は耐えられるような堅固な城で、遺構がくっきりと残って保存状態もよい素晴らしい城でした。

・杉山城
・日時:2018年5月4日 午前 晴れ
・場所:埼玉県比企郡嵐山町杉山

・遺構:土塁、空堀、土橋、曲輪、井戸跡、碑、説明板
・歴史
山内上杉氏の城?











































鉢形城

2018年05月15日 | 
鉢形城は荒川の崖の上にあり、それなので本丸にはたいした遺構もなかったですが、二の丸三の丸と進んでいくと巨大な空堀に土塁が凄まじいです。三の丸には門や、石垣などが再現されていて、こちら側に防御を集中しています。
三の丸から歴史館に行く途中もドでかい空堀があり、そしてとにかく広大です。

・鉢形城
・日時:2018年5月3日 午後 曇り
・場所:埼玉県大里郡寄居町鉢形

・遺構:空堀、土塁、石垣、曲輪、井戸、模擬門、模擬四阿、碑、説明板
・歴史
1476年 長尾景春が築城
1478年 上杉氏の家臣太田道灌が攻め、上杉顕定が入城
その後藤田康邦が城主となる
1564年 北条氏邦が鉢形城へ入城
1590年 豊臣秀吉の小田原攻めでは、前田利家、上杉景勝らの攻撃で落城

































花園城

2018年05月13日 | 
花園城は竪堀と堀切がすごくて、まず登っていく所から隣に竪堀があり後に登山道も竪堀になってます。
そして各曲輪間は深い堀切がありその堀切がそのまま竪堀になっています。
それが何個も続いて岩盤を削って堀切にしていたりまた竪堀が屈折している所もあり絶対に攻めさせない気概を感じます。
また登っていた曲輪や主郭にも石垣があったりもしました。


・花園城
・日時:2018年5月3日 午後 曇り
・場所:埼玉県大里郡寄居町末野

・遺構:石垣、堀切、竪堀、空堀、土塁、曲輪、碑
・歴史
平安時代末期 猪俣政行が築城し藤田氏と名乗る
1590年 豊臣秀吉の小田原攻めにより鉢形城と共に落城したとみられる




































忍城

2018年05月11日 | 
忍城は行田市郷土博物館となっていて、模擬天守に土塁や水濠が残っていました。
行田市は古代の古墳に、のぼうの城の成田長親と石田三成の戦いの舞台、陸王の足袋の町という結構有名な舞台となった場所でした。

・忍城
・日時:2018年5月3日 午後 曇り
・場所:埼玉県行田市本丸

・遺構:模擬天守、門、土塁、水堀、曲輪、碑、説明板
・歴史
1490年 成田親泰が築城
1590年 豊臣秀吉による小田原征伐で、石田三成等水攻めを決行するが落城できず
1592年 家康の四男・松平忠吉が10万石で入封
江戸時代 酒井忠勝、松平信綱、阿部忠秋らが入城