経理・経理・経理マンの巣窟

大・中・小あらゆる企業で経理実務経験約40年の蔵研人が、本音で語る新感覚の読み物風の経理ノウハウブログです

元号の由来

2022-03-24 22:24:14 | 一口メモ

 明治、大正、昭和、平成、令和と天皇が変わるたびに元号が変化し、経過年数などの置き換え計算が面倒でたまらない。もっとも現在西暦を使わないのは、お役所などの行政機関だけになりつつある。もちろん歴史的な経緯のある元号自体を廃止しろとは言わないが、いい加減社会生活上の暦は西暦に統一しても良いのではないだろうか。

 さてこの日本で元号が使われるようになったのは7世紀なかごろで、最初の元号は「大化」と定められている。これは大化の改新で天皇を中心とする律令体制が確立されたことを記念して定められたらしい。その後令和の現在まで248個の元号が使われてきたが、もともと元号を変えるタイミングは、天皇の即位とは無関係に定められていたという。

 具体的には、天変地変などの不幸が続いたり、逆に美しい雲が現れたり珍しい星が見つかっためでたいとき、気分一新のために頻繁に改元されていたようだ。ちなみに天皇の即位に合わせて改元するようになったのは、明治時代に岩倉具視の提案によって「一世一元」が制度化され、それ以降ずっとそれが順守されているからである。

作:蔵研人

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東日本大震災から11年

2022-03-11 11:14:22 | ひとりごと

 あの忘れられない「東日本大震災」からいつの間にか11年経過してしまった。あっという間の11年であるが、少しずつその記憶が薄れてしまうのはやむを得ないのだろうか。だが毎年3月11日を迎えると、いやでもあの日の悲惨な記憶が蘇ってくる。そして気の毒な犠牲者の方々を追悼し、黙とうを捧げることだけは忘れない。


 2011年3月11日の午後2時46分ごろ、東北沖でマグニチュード9.0の巨大地震が発生し、東北や関東の沿岸に高さ10メートルを超える津波が押し寄せていた。そんなことも全く知らない私は、池袋にあるヒューマックスシネマという、ビルの8階にある映画館で、のんびりと『英国王のスピーチ』という映画を観ていたのである。

 ところが突然映画館全体が大きく揺れ始めた。そのうち収まるだろうとタカをくくっていたのだが、一向に揺れが収まらない。
 だんだん不安になってきたので、急いで席を立ち出口へと向かった。すると次々と逃げ出す人が増えてくるではないか。廊下に出ると更に激しい揺れが起こってきた。それで思わず壁の近くの床にへたりこんでしまったのである。
 たぶんこのビルは崩壊するに違いない。私は今日ここで死ぬのだろうか。もの凄い恐怖感と絶望感が襲いかかってくる。死神が私を呼んでいるぞ! もうだめだと覚悟を決めると、少し揺れが穏やかになってきた。

 そのときになって、やっと従業員が非常口の扉を開けてくれた。8階から非常階段を下りながら、思わずニューヨーク9.11の光景を思い出してしまったのは決して私だけではなかっただろう。
 やっと地上に降り立ってホッとしたが、その後も余震が続き電車は全て止っている。ケータイは使えないし、公衆電話は長蛇の列だ。それでも30分位並んで家に電話したが応答音さえない。まさか、まさか家が崩壊してしまったのだろうか。不安・不安・不安でかなり心が折れてしまった。そのうえデパートをはじめとして全てのビルがシャッターを下ろし始めたのだ。外は季節外れの木枯らしが、ピューピューと吹きすさんでいるではないか。

 そのうえJRも私鉄も全く動く気配がないし、現情報も今後の対応も教えてくれないどころか、駅の地下通路も封鎖すると言うのだ。公共機関からは何の通報も連絡もない。このまま路上で凍りつくしかないのだろうか…。
 少なくとも新宿まで戻りたい。だがバスもタクシーも超大行列で、明日まで待っても乗れそうもない状況だ。それで仕方なく明治通りを新宿へ向って歩くことにした。皆考えることは一緒で、狭い歩道は歩行者で超混雑しているではないか。

 ビルの上からの落下物に注意しながら、やっと新宿に着いたのは池袋を出て約1時間15分後であった。
 京王線と小田急線をあてにしていたのだが、両線とも復旧は夜中の12時頃となるらしい。まだまだ時間がだいぶあるので都庁まで歩いて暖をとることにした。都庁はかなり空いていて、ゆっくり腰かけて休むことが出来た。…と思う間もなく、いつの間にか次々と人々が押し寄せてきて、配給されているダンボールの争奪戦になってしまった。

 2時間ほど休んでいると、TVで京王線が動き始めたと放送しているではないか。
 すぐに立ち上がり新宿駅に向かった。さすが京王線だ。地下鉄以外では一番速い復旧である。だから京王線が大好きなのだ。バンザイ京王線!かくして家に着いたのは1時半。電話の反応がなかったのは停電のためだったらしい。お疲れ様でした…。


 まさに地獄のフライデーだったが、東北地方の方々が受けた傷跡に比べればほんのかすり傷にもならない。だがこの体験を教訓にして、今後は個人・企業・行政・国の全てが一体となり日本を再生して行かねばならないだろう。いずれにせよ東日本大震災ばかりは、絶対に他人事とは思えない。最大の被害を受けた東北地方の方々には、本日も心の底からお悔やみ申し上げる次第である。

作:蔵研人

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