五輪のJUDO競技を観るたびにいつも思うのだが……試合開始の礼をしない、畳の上で勝利のパフォーマンスばかりする、組み合わない、受け身を取らない、ポイント狙いや反則スレスレの行為などなど、外国人たちのなりふり構わず勝つことだけに拘る態度に不快感を禁じえない。そう、もうとっくの昔にJUDOは、柔道ではなくなっているのだ。
本来の柔道とは、礼に始まり礼に終わり、じっくり組み合って一本勝ちを狙い、もし相手に投げられたらしっかり受け身を取るものだった。だから初心者は、まず受け身の練習から始めたものである。これはある意味で、しこを踏む相撲道にも通じていたかもしれない。
ところが近年は相撲も柔道も外国人の介入により、武道としての精神は薄れ、なんとしても勝つことだけに拘る競技に変貌しつつある。これは国際化を進める中で、日本側がかなり譲歩してきた結果なのかもしれない。
だが今回のフランス大会でのJUDO選手たちの態度や、審判たちの誤判定の多発を観るにつれ、「きみたちは本当に柔道を知っているのかい?」と怒鳴りたくなってしまった。もうJUDOは、「道着を付けたレスリング」なのだろう。さらに審判たちのレベルが異常に低い不完全な競技に成り下がってしまったようだ。
そもそもレスリングにはフリースタイルとグレコローマンの二種類の競技が存在しているのに、JUDOスタイルまで創ること自体がナンセンスと言えよう。またそろそろ日本も柔道発祥国として、本来の講道館柔道への回帰を提案してもよいのではないだろうか。そしてお互いに組み合った姿勢から、試合開始をする仕組みに変え、受け身を取らない者や組み合わない者は減点にするほど厳格化しても良いのかもしれない。
作:蔵研人
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