我が家のデッキ材のウエスタンレッドシダー(カナダ杉)は耐候性があると言われているが、ウリンやイペ、セランガンバツーほどではない(たぶん)。
建築家からは、ほっといても10年くらいは使え、メンテナンスすれば寿命はいくらでも伸びるというような説明を受けている。
もっともそれには、ちゃんとした設計・施工であることが重要。仮に水はけ、風通しが悪く、地面の土にべったりと接しているような造りだったら腐朽菌やシロアリを招き、上記の説明はあてはまらないだろう。
もし、ウッドデッキが何回メンテナンスしても長持ちしないということがあれば、設計・施工に欠点があったり、湿気の多い立地であったり、材がホワイトウッドなどの耐候性に弱いものであったり、ということが考えられる。
我が家はやっと築2年になろうとしている程度で、デッキ材に腐朽やシロアリの危機があったわけではなく、塗料がかすれてまだらになってきたことが塗りなおしの理由。「涼み台」は屋上ゆえに最も雨風や日射の影響を受け、同じ材を使っている(屋根つきの)縁側よりも劣化が目立ってしまっていたのだ。劣化といっても見た目だけで、材が弱っているということではなく、家の他のパーツがまだ新しさを感じる中でちょっと気になったということ。
塗りなおした結果、疲れが見えた若者がリフレッシュしてなおかつ経験を積んで落ち着いた風とも言えるような質感となった。
メンテナンスはそのような効果がある。
「メンテナンス要らず」といわれるような材だとしても、メンテナンスした方が気持ちよく使えると思う。
強い材というのは、同条件で管理したときに使用可能な期間が長いということに過ぎず、気持ちよく使えるかどうかはまた別の問題ではないだろうか。
例えば「汚れた部屋で飲むお茶よりも掃除してある部屋で飲むお茶のほうがおいしい」そんなことに近い気がする。
強い材を上記の部屋にたとえるならば「汚れにくい部屋」ということになるかもしれないが、それでも徐々に「汚れて」くるのは避けられないだろう。
適宜「きれいにする」作業は必要だし、きれいな期間が長いほど気持ちよく使える時間も長いと考える。
使う都度、拭き掃除(軽いメンテナンス)することでも気持ちよく使えるかもしれないが、だとしたら塗りなおしは数年に一度の大掃除だと思えばよいのではないだろうか。
最近流行りのサスティナブル(持続可能性)を成立させるには「素材」のみならず「手入れ」も重要なポイントだ。むしろ持続力の面では素材の優劣よりも手入れの影響が大きいかもしれない。
キザな言い方をすれば「手入れ」とは「愛」だ。
愛するものには手をかけたくなり、手をかけたものには愛が生まれやすい、そして愛するものは末長く存在していてほしいと思う、それはいろいろなものに当てはまる法則であろう。
もっとも愛の持ちようは人それぞれ。私にしたってとても身の回りのものすべてに愛は注げない。愛が増えればしがらみも増える。へたをすると身動きがとれなくなる。愛に縛られたくないという考え方もアリだ。
注:今回は、前回のエントリにつけていただいたジョイ(Hamajoy)さんのコメントへの回答を兼ねている
建築家からは、ほっといても10年くらいは使え、メンテナンスすれば寿命はいくらでも伸びるというような説明を受けている。
もっともそれには、ちゃんとした設計・施工であることが重要。仮に水はけ、風通しが悪く、地面の土にべったりと接しているような造りだったら腐朽菌やシロアリを招き、上記の説明はあてはまらないだろう。
もし、ウッドデッキが何回メンテナンスしても長持ちしないということがあれば、設計・施工に欠点があったり、湿気の多い立地であったり、材がホワイトウッドなどの耐候性に弱いものであったり、ということが考えられる。
我が家はやっと築2年になろうとしている程度で、デッキ材に腐朽やシロアリの危機があったわけではなく、塗料がかすれてまだらになってきたことが塗りなおしの理由。「涼み台」は屋上ゆえに最も雨風や日射の影響を受け、同じ材を使っている(屋根つきの)縁側よりも劣化が目立ってしまっていたのだ。劣化といっても見た目だけで、材が弱っているということではなく、家の他のパーツがまだ新しさを感じる中でちょっと気になったということ。
塗りなおした結果、疲れが見えた若者がリフレッシュしてなおかつ経験を積んで落ち着いた風とも言えるような質感となった。
メンテナンスはそのような効果がある。
「メンテナンス要らず」といわれるような材だとしても、メンテナンスした方が気持ちよく使えると思う。
強い材というのは、同条件で管理したときに使用可能な期間が長いということに過ぎず、気持ちよく使えるかどうかはまた別の問題ではないだろうか。
例えば「汚れた部屋で飲むお茶よりも掃除してある部屋で飲むお茶のほうがおいしい」そんなことに近い気がする。
強い材を上記の部屋にたとえるならば「汚れにくい部屋」ということになるかもしれないが、それでも徐々に「汚れて」くるのは避けられないだろう。
適宜「きれいにする」作業は必要だし、きれいな期間が長いほど気持ちよく使える時間も長いと考える。
使う都度、拭き掃除(軽いメンテナンス)することでも気持ちよく使えるかもしれないが、だとしたら塗りなおしは数年に一度の大掃除だと思えばよいのではないだろうか。
最近流行りのサスティナブル(持続可能性)を成立させるには「素材」のみならず「手入れ」も重要なポイントだ。むしろ持続力の面では素材の優劣よりも手入れの影響が大きいかもしれない。
キザな言い方をすれば「手入れ」とは「愛」だ。
愛するものには手をかけたくなり、手をかけたものには愛が生まれやすい、そして愛するものは末長く存在していてほしいと思う、それはいろいろなものに当てはまる法則であろう。
もっとも愛の持ちようは人それぞれ。私にしたってとても身の回りのものすべてに愛は注げない。愛が増えればしがらみも増える。へたをすると身動きがとれなくなる。愛に縛られたくないという考え方もアリだ。
注:今回は、前回のエントリにつけていただいたジョイ(Hamajoy)さんのコメントへの回答を兼ねている