家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

「解」はひとつじゃない

2005年04月14日 | 家について思ったことなど
  住宅に関するコミュニティをのぞいたり、住宅本を読んでいたりすると、時おり、「そのやり方はまずい、ダメだ」と断定する御仁がいる。
  明らかな欠陥についての指摘を除いては、それは大抵、「その人の考えにおいては」まずいやり方であることを主張しているにすぎない。
  これらのさまざまな意見を集めてすべて正しいものだとすると、世の中のほとんどの建物はどこかしら「まずい建築」になってしまう。しかし実際には、それらの建物に満足して住んでいる人もたくさんいるのだ。
  断定的に指南する人は得てして「解はひとつ」と思い込んでいるのではないだろうか。その「解」以外は見逃せない弱点や欠陥があると思っていて、他人もその「解」にたどりついてほしいと願う。ただ、その人はそう思っていても、ある人にとってはたわいもない弱点にすぎなかったり、弱点を補ってあまりある利点が同居していたりするということもあるのだ。
  このような指南好きが多いのは、自分たちが提供するものこそ住宅の究極の「解」であるという信念をもって活動せざるをえない住宅の供給サイドの事情がもたらしているようにも見える。

 しかし、「解はひとつではない」と思う。
  自分を振り返ると、出来上がった今の家はひとつの良い「解」になったと思うが、違う形の良い「解」もきっとあっただろうと思う。一人(一家族)に対する「解」はいくつもあると考える。
もしかしたら、ある人にとっては「解」はひとつしかないということはあるのかもしれないが、少なくとも一般の多くの人がひとつの同じ「解」になるというのは、不自然ではないだろうか。

 たったひとつしかない「解」を求めて家を建てようとすると、教えたがりの御仁の言動に惑わされやすいと思う。そして、その御仁が教えてくれる「解」は自分にとって良い「解」とは限らないのだ。
いくつかの良い「解」があって、その中のひとつにたどりつければ良い、というくらいのスタンスで家づくりに臨んだほうが、情報についてのリテラシーが働きやすいだろうし、家づくりの過程を楽しめるような気がする。

 自分の「解」に満足するのもいいが、人の「解」も面白いと考えられる方が楽しい。