家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

主導権

2005年04月20日 | 家について思ったことなど
 建築家・設計事務所と家を建てるというスタイルに否定的な人が、「建築家がやりたいようにやってしまう」というような懸念を盛り込んだ文章を出しているのをしばしば見かける。
 まるで建築家・設計事務所と組むと、他(ハウスメーカー、工務店)に依頼するのより、主導権を取られてしまうというように読める。
 本当にそうだろうか。
 施主が、ハウスメーカーや工務店からも主導権を奪われている面に気が付いていないのではないだろうか。

 たとえば建材や建具。ハウスメーカーに頼んでも、工務店に頼んでも、大概は指定品がある。これはハウスメーカーや工務店が「こちらがやりたい(やりやすい)ようにやらせてくれ」といっていることと本質的に違わない。低姿勢ゆえに施主が気づきにくいだけで初手からその部分の主導権をビルダーサイドに握らされるのだ。
逆に設計事務所だったら、まずは建築家の理論や志向を反映したモノが出てくるだろうが、いやならダメ出しして、施主の好みにあうまで何回でもプランを調整することが可能だ。その場面で主導権がとれるかどうかは施主の実力が関わってくるが、少なくとも自由度は大きいといえる。

ハウスメーカーや工務店の営業マンが自社のやりやすい選択肢をうやうやしく施主に提示し、建築家は考えられる数多い回答の中からひとつの回答を施主に不器用に提示する、そんな違いがあるように思う。
家づくりにおいて、施主が主導権を持っているようないい気分にさせるのが営業マンの手腕でもあるのだろう。その点、営業スキルに劣る建築家は総じて不利になる。しかし、施主が本質的に主導権を掌握しているかどうかは別の話なのだ。

建築家の中には施主の好みをほとんど受け付けないような人もきっといるだろう。ただそれを建築家のスタンダードな姿としてリスクを語っているとすれば乱暴なことだ。そんな人かどうかは、主導権のあり場所が気になる施主ほどすぐに見抜けるはず。リスク回避はそんなに難しくないのにそのリスクを前面に出すのはどうかと思う。

ちなみに、私は施主が全方面に絶対的主導権を持つべきだとは思っていない。施主の建築に関する知識はプロのそれに劣るからだ。むしろ施主が間違っている部分があったならば、設計者でもビルダーでも、プロの視点からそこはしっかり主導権を取ろうとしてほしいとも思っている。
また、施主が能動的に設計者やビルダーに主導権を渡す部分もあっていいと思う。一国の首相でもそれぞれの分野は各大臣に主導させているように。

そういう主導権のゆだね方の組み合わせの違いで、ハウスメーカー向き、工務店向き、設計事務所向きといった施主の分類がなされていくのかもしれない。