GOCCIのオトコヲミガク旅(w)

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「学生ツアー」復活ですか・・・!?

2006年12月05日 | ニュースと「オトコヲミガク旅(w)」


「学生ツアー」復活ですか・・・!?

数日前の日経に小さな記事が載ってました。



一瞬、「学生ツアー」復活かと思って読んでみました。内容を読むとちょっと違うんだけど「夜の目玉はディスコ」なんて所は懐かしいですね。

「学生ツアー」と言う言葉自体完全に死語になっているようでネットで検索しても殆どヒットしません。「学生ツアー」とは簡単に説明すると、「男子大学生(スタッフと呼ばれる)」の団体が旅行会社とタイアップして「女子大生・高校生(メイトと呼ばれる)」を集め、冬は「スキーツアー」、夏は「与論・沖縄」等に行ったりします。 

旅行会社がパンフレットを作り「スタッフ」がそれをシーズン前にターゲットの女子学生に「手撒」し集客します。ツアーが始まると冬は「スタッフ」は添乗員となって「メイト」満載のバスに乗り「志賀・斑尾」等のスキー場へ向かい、昼はスキー場でインチキラクター」になり「メイト」にスキーの講習をし、夜は「素人芸人」となりゲームをやったりして飲み会を盛り上げたり、「ディスコ大会(笑)」を開催したりして楽しんだりします。

当時は「ヴァケーションシステム」「ハニービー」「ラブ・キャット」「JAM」「YGカウンティ」等の団体があり「メイト」獲得に頑張っていました。スキーツアーは東京都庁がまだ出来る前の「空き地」からバスで出発し夜行でゲレンデに向かっていました。 

料金も夜行で平日出発平日帰りのツアーがメインで「スタッフの人件費」がほぼ「ゼロ」だったので「異様に安かった」記憶があります。当時はスノーボードをやってる人はほぼ居らず、スキー大全盛の時代でした。最近スキーをやった事がない若い人が多いとか、営業不振でスキー場が閉鎖・売却されると言うニュースが飛び込んでいるのは寂しいばかりです。

学生時代に「学生ツアー」でいろんな所に添乗した経験が「男を磨く旅(笑)」に出るの原点になっているような気がします。


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6 コメント

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学生ツアー (じょんとら)
2009-04-16 00:19:51
偶然このブログにたどり着きました。
もしや、学生ツアーのスタッフだったんですか?
私もです。
「じょんとら」さん、こんにちは (GOCCI)
2009-04-16 06:36:02
学生ツアーのスタッフやってました。 

「じょんとら」さんより、2つ下ですので、
「与論・沖縄」or「志賀・斑尾」あたりで、すれ違っていたかもしれませんね。
特に与論駐在時「プリシアリゾート」を使っていた「VACATION SYSTEM」さんは、正直羨ましかったですよ。

「じょんとら」さんはMERRY LOO ~ VACATION SYSTEM ~ LEOと学生ツアーのメインストリームの所属の様ですね。
私は「ラブ・キャット」「JAM」「YGカウンティ」の準メジャー?の「日総グループ」所属でした。

私も「DISCO」は好きで高校生頃は新宿の「カンタベリーハウス・ビバ館」「カンタベリーハウス・ギリシャ館」なんかに通っていました。
当時「竹の子」の彼女もおりました。

大学生になってからは、六本木で学生ツアーのパーティー主催で「シパンゴ」「エリア」「WITH」「メイクアップ」なんかを使っていました。

なんか、こんな事を書いてると懐かしくなってきますね。
実は「じょんとら」さんの「FUNKTOWN J.T.」には何度かお邪魔したことがあるんですよ。素晴らしいHPですね。昔の曲を整理する時なんかに非常に重宝させていただいております。
感激! (じょんとら)
2009-04-16 17:35:59
いやぁー感激!!!!
実は僕のホームページでも学生ツアーを大々的に紹介して、昔のスタッフからなんらかの反応やメールが来ないかなぁ・・・と思っていました。
直のスタッフとこうやってやりとりができたのは二人目です。
で、日総のどこの所属だったんですか?
知ってるかも・・

踊っていた場所もビンゴですねぇ。
もろかぶってますよ。
竹の子はまだ原宿に追い出される前に、ディスコでそういう衣装を着て笛吹きながら踊ってたもんです。
めざせモスクワとかラビングユーベイビーとか・・
二つ下とのことですが、今となっては多少の上も下もタメ年と同じですので。
是非お会いしたいものです。
またメールください。
http://plaza.rakuten.co.jp/funkysoul/mailboxform/
関西の元スタッフです (サンバ)
2009-06-19 18:35:20
スタッフ、メイト、ビラまき。懐かしいことが書いてあって思わずニンマリしちゃいましたよ。

わたしが現役だったのは90年代の初め頃で、その頃はもう学生ツアーとは呼ばずにツアーサークルという名称でした。勢力も下火になってきており、まわりでツアーサークルがどんどん潰れていき、単独でパーティを打てないところも続出していた時代です。そんな中で当時の現役スタッフは、よくOBの方々から豪快なツアースタッフ全盛期時代の昔話しを聞かされていました。また自慢かよぉ~うぜぇ~と絶対顔には出さない本音をいだきつつ心のどこかで憧れも感じながら、全盛期時代には及ばずとも同時代のNO.1になろうと気合いを入れていたものです。しかしそんながんばりもかなわず、私が引退した数年後に古巣も潰れてしまいました。それ以後はツアーサークルの噂もめっきり途絶え、私の中では封印された思い出となっていました。誰に話すにしても、まずツアースタッフとはなんぞや、というところから説明しなければなりませんし、スタッフ時代の精神性では一般社会からはじき出されてしまいますので・・・。

ホワイトベアー、ナッツベリー、オレンジペコ、バケーションは大阪にもありましたよ。これらは東京のものと根っこは同じなのですか?もし情報がございましたら教えて頂ければ幸いです。

そんなわけでこの記事を読みながら懐かしい単語に触れるたびに、ホコリをかぶった思い出が次から次へと湧き出してきて、ちょっとほろ苦いセンチな気分に浸っております。
サンバさん、こんにちは (GOCCI)
2009-06-21 17:04:54
「学生ツアー」が90年代になって「ツアーサークル」という名称で続いていたとは知りませんでした。

どうやら、やっていた事は同じの様ですね。
まあ、いろいろ「バカ」はやりましたけど
今となっては良い思い出です。

何十枚かある、ツアー時代の「集合写真」を眺めつつ
思い出にふけることも・・・・

「東京のものと根っこは同じなのですか?」の質問についてですが、自分も良く判りません。
ツアーで山に行ったり、島に行ったりして、大阪や名古屋のスタッフと時々一緒の宿になる事はありましたが、その辺りは聞いたことはありませんでした。

もしかしたら、上(↑)にコメントを頂いている
伝説の?!ツアースタッフ「じょんとら」サンなら、その辺りの事情は知っているかもしれませんよ。
元学生ツアースタッフ (渋谷スペイン坂)
2018-02-03 00:08:42
こんにちは、今日たまたまこのブログを
拝見いたしました。

まさに、『学生ツアー』とはこの通りでしたが
スキーは北志賀がメインで、夏は沖縄、与論や
白浜、伊豆七島とかなり多岐にツアーを組んで
おりました。
また、ツアーパーティーは、マハラジャで
それも、一回では入りきれず二週連続で
派手にやっていたことを思い出します。

なんて、いい時代だったんでしょうね

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