家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

手入れの後ろにあるもの

2007年01月15日 | 家について思ったことなど
我が家のデッキ材のウエスタンレッドシダー(カナダ杉)は耐候性があると言われているが、ウリンイペ、セランガンバツーほどではない(たぶん)。
建築家からは、ほっといても10年くらいは使え、メンテナンスすれば寿命はいくらでも伸びるというような説明を受けている。
もっともそれには、ちゃんとした設計・施工であることが重要。仮に水はけ、風通しが悪く、地面の土にべったりと接しているような造りだったら腐朽菌やシロアリを招き、上記の説明はあてはまらないだろう。
もし、ウッドデッキが何回メンテナンスしても長持ちしないということがあれば、設計・施工に欠点があったり、湿気の多い立地であったり、材がホワイトウッドなどの耐候性に弱いものであったり、ということが考えられる。

我が家はやっと築2年になろうとしている程度で、デッキ材に腐朽やシロアリの危機があったわけではなく、塗料がかすれてまだらになってきたことが塗りなおしの理由。「涼み台」は屋上ゆえに最も雨風や日射の影響を受け、同じ材を使っている(屋根つきの)縁側よりも劣化が目立ってしまっていたのだ。劣化といっても見た目だけで、材が弱っているということではなく、家の他のパーツがまだ新しさを感じる中でちょっと気になったということ。
塗りなおした結果、疲れが見えた若者がリフレッシュしてなおかつ経験を積んで落ち着いた風とも言えるような質感となった。

メンテナンスはそのような効果がある。
「メンテナンス要らず」といわれるような材だとしても、メンテナンスした方が気持ちよく使えると思う。
強い材というのは、同条件で管理したときに使用可能な期間が長いということに過ぎず、気持ちよく使えるかどうかはまた別の問題ではないだろうか。
例えば「汚れた部屋で飲むお茶よりも掃除してある部屋で飲むお茶のほうがおいしい」そんなことに近い気がする。
強い材を上記の部屋にたとえるならば「汚れにくい部屋」ということになるかもしれないが、それでも徐々に「汚れて」くるのは避けられないだろう。
適宜「きれいにする」作業は必要だし、きれいな期間が長いほど気持ちよく使える時間も長いと考える。
使う都度、拭き掃除(軽いメンテナンス)することでも気持ちよく使えるかもしれないが、だとしたら塗りなおしは数年に一度の大掃除だと思えばよいのではないだろうか。

最近流行りのサスティナブル(持続可能性)を成立させるには「素材」のみならず「手入れ」も重要なポイントだ。むしろ持続力の面では素材の優劣よりも手入れの影響が大きいかもしれない。
キザな言い方をすれば「手入れ」とは「愛」だ。
愛するものには手をかけたくなり、手をかけたものには愛が生まれやすい、そして愛するものは末長く存在していてほしいと思う、それはいろいろなものに当てはまる法則であろう。

もっとも愛の持ちようは人それぞれ。私にしたってとても身の回りのものすべてに愛は注げない。愛が増えればしがらみも増える。へたをすると身動きがとれなくなる。愛に縛られたくないという考え方もアリだ。


注:今回は、前回のエントリにつけていただいたジョイ(Hamajoy)さんのコメントへの回答を兼ねている


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5 コメント

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arimeさんが言っていた。 (asazuma)
2007-01-16 08:30:07
どうも!朝妻です。

以前、建築家arimeさんがBLOGで言っていました。

「“メンテナンスフリー”
これは『メンテンナンスするも、しないもフリー(自由)ということか?」

ほ~、なるほどって感じじゃないですか。
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Unknown (Hanajoy)
2007-01-16 10:31:34
がらいかさん
そう 言われると思っていました
がらいかさんのブログをいつも拝見しているんだから答えは予想していました だけど こういう質問にどう返してくるんだろうと楽しみにしていました

やっぱりって気持ちです

愛 って 言われると思っていました

大好きな場所でいつまでも気持ちよく過ごしたい 大事な人と過ごす場所だから大切にしたい

その気持ちがメンテナンスにもつながるんですよね

ありがとうございます

自分が何を大切にしているのか どんなことを大事にしていきたいのか  見直し 考えるきっかけになりました


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Unknown (aiai)
2007-01-17 06:33:09
わが家も当初「ウリンのウッドデッキ」を考えていました。最終的にこれが予算や工務店側の要望で「ヒノキの濡れ縁」に代わりました。長持ちするものも地球によいかもしれないし、例え7,8年で朽ち果てたとしても近場の材を使う(地産地消)ことも地域の山を荒れさせないことに貢献すると思います。
いずれにせよわが家もgaraikaさんのいう通りここに「愛」を注いでいくことは大切だと思っています。そして自然のものだけがもつ表情には「愛」をそそがずにはいられない魅力があります。
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Unknown (Hamajoy)
2007-01-17 09:01:37
そうか
7,8年で朽ち果てたとしても・・・・か

また気づきです
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愛ですよ愛 (garaika)
2007-01-17 22:33:16
>朝妻さん

arimeさんはさすがです。
私は石や木に見せかけたフェイク系のメンテナンスフリー材は好きではありません。それはメンテナンスしても効果がよく見えないものが多いからです。その点、自然素材はメンテナンスし甲斐がある。

>Hamajoyさん、

私も基本的に性格はズボラなほうです。
身なりはあんまり気にしていません。不潔に感じられない程度でよい、そんな感じ。
これがおしゃれな人なら行動が全然違うのではないでしょうか。
衣服やアクセサリーを丁寧にメンテナンスして使うことでしょう。
人間、こだわる分野はそれぞれなんだと思います。
マリナーズのイチローはグラブをとても丁寧にメンテナンスしています。
料理にこだわる人はきっと包丁や鍋など調理道具を大事に使うことでしょう。
音楽家であったなら楽器を愛でることでしょう。
そういうことではないですか。

また、愛するものが突然現れることがあることも忘れてはなりません。
薪ストーブというものが私の目の前に現れたときから、私は薪割りという作業は苦痛ではなくなりました。
自分の薪ストーブというものがなかったら、薪割りは面倒なやりたくない作業であったことでしょう。
薪割りはやりたくないが薪ストーブはほしいという愛もあります。ただしその場合、お金を出して薪を買うしかありません。
手間はかけたくないけど愛はある。ただし愛するために余分にお金がかかる。
その愛の姿の違いは、妻と愛人の違いのようですね。
いや、愛人を持ったことはないんですけど(笑)。
対象がモノであるのなら、愛人に対するような愛であっても別にかまわないと考えます。

>aiaiさん
自然のものが持つ表情、いいですよね。
やがては朽ち果てていくのかもしれませんが、そこにだってワビ・サビがある。ただその前の過程でも、エイジングした表情を見せてくれるという楽しみがありますよね。

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