家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

わさびの姿から

2006年03月13日 | 山小屋・ログハウス

 山小屋横の小さな湿地には湧水があるが、沢の水も流れ込んでいる。
その流れを利用して母がわさびを植えている。

わさびは清流でないと育たない。だから、わさびの姿が見えるだけで水がきれいなことが連想されてくる。
世の中、一つのモノから、環境や周囲のものが想像されることってある。例えば、わさびと同じように、ヤマメやイワナの姿は清流に直結する。コイやフナでは清流がイメージしにくい。

住宅などでも部分的なモノからいろいろ想像できることがある。
花壇があって、そこがきれいに整えられていると、季節の美しいものが好きで、きちんとした暮らしをする住人の姿が思い浮かぶ。
以前のエントリ「ニセモノ自慢の憂鬱」で紹介したFRP製の物置のようなものではなく、オーダーメイドやDIYした物置が設置されていると自分のオリジナルな暮らしを楽しんでいそうだ、と思えてきたりする。
ほかにも、鍋、釜、フライパン、包丁の姿を見れば料理の腕前がなんとなく見えてきたりすることもある。

部分から全体の姿を正確・緻密に推察できるとは必ずしも言えないが、傾向のようなものはわかることはあると思う。



<余談>
直近の「ミシュラン」ではトゥール・ダルジャンが三つ星から一つ星に「格下げ」されたという。有名になって日本人などの観光客が押し寄せたことが格下げにつながっているとの見方がある。こういうことが積み重なって「日本人の姿が目立つ」=「凋落のシグナル」として認識されるようになったら悲しいことである。「日本人は本当にうまいものを知っているから、彼らがいたら無名店でもいい店だろう」なんて連想されるほうがかっこよくはないか。
めったなことで高級レストランに行こうなどと思わない私のひがみだろうか。