6月22日(土)曇り、「歴史街道を歩く会」の6月からの例会は、今後「伊勢街道」歩くことになりました。
というのも、岐阜県各務原市からの日帰り旅行では、東海道の「興津宿~由比宿~蒲原宿」が距離的に限界
ということで、25年度の年度計画では「伊勢街道」を6月から歩き始めて、26年3月の例会までに「津~垂水」
とした計画を立てた事に因ります。 伊勢神宮まで達するまでは、今まで同様に頑張ります。!!
すでに中山道はすべて踏破、今後、会として東海道の宿場をすべて歩くこと、すなわち、残された宿場である
「蒲原宿~江戸日本橋」までの間は、歩くか否かは会員の皆様の『志気』如何に関わっています。
(今回、ブログUPが遅れましたのは、パソコンなどの不具合で遅くなりました。)
☆☆ また頑張ります。 ホントにゴメンね!!
」
スタート地点(ここより伊勢街道)
中央の石柱に「日永の追分」と刻まれている。
この奥に昏々と湧水が湧き出ており地元の人が生活水
として汲みにきています。
伊勢街道を朱線に沿って歩く
この電柱から、向って右側の内部方面へ向う。
表忠碑、その横に元帥公爵大山巌書と刻まれている。 会員が伊勢街道を歩く姿
裏側に明治10年西南役、明治27年・8年役、明治33
年北清事変など河原田地区内忠死者と従軍者のお名
前が刻まれている。
道標:右側、宇治山田市まで17里4町及び 河原田神社への階段、急こう配のため手すりに
久居町まで8里32町と刻まれている。 掴まりながら上る。
河原神社拝殿 臨済宗 善誓寺山門
本殿左脇の小道を少し上ると小さな展望所がある。
明治の元勲・田中光顕伯爵がここを訪れた際、伊勢
湾や知多半島を見渡す景色の良さに、帰りを忘れた
ことから、「忘歸處」と命名した。
伊勢街道行程図
鈴鹿川 常夜燈
点燈のため足場が設けられている。
公園にて小休止
神戸の見付(伊勢に向かって右側) 神部の見付(左側)
神戸見付は伊勢街道神戸宿の入口にあたり、両側に
石垣と土塁を築いたものである。
こちら側は雑草が生い茂っていた。
大橋 油井旅館の中央に大きな字で「あぶい」と書かれてた
この下を流れる六郷川 その横に鈴鹿市神戸2丁目10-55。(中央の白い看板)
伊勢街道は向って左方へ向う。
油井(あぶい)旅館の右側に道標 飯野高市神社
日永へ1里20町16間
白子へ1里22町44間と刻まれている。
天澤山龍光禅寺
宗派 臨済宗東福寺派別格地
神戸城跡
神戸城跡の由緒
神戸城跡・現在は、天守閣あとは休憩所となっている。
☆☆ 次回7月の例会は伊勢鉄道鈴鹿駅から群役所跡(白子東町公園)まで歩く予定をしています。
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