城中心のお出かけ記

お城などの歴史系や、奇岩など絶景・奇勝系を求めるお出かけ記です。一番好きな城は姫路城、好きな武将は藤堂高虎です。

関ヶ原合戦・岡山本陣跡

2009年06月30日 | 古戦場
お茶屋敷から15分程度歩いて次は岡山本陣跡に行きました。
ここは徳川家康が本陣を置いた場所で、標高53mの丘陵地となっています。残念ながら草に覆われて展望は開けていませんでした。

・関ヶ原合戦・岡山本陣跡
・日時:2009年6月20日 午後 晴れ
・場所:岐阜県大垣市赤坂町

・歴史
1600年 
*本多忠勝と井伊直政が相談し、徳川家康の本営とする
*南方4kmの大垣城に対峙し、砦を築く
*西軍の島左近や蒲生郷舎、明石全登らは大垣城を出撃し、杭瀬川一帯で東軍の中村一栄・有馬豊氏の両隊と戦う(杭瀬川の戦い)
・関ヶ原の合戦で勝利し、岡山は勝山と呼ばれるようになる






御茶屋屋敷

2009年06月28日 | 
次に同じ大垣の赤坂にある御茶屋屋敷に行きました。
将軍の宿泊施設として作られた所ですが、いざという時に城としての役割にもなったようです。ボタン園として有名ですが、今度はその時期に行って見たいと思います。

・御茶屋屋敷
・日時:2009年6月20日 午後 晴れ
・場所:岐阜県大垣市赤坂町

・遺構:土塁、空濠
・歴史
1604年 徳川家康が将軍専用の宿泊施設として、岐阜城御殿を移築させる






梁川星巌と紅蘭の銅像

2009年06月27日 | 銅像
曽根城に梁川星巌と紅蘭の銅像がありました。
あまり知らなかった人ですが、江戸時代後期の漢詩人で、尊王攘夷運動を行った人です。

・梁川星巌と紅蘭の銅像
・日時:2009年6月20日 午後 晴れ
・場所:岐阜県大垣市曽根町
・梁川星巌
1789年 生誕
1807年 山本北山に漢学を学ぶ
1846年 安政の大獄で拘束前に病没
・紅蘭 梁川星巌の妻


曽根城

2009年06月26日 | 
曽根城に行ってきました。多少ピークを過ぎていましたがハナショウブが行ったときはまだ結構咲いていました。
ここは春日局のゆかりの地で斎藤利三の屋敷跡の碑もあります。

・曽根城
・日時:2009年6月20日 午後 晴れ
・場所:岐阜県大垣市曽根町

・歴史
1558~1569年(永禄年間) 稲葉一鉄が築城
1588年 西尾光教が城主となる
1600年 西尾氏は揖斐城に移り、曽根城は廃城








桶狭間古戦場まつり

2009年06月24日 | 祭り
すでに2週間以上前ですが桶狭間古戦場まつりに行ったので、レポートします。
まずはパレードを行い、そのあとに戦いの再現演武が行われました。結構外国人の参加者がいて、武者姿はラストサムライみたいでより迫力を感じ、和服の外国人女性は日本人が着るのとまた違った魅力がありました。
会場は広くはありませんでしたが、やはり全体的に見れるのはよいです。またナレーションとか結構分かりやすくなっていたのがよかったです。
また敦盛とか踊りもありバリエーションにとんでいました。

・桶狭間古戦場まつり
・日時:2009年6月7日 午後 晴れ
・場所:愛知県豊明市栄町










桶狭間古戦場

2009年06月22日 | 古戦場
次に豊明市の方の桶狭間古戦場に行きました。もう一つは名古屋にもありますが、このあたり一帯で起こった戦みたいです。
迂回説や正面攻撃説がありますが、それもはっきりしていないみたいです。


・桶狭間古戦場
・日時:2009年6月7日 午後 晴れ
・場所:愛知県豊明市栄町

・1560年 沓掛城から大高城に向かった今川義元軍2万5千に、織田信長の2千の軍勢が襲い、織田配下の毛利良勝が今川義元の首をとる





沓掛城・桶狭間古戦場まつり

2009年06月20日 | 祭り
沓掛城で桶狭間古戦場まつりの棒の手・太鼓演奏・火縄銃発射などを見てきました。
棒の手は初めて見たのですが、棒の手とは剣術踊りで真剣、槍を使ったり見ごたえがありました。
火縄銃は結構近い場所で見学できて迫力もあり良かったです。
規模は大きくないですが、全体的にアットホームな感じでよかったです。

・沓掛城桶狭間古戦場まつり
・日時:2009年6月7日 午前 晴れ
・場所:愛知県豊明市沓掛町






沓掛城

2009年06月19日 | 
続いて沓掛城に行きました。自転車で移動したのですが、当日ハイキング大会があり、それについて行ったり、邪魔だから離れたりしていたら迷子になり1時間探しまわしました。沓掛城は桶狭間古戦場まつりの会場のひとつでもあり、ハイキングの通り道でもあり人が多かったです。
堀には少ないですがアジサイや花菖蒲も咲いていました。

・沓掛城
・日時:2009年6月7日 午前 晴れ
・場所:愛知県豊明市沓掛町

・遺構:掘、土塁、曲輪
・歴史
14世紀 近藤宗光が初代城主といわれる
1560年 桶狭間の戦い時、近藤景春は今川家に味方し、今川義元が最後に泊まった場所となる。桶狭間敗戦後沓掛城も落城
その後 簗田政綱、織田信照、川口久助が城主となる
1600年 川口久助は関ヶ原の戦いで西軍につき、廃城





戦人塚

2009年06月18日 | 古戦場
2週間ぐらい前ですが桶狭間古戦場まつりに行ったときに戦人塚に行きました。
豊明市の古戦場から2km程度離れたところの、結構急な坂を登ると住宅地の中にありました。桶狭間が谷・挟間ならこのあたりが丘にあたるのが感じられる場所にありました。

・戦人塚
・日時:2009年6月7日 午前 晴れ
・場所:愛知県豊明市前後町仙人塚

・歴史
曹源寺の快扇龍喜和尚が桶狭間の戦いの戦死者を埋葬供養した塚




直江兼続の銅像

2009年06月15日 | 銅像
今回の旅の最後として与板歴史民俗資料館に行き、そこに直江兼続の銅像がありました。
大河前は直江状と愛の兜ぐらいしか知らなかったですが、今回新潟、会津、米沢と上杉家のゆかりの地、各地の博物館とか行って少しは勉強してきました。
これからドラマの見どころは直江状よりもむしろ、家康に謝罪し30万石に減封され、大阪冬の陣とか、「義」「愛」とか言っていれない時の心模様を見てみたいです。

・直江兼続の銅像
・日時:2009年5月5日 午後 曇り
・場所:新潟県長岡市与板町与板乙

・直江兼続
1560年 樋口兼豊の子として坂戸城で生まれる
1581年 直江家を継ぎ与板城主となる
1588年 豊臣の氏を授けられる
1598年 米沢に6万石を与えられる
1600年 長谷堂城の戦い
1620年 江戸の屋敷で病死