ゴエモンのつぶやき

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病床の母に金メダルを約束した障害者野球の日本代表選手を追いました。

2010年11月10日 01時09分44秒 | 障害者の自立
「あきらめない気持ちを、自らの姿で母に伝えたい」と、病床の母に金メダルを約束した障害者野球の日本代表選手を追いました。

ジャパンのユニホームで間近に迫った世界大会へ向け、汗を流す障害者野球の日本代表チーム。
その中に、ある特別な思いを持って大会に臨む選手がいた。
キャプテン・西原賢勇さん。
高校生の時にバイクの事故で大けがを負った西原さんは、今でも左腕に障害が残っている。
西原さんは、「全然、これ以上横に上がらない。前もここ(胸のあたり)までしか上がらない。なかなか現実を受け入れられなくて、夢の中でよく号泣していました」と話した。
大会を間近に控え、西原さんは病院へ向かった。
そこには、母・政江さんの姿があった。
2009年、血管の病を患い、下半身に後遺症が残ってしまった。
西原さんは、「『僕は世界大会に選ばれるように頑張るから、選ばれたら、次は、お母さんは世界大会を見に来られるような体力づくりをしろ』と」と話した。
政江さんは、「こうやって今回、大会を見に行けるってことが、とにかく励ましになっている」と話した。
選手たちは、それぞれの障害にあわせ、工夫を凝らしたプレーで観客を魅了した。
グラブを持ち替え、流れるようなフィールディングから正確な送球。
かつて、アメリカ大リーグでも、ハンディを持ちながらも活躍した選手がいた。
ニューヨーク・ヤンキースのジム・アボット投手は、ノーヒットノーランなど輝かしい功績を残した。
あきらめなければ、結果はついてくる。
西原さんもいよいよ世界大会の舞台に立った。
大会初日、惜しくもヒットは生まれなかったが、その雄姿は、しっかりと政江さんの目に映った。
政江さんは、「これから手術も控えるんですけど、これを糧にして、がんばらなあかんって思う」と話した。
日本代表は、翌日の決勝へ進出。
2日続けての外出は困難と判断し、母の声援はなかった。
それでも西原さんは、この大会初めてのヒットを放つなど、キャプテンとして勝利に貢献、10 - 0でアメリカを破り、見事、連覇で世界一を達成した。
大会後、西原さんは、金メダルを手に病院へ向かった。
政江さんは、「わたしも目標を達成する。その思いで手術に(臨む)」と話した。
西原さんは、「『がんばれ』というのと、『簡単にあきらめるな』ということですね。あきらめなければ、必ずいい結果が待っている」と話した。
あきらめない気持ちは、確かに政江さんへと伝わった。

(11/09 20:20 関西テレビ)




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