家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

オーダーメイド

2005年04月10日 | 我が家のスペシャルな事情
 かつて我が家は呉服と洋服の小売業をしていた。
服地を売り、お客さんの希望の仕立てで着物や洋服を作るという仕事で、小売業といっても家内制手工業のような仕事でもあった。
 自分だけの服を作るという行為はいつのまにか贅沢なことになってしまったが、近代までは贅沢でもなんでもなく、ごく当たり前のことだった。うちのような業態の小売店も決して少なくはなかった。

 自分が気に入った服地を選び、気に入ったデザインで仕立ててもらう。その一連の流れは、ていねいな作業だ。そして、服というものは家計の中で総じて高価だったから、質の吟味は真剣で、購入後は品物も丁寧に取り扱った。
今の服飾シーンからは「仕立てる」という発想はほぼ消え去り、「買う」ということしか頭に浮かばない。そして、自分に服を合わせるという側面より、服に自分が合わせるという部分が増幅している。価格が安くなった分、使い方の丁寧さも後退している。

 経済性、合理性が何よりも優先される時代へと変貌していく中で、街の洋服屋や呉服屋は淘汰されていった(我が家もジリ貧になる前に店をたたんだ)。洋服屋のいくつかは既製服の販売に乗り出したが大手の販売力に対抗できるものではなかった。

 住宅建築の世界では今でも多くの工務店が、衣服の世界におけるかつての街の洋装店、呉服店のような役割を担っている。顧客のオーダーをきいて設計し施工する。
しかし、工務店も社会的な合理化の波に押され、あたかも洋装店が既製服を取り扱うようになったかのごとく、次々と既製のパーツを組み入れてパターンオーダー化したり、建売住宅販売に乗り出したりしている。
その進行は、施主と設計をていねいに検討していく過程を省く結果になっている。そしてそれは大手ハウスメーカーとの差別化を難しくする動きでもあるように思う。

 住宅、あるいはパーツの既製品化の進行は経済的に大きな効果がある。したがって現代においては歓迎すべき風潮なのだろう。
 しかし考え方が古くさい私は、経済性よりも、相談しながらていねいに作り込んでいくこと、ていねいな過程を経て作られたが故に大事に長く使おうという意識が維持されること、に目が向いてしまった。
 我が家は建築家・設計事務所へとなびいたが、別に強烈なインパクトがある家にしたかったわけではない。オーダーメイドという流れから生まれる、モノの固有性を大事にしたかったのだ。
 現代の家づくりシーンにおいては設計期間、施工期間がどんどん短縮されている。それが固有性をなくさないまでも、削ぎ落とすような動きに見えてしまったことが私を設計事務所に足を向かわせたようだ。

それはきっと我が家が衣服の固有性にしがみつきながら家業を営んでいたことと無縁ではないのだろう。