終戦直後から3年間を過ごした東小松川から、官舎の都合がついて港区高輪に引っ越したのが小学五年生のときである。
転校先は高輪台小学校で、まだ校舎には爆撃よけのための迷彩が施されていたと記憶する。
前の小学校では、女子が男子生徒を呼ぶときはクンづけで呼んだ。
田中クン、とか渡辺クン、というのがふつうだった。
自分のことをアタイというのもふつうであった。
配給衣料の子ども用のシミーズを、みんなお揃いのように学校へ着て通った。
うちの母は、アタイと呼ぶのを禁じ、シミーズ通学も禁じた。
学校にはオルガンもピアノもなかったので、音楽の時間はひたすら歌を唄った。
転校したら、ピアノがあり、音楽の時間はみんなが音符を読めるので、びっくりした。
むろんシミーズで学校へ来る子など一人もいなかった。
男子生徒のことは、クンではなくサンづけで呼んだ。
田中さん、渡辺さんという具合でちょっとしたカルチャーショックだった。
だからと言って意地悪されたりいじめに遭うというようなことは一切なかった。
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