この男は地方の商業高校を卒業したあと、某上場企業に入社し、工場の経理部門に配属されたのだが、なんと定年間近になって本社の経理部長にまで昇りつめてしまったのである。またこの男は努力家であり、働きながら夜学に通うだけではなく、仕事熱心でどんな仕事も機械のように精密にこなしていた。苦学をしかつ仕事熱心なところは私にも共通する部分なのだが、私はどうしてもこの男を好きになれなかった。
この男と言っても、私より6歳年上の先輩だったのだが、私が中途入社で本社に勤務していたときは、連結子会社の経理課長であり、子会社の連結資料を作成していた。従って連結決算をするためには、どうしてもこの先輩と接触せざるを得なかったのである。私が親子間の債権債務の不一致内容などについて尋ねても、自分にはミスがないので「お前のところで勝手に調整すればいいだろう」とけんもほろろに突き放され、さらに一言二言の嫌味を言われるばかりだった。連結資料の作成なんて部下に任せればいいものを、この先輩は少しでも重要な仕事は、絶対に部下には渡さず、全て自分自身で処理していたのである。凄いといえば凄いかもしれないが、これでは部下が伸びて行かないし、内部統制もへったくれもありゃあしない。
私がこの先輩を嫌いになったのはそれだけではない。この先輩は平社員の時は係長のミスを咎めて、課長に取り入って告げ口して自分が係長になった。そして係長になると部長に取り入って課長をいじめる。さらに次長になると役員に取り入って部長を追い落とすということを繰り返して出世して行ったのである。そして前述したように自分を追い越す可能性のある部下には、絶対に重要な仕事は与えず、細かいことまで全て自分だけが掌握しているのである。ただし出世レースには全く縁のない女性社員には優しく、よくお土産を買ってきたり食事に連れて行ったりしていた。また営業などの他部門のキーマンとの付き合いも良いので、社内情報を素早く手に入れていたようである。だから社内での評判も悪くはなかった。とにかく機敏に損得計算をしながら、巧に社会の荒波を乗越えて行こうというのが、彼の人生観だったのかもしれない。だが愚直で甘さの残る私には、どうしてもこの先輩の生き方には共鳴出来なかったのである。
そして私がこの上場会社に見切りをつけて去ったあと、グループ企業の統合と再編成が行われ、人材が不足していたこともあり、この先輩が本社の経理部長に抜擢されたという。舞い上がった彼は、さらに上を目指して、今までの常套手段である「上司いじめ」を経理担当役員に対して行った。ところが今度ばかりは彼の思惑通りには進まなかった。
まず担当役員のさらに上の者と言えば、社長しか居らず、この社長はボンボンで、アクの強い先輩と波長が合うわけがない。またメインバンクから天下りしてきた経理担当役員は、経理の仕事は出来ないものの、知性と教養に溢れ、喧嘩の仕方も心得ていたようだ。それで結局は先輩のほうが負けてしまい、悔し涙を流しながら退職を余儀なくされてしまったようである。
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