家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

姉歯問題とサブプライム問題を眺めて――ローリスクでやりたい放題

2007年11月14日 | 家について思ったことなど
姉歯元一級建築士による耐震強度偽装事件における東京地裁判決は、懲役5年、罰金180万円だった。姉歯被告は12日、この判決を「量刑が重過ぎる」として上告した。
殺人を犯したわけではないので一個人に負わせる量刑としてはこんなものなのかもしれないが、社会的損失を考えると「こんなものなの?」って感じる。
幾つのビルを取り壊したろう、何人が無駄な住宅ローンを負わされることになっただろう。
そして建築基準法の改正(改悪?)でどれほど着工が減ったことだろう。
全責任とは言わないが大半の責任がある人間の処罰がこの程度なのである。
社会的損失の大きさと比べるとやりきれない。

姉歯被告の判決よりもっと釈然としないのが、米国のサブプライムローン問題だ。
姉歯被告は偽装をしても「儲け」はたかが知れていたのに対し、サブプライムローン問題をここまで大きな問題にした人間達はそれまでにかなり儲けている。
返済能力が疑わしい人に信用を供与してローンを組んだ会社が起点になっているが、それよりも、そのローンを証券化した人間、その証券をろくに審査もせずに高い格付けを与えた格付け機関、その証券をレバレッジをきかせてファンドに組み入れた人間…、そういう人たちがリスクを何十倍も大きなものに膨らませていった。
信用力が低いのだから利回りが高いのは当たり前である。それが金融のプロによって証券化されてオブラートに包まれたようになり、まともそうな格付けが与えられる。それを運用担当者が購入する。結果論から見れば「誰が悪い」というより「みんなバカなことをやった」。
タチが悪いのは、当事者達は決して本当の「バカ」ではなく高学歴のエリートだったこと。
なんでそんなバカなことをエリート連中がやったんだ、といえば、「競争のため」というしかない。

そもそも彼らは悪いことをしているなどとは思っていない。誰よりも大きなリターンをとるために行動しているにすぎない。それが自分の報酬に直結するからだ。より大きなリターンを得るためにはリスクを覚悟しなければならない。ハイリスク・ハイリターンである。
リスクの大きさを推し量るために「格付け」があるが、その格付けもまったくあてにならないものであった。
格付け会社には構造的な問題がある。他の格付け会社より低い格付けを与えることが評判になると、お客(証券を発行する会社)が次第に逃げていくのである。したがって高めの格付けに誘導されやすい。
資金の運用者は、いい格付けで高い利回りの証券があれば購入したいと思うのは当然だが、そもそも利回りの高さと格付けの高さは相反する関係にある。そのことを疑問に思うべきではないか。それをレバレッジをきかせて組み入れたとしたら、運用者は商品のいびつさに目をつぶり、他の運用者との競争に勝つことだけを考えていたのではないだろうか。

マネーマーケットの住人達は高給取りだ。それは資金の出し手に高いリターンを供給することによって保証される。だから彼らは高いリターンにするため積極的にリスクをとる。
しかしこの問題を振り返ってみると、彼らにとってはハイリターンでローリスクだったのではないか。サブプライムローン関連商品のおかげでうまくいっているときは億単位のボーナスをもらっておきながら、問題が表面化して人から預かった運用資金に損失をもたらしても、最悪、会社をクビになるだけなのである。犯罪ではないので姉歯のような処罰もない。
何年か稼いで手元に何億円ほどもたまっていたとしたら、クビになることなんてたいして深刻なことではない。高水準のフロー(収入)がなくなるものの、高水準のストック(資産)は残る。
ローンを組んで破綻した住人のほうは、住宅を手放したうえ借金がまだ残ることになる。フロー(それも高い水準でない)は持続するかもしれないが、ストックは根こそぎ奪われる。ローンを組む前より悪い状態だ。得られたリターンといえば、自分の信用力では本来は手に入れることのできなかった住宅を購入して短期間、夢をみることができたというだけ。

なにか、おかしい気がする。

サブプライム関連商品で報酬を得た人の社会的な貢献を見てみると、自分の所属する金融業界のみならず、米国の住宅業界に好景気にをもたらした。建設業者や建材業者、不動産屋を儲けさせたし、雇用も創出しただろう。後の悪い結果を考えなければその時点では評価されていい。勇気のあるものがリスクをとることで社会がよくなったならばふさわしい報酬を得る資格はある。

しかし…
仕事に対する報酬というものは誰かの役に立ったときにもたらされるべきなのだが、逆に人に被害を与えたら責任をとるべきではないのか。
製造業にはPL法というのがある。製造物責任というヤツだ。欠陥品を作って提供したら、被害の内容に応じて賠償しなければならない。
金融商品にもこれを当てはめることはできないだろうか。
返済能力のないのが分かって組んだローン商品、破綻するリスクを過小評価したローン証券化商品、その証券に不釣合いな格付け、そんな証券を組み込んだファンド…、みんな誰かが作った商品だ。製造物とはいえないのだろうか。
実はリスクが大きかった高格付け商品なんて、廃鶏を使った比内地鶏商品と同じだ。

外資系金融機関の報酬の与え方にも問題があるとも思う。
短期間に稼いだ利益を短期間で評価して報酬を与える――、商材によってはそれでもいいかもしれないが、ローンのように長い時間をかけて決済するものを絡めた商品を作って、短期間に儲けたとして、それに対する報酬を一度に与えていいのだろうか。決済し終わるまで「最終的に」人の役に立ったとは言いがたいのに、売った時点だけの儲けで巨額の報酬を与えているのである。
その報酬が巨額なだけに、「無茶をしたもの勝ち」な状況になっている。そしてその「無茶」には、とても一人では背負いきれない被害をもたらすリスクをはらんでいる。

それを踏まえたうえで、どうしたらいいか考えてみた。

まず、金融商品にも製造物責任の考え方を導入する。
商品の責任者には、当初もたらしたリターンを評価して支払う報酬(ボーナス)は巨額になってもいい。ただし年金のように月単位で、組み込んだローン商品の期間に比例するような期間で報酬を支払う。
そして、後になって商品に欠陥が見つかったら、売り出した会社が責任度合いに応じて「被害者への補償」をすることとする。商品の担当者に対しては、そのあとの年金的報酬の支払いを減額ないし停止する。会社から見たら、社内の「責任者」に対して支払う予定だった巨額の報酬の残り分を、「被害者への補償」の一部にあてることができるというわけだ。
被害額によってはボーナスのみならず、基本給も減額、さらにコンプライアンスに違反していたら担当者個人に法的に損害賠償を求める。
このくらいにすれば、商品の開発者に社会的責任感が生まれ「無茶」が抑制される。逆に、真に「いい仕事」をしさえすれば最終的にはしっかりと大きな報酬を得られる。

例によって妄想的思い付きで、実現可能性がどんなものかは分からないが、耐震偽装問題のときに考えた「今後の」対応策と同様、自分なりにちょっと面白い「今後の」対応策ではないかと思っている。むろん、私は業界の人間でも当局の人間でもないので何の実行力も持っていない。問題を解決したい誰かのヒントになったらうれしいという程度のものである。



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