家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

「いい家」の決め方、決まり方 <住宅本の読み方あれこれ>

2006年01月12日 | 家について思ったことなど
書店の住宅本コーナーを見ると「いい家」というキーワードがついた本がたくさんある。
この中で私を辟易とさせるのが、「『いい家』はこういうもの」と決め付けてある一部の本だ。
ある部分において幾分性能が劣っている住宅と比較して、こっちの方が優れた「いい家」と主張する。
それはあくまで「いい性能」の話だ。その性能に限定するならば、いかようにも優位点をアピールしてもいい。そういう情報は役に立つ。しかし、立地まで含めていろいろな要素が複合的に絡み合っている家というものを、限られた分野の性能の優位性だけで「いい家」と断定していいものなのだろうか。
例えば、
・ガーデニングや庭いじりがものすごく好きで、どうしてもある程度の広さ庭を確保したい施主がいたとする。しかし予算は限られている。「土地の広さ」という性能を優先して土地を確保して、とてもいい庭を造っても、他の性能を妥協したとしたら、それは「いい家」ではないのだろうか。
・施主が「眺望」とか「交通アクセス」に優れた立地にこだわる場合などもある。その立地に高性能住宅を建てればなおいいとわかっていても、ハードの性能より、限られた予算の中で「眺望」「交通アクセス」を優先したらそれは「いい家」にはなりえないのか。
・吹き抜けの「開放感」や「採光」より、「空調効率」を優先しないと「いい家」にはならないのか。
・建材で、「質感」より「ノーメンテナンス性」を優先しないと「いい家」にはならないのか。

施主にとって、家づくりとはコストの配分を考えることとも言える。
性能はそれぞれ高い方がいいに決まっている。しかし、優れた性能を確保するためにはコストがかかる。すべての性能を最高水準にするのは資金上、無理というもの。「土地の性能」も含めてそれぞれの性能にかけるコストの配分は施主それぞれで違うはずだ。

限られた予算の中で施主の望む要件をできるだけかなえた住宅が「いい家」というのではないのか。ある性能が劣っているとしても、それが致命的な水準でないかぎり、その劣っていることをもってしてレベルの低い家扱いするのはいかがなものだろう。
「いい家」を見出しにとった本の一部は、「いい家」の定義を狭量に捉えている気がしてならない。
「いい家」の「解」は一つではない。施主それぞれにユニークな「解」がある。本の著者が考える家を「いい家」と表現するのはよしとするが、それ以外を「たいしたことない家」「悪い家」のように表現する乱暴さは注意して読みたい。

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2 コメント

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その通り! (asazuma)
2006-01-14 08:18:37
いつもどおり、説得力のある文章。

脱帽です。



文壇デビューはいつか?



熱望します。
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Unknown (garaika)
2006-01-14 12:07:11
朝妻さん、どうも。



根がポジティブな私は(笑)、ネガティブ情報が過激だとつい反発したくなってしまうのです。その性格はリテラシーの発露には役立っているようです。



施主のほとんどがだまされている、勘違いしているというような立場からの著者の物言いも気になります。

極端な話、雨風をしのぐという性能が満たされていればほかの性能はひとそれぞれでいいのではないでしょうか。

当然いい性能がたくさんあるほうがいいことではあるとは思いますが…。



なお、こんな感じで住宅本についての記述をためていこうかと考えています。
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