家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

凸凹、縁側――日本人の幸せ

2006年03月27日 | 家について思ったことなど

この週末、家族と京都に出かけた。
「あわよくば花見を」との思惑があったが、残念ながら桜のつぼみはまだ固かった。
今回の旅行の主たるテーマは「子供たちに歴史というものを実感させる」であったので、かえって歴史的建築物を見るほうに集中できた、と良いほうに解釈しておく。

そうはいいつつ、公に京都のことを語れるような教養・雑学・薀蓄は持ち合わせていないので、建築物に絡んで感じたことを記録しておく。

ひとつは、知恩院御影堂の縁の板が気持ちよかったことである。
その回廊は住宅と比べようもない長い何月が経っているばかりでなく、その上を歩いた人間の数も相当な数になろう。
結果、板にはツヤとともに凹凸が出てきている。それが足裏に心地よさをもたらした。
清水寺から、二年坂、三年坂、円山公園、八坂神社とゆっくりながらも休まずに歩いたうえ、知恩院は「男坂」のほうから上ってしまい、足にやや疲労感があったことも影響したかもしれない。ツボを刺激したという効果をもってして。
しかし、床を素足(この場合靴下は履いているのだが)で歩くことに気持ちよさが感じられるというのは日本人に生まれた幸せであると思う。
御影堂の縁のツヤや凹凸はたまたまできたようなものだが、経年変化とはこういう面白い効果をもたらしたりするのである。

ふたつめは縁側の良さをかみしめられたこと。
同じく知恩院の方丈庭園内の山亭縁側に腰掛けて、春の柔らかな日差しの中、ほんの10分ほどだが、ただ庭園を眺めた。「ここにお茶があったら」「さらに昼寝できたら」などという夢想をしばし楽しんだあと、子供に促されて山亭庭園を後にした。
こういう空間に身を置くと、昔の家の良さがじんわりわかってくる。こうした機能の優劣は数字で表せないせいか、最近では機能ごとなくしてしまった家が増えているのは残念だ。我が家は縁側をつくって良かったと思う。




なお、今回の旅行では、m-louisさんから多大なる後方支援をしていただいた。
教えてもらった南禅寺裏手の散策ルート行は地方人による普通の京都旅行プランではちょっと味わえなかったと思う。m-louisさんには感謝するばかりである。