GOCCIのオトコヲミガク旅(w)

旅行記や、日常の面白い、或いはキレイなモノの写真を中心に
取留めの無い話題を「備忘録」代わりに綴っております。

YOU TUBEで在りし日の「ジェームス・ブラウン」さんを偲ぶ

2006年12月28日 | *YOU TUBE*

YOU TUBEで在りし日の「ジェームス・ブラウン」さんを偲ぶ



ジェームス・ブラウンさんがお亡くなりになりました。

彼の印象と言うと亡くなった方に失礼ですが
「トラブルメーカー」と言う言葉が真っ先に思い浮かびます。なんか警察に捕まるニュースがしょっちゅう入ってきた気がします。

曲で言うと正直、知っているのは
LIVING IN AMERICASEX MACHINEだけですが、もの凄く強烈なイメージが残ってます。

やっぱり、あんな、めちゃくちゃ濃いキャラクターはなかなか居ませんよね。映画の
ゲロッパの題名になってる通り、当時の「SEX MACHINE」の映像を見ると、本当に「ゲロッパ」に聞こえるのが面白い。

結構ムチャをしてきた割には長生きだったような気もします。上の2曲のYOU TUBEの映像をアップしておきます。をご冥福をお祈りいたします。






ジェームス・ブラウン死去=ゴッドファーザー・オブ・ソウル


【ワシントン25日】「ゴッドファーザー・オブ・ソウル」と呼ばれた米ソウル歌手ジェームス・ブラウンが25日、アトランタの病院で死去した。73歳だった。米メディアによると、肺炎を患い、24日夜から入院していた。1953年にプロデビュー。観客をとりこにするライブで人気を博し、50年代後半から60年代初頭にかけてソウルの第一人者となった。60年代に絶頂期を迎え、「パパのニュー・バッグ」や「アイ・フィール・グッド」が数週間にわたってヒットチャートの1位を維持した。≪2枚目の写真は1971年にパリで行われたコンサートでパフォーマンスを披露するブラウン≫  60年代末には、雑誌の「米国で最も重要な黒人」に選ばれた。70年代に入っても「スーパー・バッド」「セックス・マシーン」などのヒット曲を連発。85年には映画「ロッキー4」の挿入歌「リビング・イン・アメリカ」で復活を印象付けた。33年、サウスカロライナ州バーンウェルで、ガソリンスタンド店員の一人息子として生まれる。4歳の時に両親が離婚。おばが経営するジョージア州の売春宿で育った。10代前半で学校をやめ、靴磨きや皿洗いなどをしながら過ごし、16歳の時に強盗を働いて逮捕された。70年代中ごろには、ラジオ局の贈賄事件に関与。妻と離婚し、息子を交通事故で亡くした。その後も、薬物使用で逮捕されたり、再婚した妻に暴力で訴えられたりするなど、波乱の人生を送った。