ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

脊損乗り越え、スポーツする障害者を支える

2012年08月31日 00時49分20秒 | 障害者の自立
「本当に自分はOEGの移植を受けたのだろうか。だまされたのではないだろうか」

 そう話すのは、千葉県に住む小嶋好宏さん(46)。サーフィンや山登りなどアウトドアスポーツをやりたい障害者を支援するNPO法人「フルサークルジャパン」の代表を務める。自身も脊髄損傷者。「再び歩きたい」と思って受けたOEG移植と、移植を仲介した日本人男性に裏切られたとの思いを今も引きずっている。

 小嶋さんは脊髄を損傷したのは2000年3月、新潟県のスキー場でのこと。スノーボードでジャンプしたところ、腰から落下。強烈な痛みを感じ、両足とも動かなくなった。柔道整復師として仕事をしていたので医学的な知識があり、すぐに脊髄を損傷したと分かった。

 救急車で病院に運ばれたが、案の定、脊髄損傷だった。まっぷたつに割れてずれてしまった背骨を金属プレートで止める手術を受けた。「これからは一生歩けません」と医師に言われても、覚悟をしていたので、それほど落胆しなかった。

 しかし、東京のリバビリ病院に転院し、現実を思い知らされて絶望した。アメリカ西海岸やハワイに留学し、サーフィンを毎日していたことがあるほどのスポーツマン。それが自分の足で立つことさえできない。知人に車いす姿を見られるのも嫌で、東京から千葉に引っ越した。

 一日中、家に引きこもり、パソコンでネットサーフィンをした。「みじめで荒れた生活でした」。

 そんな時、中国でのOEG移植を紹介するホームページを見た。「スタスタ歩けないまでも、足がちょっとでも動いてくれたら……。わらにもすがる気持ちで治療を受ける決心をしました」。

 2004年5月6日、妻と一緒に中国に渡った。北京の大学病院で、中絶胎児のOEGを移植された。ただ、様々な不審点が浮かんできた。病院側から、「OEGは、脊髄損傷の患部をかさぶたのように覆う瘢痕(はんこん)を溶かした後、神経を再生させる。だから、患部の上下2か所にOEGを移植して、両方向から患部を治療する」と説明を受けていたのに、背中の真ん中にできた傷痕は約15センチの1か所だけしかなかった。麻酔が切れると傷周辺が、耐えられないほど痛んだ。激痛で食事を取れない日がしばらく続くほどだった。

 「本当にOEGを移植されたのか調べたい。培養しているところを見せてほしい」と願い出ても断られた。

 主治医に「いつ頃、効果が現れるのか」と効くと、「患者によって異なります。リハビリが大切。足が動くイメージを持ってリハビリを続けていれば良くなりますよ」と言われた。入院から約1か月後の6月12日、帰国した。結局、移植の効果は実感できなかった。治療費として約280万円を日本人仲介者側に支払った。Sさんの時と同じ仲介者だ。

 「OEG移植について病院側は、細かなデータを公開していない。立って歩きたいと切実に願う患者の弱みにつけ込んでいる」。怒りがこみ上げてきた。帰国後、気持ちが落ち込み、再び、家に閉じこもる生活を送った。


アウトドアスポーツをしたいと思う障害者を支援する活動を行う小嶋好宏さん

 苦境から救ってくれたのは、サーフィン仲間だった。

 中国から帰国して約6年がたった2010年6月。サーフィン仲間が集まった飲み会に参加した。その場で、「海に入れてよ」と本音を漏らした。「4日後に千葉でサーフィンの世界大会があるので、そこで入ったら」と軽く言われた。「え!」と思ったが、大会会場なら、ライフセーバーも控えているし、確かに、最も良い環境だった。

 大会終了後の最終日。優勝したハワイのプロサーファーから「頑張ってね」と声をかけられ、だれもいない海に入った。板に腹ばいに乗った小嶋さんはジェットスキーで沖に連れて行かれた。そして、一人で波に乗った。約10年ぶりのサーフィンだ。


「言葉では言い表せない喜びを感じた。下半身不随になったのは不運でしたが、人に恵まれた。そのおかげで、再び海に戻れた」

 この経験から、事故などで、やむなくサーフィンなどアウトドアスポーツをあきらめている人の手助けをしたいと強く思い、NPO法人「フルサークルジャパン」を設立した。フルサークルは「まん丸」のことで、障害を乗り越えた人の姿を現す。プロサーフィン連盟関係者、ライフセーバー、医師らの協力を得て定期的にイベントを開催している。2012年5月には、千葉の鵠沼海岸で脊髄損傷者らがサーフィンを楽しんだ。


「今は、車いす姿の自分を愛していますよ。でも、死ぬまでの間に、1回は立って歩きたいとの思いは今もあります。それだけに、OEG移植を紹介した日本人仲介者には不信感を持っています」

 小嶋さんが訝(いぶか)しむには、それ相当の理由があった。この日本人仲介者は、その後、日本人患者に対して臓器移植を仲介していた中国で身柄を拘束された。


約10年ぶりにサーフィンで波に乗った小嶋さん

(2012年8月30日 読売新聞)


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