最近の家づくりではメンテナンスフリーなものが好まれる。
手間要らずって確かに魅力的だ。その流れはおかしなことではない。
だけど、なにもかも手間要らずにすることもないんじゃないだろうか。
家も、手間をかけて「育てていく」ということだってあっていい。
メンテナンスフリーの新建材は劣化が遅いというメリットがある反面、風格・味わいといったエイジングは期待しにくい。新品が最高の状態で、進行は遅いといっても徐々に劣化していく。
メンテナンスフリーでない建材の中には、新品よりも経年変化したモノのほうが価値が高くなっているものもある。そういう素材も新品は新品なりの気持ちよさがあって、その気持ちよさは減退していくものの、日に焼けたり、掃除したりしていくと色がなじんできて落ち着く。そこから別の気持ちよさともいえるエイジング効果が期待できる。
メンテナンスフリーなものの姿は、たぶん今年より来年のほうがつまらない。
メンテナンスフリーな新建材は、劣化が遅いので一見家の寿命を延ばす効果があるように思われるが、30年も経つと、その時代に新しく出てきた新建材に比べてみすぼらしく思えて、むしろ建て直しを後押しすることになりはしないか。
メンテナンスが必要なものは、年々面白みが出てくることがある。大事に使って、風格やその家のオリジナル性が出てくれば、廃棄するには惜しくなり、逆に家の持続性に効果があるだろう。
アンティークの価値はデザインの時代性ばかりではない。長い年月をていねいに使ってきたからこそ滲み出す風格が価値を生んでいることもある。
家もそうした流れがある。ヨーロッパの古い街並みはアンティークに似た価値が見える。
とはいえ、いまどき新建材をまったく使わない、というのは無理がある。
言いたいことはメンテナンスフリーの新建材のカタマリのような家だとさきざきの変化がつまらないかも、ということである。やみくもにメンテナンスフリーを追い求めるより、エイジングを楽しめる部分を確保しておいたらどうかということだ。
メンテナンスという行為は持ち主がそのものに注ぐ愛情と言えるのではないか。
「大事に使っている家」を見てほんわかとした気分になるのはきっとそれを感じるからだ。
余談だが、宮崎駿のアニメーションに出てくる各種大道具・小道具の味わいは、「メンテナンスしている感」がもたらしていると思う。