大雨による土砂崩れ、堤防決壊などの被害は
九州、広島、岡山、岐阜、四国と、全国規模となってしまった。
死者、行方不明者数十名を出すに至っている。
一日も早い救出を願い、亡くなった方々のご冥福をお祈りします。
「水害疎開」
70年以上むかし、
東京の水害から所沢の叔母のところへ、母ときょうだい三人で避難したときのことである。
伯母の家にも同年齢の子供たちが三人にいて、大人は大変だったろうが、
子ども達はよく外で遊んだ。
あるとき、きょうだい同士で組んで、陣地取りかなにかで走りまわり、
相手のきょうだいを負かせた。
悔しがったコウちゃんという従兄が、わたしに、パンツ返せ、パンツ返せと喚いた。
着のみ着のままでの居候は、洗い替えもなくこの子たちの肌着を借りていたのである。
肌着さえまだ配給の時代であった。
男の子のパンツを穿いているだけで屈辱的なのに、
返せと言われてもパンツだから脱ぐに脱げない。あんなに悔しかったことはない。
ほかのことは忘れているのに、70余年たっても忘れられないわたしの水害の記憶である。
この水害をもたらしたキャサリン台風による死者は1077名、行方不明853名、
罹災者40万人という記録がある。
自分が今日まで無事に生きているのは、偶然の僥倖であるのかもしれない。
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