「“幸せの国”ブータンでは、障害者も幸せなのか?」
そんな疑問を抱き、ブータンの首都ティンプーで障害者支援の現場で働く人々に話を聞いた私は、その内容に愕然とした(前編記事「幸せの国ブータンでは障害者も『幸せ』なのか」)。少なくとも、「教育支援」「自立サポート」「当事者団体」という三者から話を聞くかぎりでは、とても幸せな環境とは言えなかった。
もう少し、その実態が知りたい。そんな思いから、私はティンプー市内に住む、障害者として生きる青年のもとを訪れた。タンディン君、20歳。母親のトゥッケンさんも同席してくれた。
――はじめまして、日本から来た乙武と言います。
タンディン:よろしくお願いします。
トゥッケン:ようこそ、おいでくださいました。
――まずは、タンディン君の障害の状況について教えてください。
トゥッケン:脳性マヒなのですが、彼の場合は手と足に障害があります。普通に歩くことができないので、普段は歩行器のようなものを使っています。
■学校に行けるかもしれないという発想がなかった
――ブータンでは障害があると学校に通うことが難しいと聞きました。タンディン君は学校には通っていたのですか?
タンディン:いえ、通ってはいませんでした。
――それは学校に拒まれたから? それともお母様の意思?
トゥッケン:その当時はこの子のような障害者が学校に行けるかもしれないという発想がなかったんです。
――タンディン君は、可能ならば学校に通いたかった?
タンディン:うん、行きたかったです。
――もし学校に行けたら、何がしたかった?
タンディン:やっぱり友達と一緒に勉強したり、遊んだり……。
――学校に通うという選択肢がないなかで、お母様はタンディン君をどのように育てようと?
トゥッケン:ブータンでは、障害者はお坊さんとして生きていくことが多いんです。なので、お寺に預けようと思い、相談に行きました。ところが、この子はじっと座っていることが難しいということで、お寺にも断られてしまったんです。
この子はどうやって生きていけばいいのだろう
――学校もダメ、お寺もダメ……。
トゥッケン:目の前が真っ暗になりました。この子はどうやって生きていけばいいのだろうと。
――ご近所付き合いというか、地域コミュニティーとの関わりはどうでしたか?
タンディン:年上の人から、ひどいことを言われたり、時には殴りかかられたり……。
――いじめに遭っていたということですか?
トゥッケン:いま住んでいるところではご近所の人にもよくしていただいているのですが、以前は王宮近くの掘っ立て小屋のような場所に住んでいたんです。その当時はこの子にもずいぶんつらい思いをさせてしまいました。
――タンディン君は、いまはどんな生活を?
トゥッケン:Draktshoという障害者向けの職業訓練所があるのですが、2009年からはそちらに通っています。
――昨日、職員さんにもお話を伺ってきました。Draktshoでは具体的にどんなことを?
タンディン:学校に通っていなかったので、最初は読み書きから教えてもらいました。いまは竹などを使ってカゴを編む仕事を教えてもらっています。
タンディン:僕としてはカゴを編むという仕事をもっとやりたいんですけど、なかなか教えてもらえなくて……。でも、ただ家にいるよりも友達がいるので楽しいです。
――本人がもっとやりたいのに、なかなか教えてもらえないのはなぜなのでしょう?
トゥッケン:この子は足だけでなく手にも障害があるので、思ったよりもうまくできないんですね。10年通っても、あまり上達しなくて……。それと、習ったことをすぐに忘れてしまうという性質もあるので、なかなか先に進めないんです。
お母さんの助けになりたい
――なるほど。でも、いずれはカゴを編む仕事で自立をしていく?
タンディン:いえ、僕は小さなお店を持ちたいんです。お菓子などを売る雑貨店。お店を大きくして、お金をたくさん儲けたいとは思ってなくて。でも、少しでも稼ぐことができれば、お母さんの助けになるから。
――とても聞きにくい質問で恐縮なのですが、その……順番で言えば、お母様のほうが先にこの世を去ることになってしまいます。そのときは……。
タンディン:お母さんがいなくなったらと思うと……怖い。とても怖いです。だけど、そうやってお母さんに心配をかけてしまうことが申し訳なくって……。
そう言うと、タンディン君は顔を真っ赤にしてこわばらせた。その目からは大粒の涙が流れ出す。隣に座っていた母のトゥッケンさんがたまらず息子の体を引き寄せ、その手で涙を拭った。
トゥッケン:私にもその不安はあります。いまはご飯を作ったり、お湯を沸かしたりということもすべて私がやっていますが、彼にはそんなことが何もできません。ブータンでは国からの支援といったこともないので、私がいなくなったあとは……中学2年生と小学4年生の妹たち、もしくは親戚に頼るしかありません。
タンディン:でも、お母さん。僕だって前よりはいろんなことができるようになったよ。昔は自分でご飯も食べられなかったけど、いまは自分で食べられるようになったし……。
――日本では、ブータンは“幸せの国”として知られています。それについてはどう思いますか?
タンディン:僕は、“幸せの国”かどうかはわからないけれど、この国がとっても好きです。これだけ自然が豊かで、とても風景が美しくて。
トゥッケン:もちろんすばらしい国だとは思いますが、やはり格差が大きいのかなと。上の人とのつながりがあれば救われることもありますが、そういったツテもない私たちは……。
――幸せになるには本人の努力も必要になってくる。健常者と障害者では、その必要とされる努力の量は平等と言えるのでしょうか?
トゥッケン:やはり、障害のある人にとっては……難しいところがあるのではないでしょうか。ただ、この子もDraktshoに通うことで、少しずつ自分でできることが増えてきました。今後、このような支援というものが増えてくれば、障害者であっても幸せに生きていくことができるようになるのかなと。
タンディン:僕は平等だと思います。みんなで力を合わせれば、きっといい生活ができるようになると思うから。
必要とされる努力の量は平等と言えるのか?
初めて訪れたブータン。たった数日間の滞在ではあったが、“幸せの国”に暮らす障害者たちは、あまり幸せそうには見えなかった。もちろん、「何より大切なのは家族を中心とした人と人との絆であり、それを感じられるブータンは幸せである」という言説も成立するのかもしれない。しかし、障害者が置かれている環境は、あまりに酷であった。
今の日本では障害者に対する社会的な支援が充実してきたが、過去を振り返れば、日本もいまのブータンの状況とそう変わらない時代があったことは否めない。先人の尽力によって、少しずついまの環境が整備されたことにあらためて感謝するしかない。
また、視点を変えて、福祉先進国と言われる北欧の人々が日本を訪れ、私と同様のインタビューを行ったとき、彼らがどのような感想を抱くのかも聞いてみたい。いや、本音を言えば、聞くのが少し怖い。
「健常者と障害者では、必要とされる努力の量は平等と言えるのか?」
これからの日本社会を考えていくうえで、今後も忘れずに持っていたい視点だ。
2019年01月27日 東洋経済オンライン