竹中氏陣屋 2013年05月25日 | 城 竹中氏陣屋は門、石垣、水堀、土塁に竹中半兵衛の銅像がありました。 ・竹中氏陣屋 ・日時:2013年5月19日 午前 曇り ・場所:岐阜県垂井町岩手 ・遺構:門、石垣、水堀、土塁 ・歴史 竹中半兵衛の子重門が陣屋を構える
蒲生氏郷の銅像 2013年05月19日 | 銅像 蒲生氏郷の銅像を見に行きましたが、あいにく逆光で撮影失敗しました。 蒲生氏郷というと会津92万石の領主となって、伊達政宗の抑えになった人物ということですごいということがわかります。 ・蒲生氏郷の銅像 ・日時:2013年5月5日 午後 晴れ ・場所:滋賀県日野町上野田 ・蒲生氏郷 1556年 日野城で生誕 1582年 本能寺の変の時に父とともに信長の妻妾一族を日野城に迎える 1584年 伊勢松ヶ島12万石を与えられる 1588年 松阪城を築城 1592年 会津92万石を与えられる 1595年 死去
日野城 2013年05月16日 | 城 日野城は駐車場から入ってすぐに石垣造りの堀切があり、その間に橋がかかっていてなんとも印象的になってます。 ・日野城(中野城) ・日時:2013年5月5日 午後 晴れ ・場所:滋賀県日野町西大路 ・遺構:石垣、土塁、空堀、水堀 ・歴史 1501~1523年 蒲生氏が砦を造る 1533年 蒲生定秀が築城 1556年 蒲生氏郷がこの城で生まれる 1582年 本能寺の変時に信長の妻妾一族を迎える 1584年 蒲生氏郷が松ヶ島城に移り 1597年 廃城
鎌掛城 2013年05月13日 | 城 鎌掛城には鎌掛山屋敷から道無き道を山に向けてひたすら登って行きました。ただ木も疎らだったので迷うこともなく割合登りやすかったです。 城としては土塁、空堀、堀切なども良かったですが、石組みの井戸がありこれが深く落ちたら自力で脱出不可能なくらいでビクビクしながら写真を取りました。この山奥に石組みの井戸が見られただけで満足でした。 ・鎌掛城 ・日時:2013年5月5日 午後 晴れ ・場所:滋賀県日野町鎌掛 ・遺構:土塁、空堀、堀切、井戸 ・歴史 南北朝時代 中野清信が砦を築く 1502年 蒲生秀行が改修 1522年 蒲生秀紀が蒲生高郷との抗争に敗れ音羽城から移る 1585年 蒲生氏郷が松ヶ島に移り廃城
鎌掛山屋敷 2013年05月12日 | 城 鎌掛山屋敷には正法寺から川の水の流れていない所を通って行けました。各屋敷ごとに土塁、空堀がある感じで結構残りが良かったです。 ・鎌掛山屋敷 ・日時:2013年5月5日 午後 晴れ ・場所:滋賀県日野町鎌掛 ・遺構:土塁、空堀 ・歴史 蒲生賢秀が山屋敷で隠居する
鎌掛の屏風岩 2013年05月11日 | 奇岩 鎌掛の屏風岩は巨岩ですが江戸時代に切り取って3分の1しか残っていないそうです。それにしてもよくこんな崖から岩を採ったものです。 ・鎌掛の屏風岩 ・日時:2013年5月5日 午前 晴れ ・場所:滋賀県日野町鎌掛
正法寺の藤 2013年05月10日 | 花 正法寺の藤は規模は小さかったですが咲いていました。やたら蜂が花の蜜を吸っていました。 ・正法寺の藤 ・日時:2013年5月5日 午前 晴れ ・場所:滋賀県日野町鎌掛
鎌掛のほんしゃくなげ群落 2013年05月08日 | 花 鎌掛のほんしゃくなげ群生を見て来ました。普通標高800~1000mに自生しているそうですがここでは350mで群生して珍しいそうです。花はちょうど見頃でゴールデンウィークなので人も多かったです。 ・鎌掛のほんしゃくなげ群落 ・日時:2013年5月5日 午前 晴れ ・場所:滋賀県日野町鎌掛
音羽城 2013年05月07日 | 城 音羽城の本丸はアスレチックの公園と広場になっていてその周りには土塁、空堀が巡っていて、井戸跡も有りました。 さらに西側の少し低い場所には屋敷跡がありここも広大に土塁、空堀で敷地分けされていて当時の区割りが分かりやすく残っていました。 ・音羽城 ・日時:2013年5月5日 午前 晴れ ・場所:滋賀県日野町音羽 ・遺構:土塁、空堀、堀切、井戸 ・歴史 室町時代 蒲生氏が築城 1523年 蒲生家同族同士の戦いで城は取り壊され、中野城に移り廃城
黒川氏城 2013年05月06日 | 城 滋賀の甲賀、日野を巡ってきて、初めは黒川氏城に行きました。 説明板がある所当たりから登って行くと結構大きな土塁に行き当たります。そこからは石がごろごろ置かれていて、階段上の石垣っぽいのもありました。さらに主郭周りには空堀が回っていて堀切も有りました。更に進むとどこまでも空堀が広がっているイメージで迷子になりそうに広かったです。 ・黒川氏城 ・日時:2013年5月5日 午前 晴れ ・場所:滋賀県甲賀市土山町鮎河 ・遺構:石垣、土塁、空堀、堀切 ・歴史 1558~1569年(永禄年間) 黒川玄蕃佐が築く 1585年 豊臣秀吉に紀伊川堤防修築工事の責任で領地を没収され、廃城となる