私は、いや人間は一体何のために生きているのだろうか・・・。誰でも若かりし日に、一度は考えたことのある疑問である。そしてそのうちいろいろ忙しくなって、そんな抽象的で経済価値のない疑問は忘れ去られてしまう。
私自身も現役時代はバタバタと過ぎ行く日々に追われ、毒にも薬にもならないような書生的思考は封印し続けた。だがいつの間にか、今まで生きていた時間より、これから生きる時間のほうが圧倒的に少なくなってしまった。
さらに定年を過ぎて経理マンを引退し、「労働=金銭収入」という概念が消失した頃、やっと「ひとが生きる意味」がぼんやりと見えるようになった気がするのである。
大昔、ひとがまだ単細胞生物だった頃。引き続き生きるために、細胞分裂を行って個体の増殖を行っていた。その後多細胞生物に進化したが、個体の増殖を行うためには、受精と言う行為が絶対条件となってしまったのである。
そして親から子へDNAが引き継がれてゆく。だがその子供たちは、単細胞生物の細胞分裂のようなクローン的存在ではない。またことに高い知能と知識を有する人間は、それらの知識を残された者たちに伝承することにより、とどめない進化を続けているのである。
つまりひとが生きる意味とは、自分が死ぬまでの間に、かつて苦労して得た知識・技術・ノウハウなどを、自分以外の者に伝えたり引き継いで行くことなのである。もちろん「労働=金銭収入」の過程においても、それは十分に果たされるし、ボランティアという形をとることもあるだろう。
そうして個体は死んでも、知識や技能等という形で、ひとは永遠に生きてゆくのである。だから死ぬまでやりがいのある仕事を続けられるひとこそ、人間として一番幸せなひとなのだと言えるだろう。
だがそんな幸運なひとはほんの一握りに過ぎない。だからこそ定年後は、金のためにだけ働くのではなく、これまで得たものを自分以外の者に分け与えられる自覚と環境づくりが必要なのである。
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