ひまわり博士のウンチク

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悪代官「御手洗富士夫」

2007年02月27日 | 社会・経済
Mitarai

●庶民から搾り取る、悪魔的考え
 経団連の御手洗会長の考えが明確になったようです。
 「2015年までに法人税を10%下げる」そしてその下げた分の財源をどこに求めるかというと、「(消費税を)2011年までに2%、2015年までにさらに3%程度引き上げる」といっています。
 つまり、消費税は現在5%ですが、それを10%にするべきだというもの。その分、今40%の法人税を30%に減らせ、というものです。
 法人税40%というととても大きく思えますが、これは純利益に対してかかるもので、総売上ではありません。つまり、儲からない企業からは少なく、儲かっている企業からはより多くの税金をとるという「利益の再配分」の原則からなっています。
 しかし消費税は個人消費にかかわるもので、しかもそれぞれの経済状態には関係なく、生活必需品にもぜいたく品にも区別なく均一にかかります。
 ですから御手洗ビジョンというのは、「儲かっている企業の税金を安くして、庶民の税金を引き上げる」という考え方です。これは、庶民の税金を企業の利益にまわせというのと同じことです。

●大企業でも一般社員はおいてけぼり
 ここで勘違いしてはいけないのは、「大企業に働くすべての人にとって有利な税制」かというと、そうではありません。これで儲かるのは、その会社に出資している人たち、つまり、経営者です。
 会社が利益を上げた場合、一般社員にたいして、会社によってはおこぼれ程度の昇級やボーナスがあるかも知れませんが、実際にはほとんど還元されることはありません。
 会社の利益は、経営者に役員報酬として莫大な金額が支払われるとともに、会社の規模を拡大したり、さらに儲けを大きくための手段として、株式や不動産への投資に使われます。
 お金持ちの経営者にとっては、消費税が5%だろうが10%だろうがたいした影響はありませんが、庶民にとっては大変な負担です。当然、その“庶民”の中には大企業の従業員も含まれるわけですから、「会社が儲かれば自分達の暮らしもよくなる」などという幻想は、間違っても抱いてはいけません。

●生かさぬよう殺さぬよう
 封建時代の日本は、士農工商という身分差別があって、制度上は2番目の地位にあった農民に対し、実質は最下層扱いして「生かさぬよう殺さぬよう」に、年貢を限界まで搾り取りました。
 御手洗富士夫の考えは、基本的にこれと同じです。まさに悪代官のそれです。
 最近の日本には「自分は勝ち組だ、庶民じゃない」等と思っている人が増えてきていますが、「華麗なる一族」から見れば、ホームレスもサラリーマンも同じです。

●働かない人間が儲けている
 僕が若いころ、芝居づくりのために関西の未解放を体験しに行ったときのことです。あまりの生活のひどさに、「ぜひ、支援する運動をしたいです」とグループのボスに告げたところ、大変叱られました。
 「あなた方は、だれを支援するつもりなのか。あなた方は、私たちよりも上の位置いるとでも思っているのか。なんとおこがましい人たちだ。
 世の中には大邸宅に住み、池には何百万円もする鯉が泳ぐ桁外れな暮らしをしている人もいる。しかも、彼らは私たちのように汗水たらして働かない。私たちの汗が彼らの大きな家になり、広い庭になっているんだ。
 そういう人たちにとっては、私たちもあなた方もたいした違いはない、同じ庶民だ。
 そんな連中とあなた方の差は、我々とあなた方の差よりも何倍も大きいことに気づいてほしい。
 私たちに支援など必要ない、私たちにとって必要なのは、こんな差別のある世の中を一緒に変えていく仲間だ

●格差に拍車をかける派遣・請負制度
 国会でキャノンの偽装請負問題が取り上げられていることに対し、「派遣、請負の分野ができ、会社が一人一人に声をかけなくても大量に雇えるようになった」と個人の保護よりもあくまで会社の利益優先の発言をしています。(御手洗富士夫はキャノンの社長。ご存知でしょうが念のため)
 このブログでもすでに紹介したように、派遣・請負は勤続年数や熟練度、年令による昇級を基本的に見込む必要がありませんし、社会保険の一部負担や退職金、賞与なども支払う必要もありませんから、これらの人員を大量に雇用することで、企業は人件費を大幅に節約することができます。
 しかしこれは、会社にとっては業務の質の低下を招き、働く側にとっては、結婚や子どもの誕生などで生活資金が多く必要になったとしても十分な収入を得ることができません。派遣・請負が増えれば増えるほど、企業の質が悪くなり、働く人々の格差が広がることになります。

 歴史を振り返ると、格差が大きく広がった社会では、一揆や革命が起きています。

●「華麗なる一族」による「華麗」なる政治
 今の政治をつかさどっている政治家の多くが、お金に困ったことのない「おぼっちゃん」たちです。消費税が5%上がることで生活に困る人がいるなど、想像はできても実感できません。
 スリランカの村づくり運動をしているアリアラトネ博士が、アメリカの支援者の家をたずねたとき、そこで振る舞われた料理があまりに豪華なので、博士はそのうちの一皿だけを取り、あとは脇に除けてこういいました。
 「私はこれだけで十分。残った分はこの国の貧しい人に分けてあげてください」
 すると、大金持ちの支援者は怒っていいました。
 「貧しい人間は能力がないからだ。私たちは能力があるからそれに相応しい暮らしをしている。それのどこがいけないんだ」
 アリアラトネ博士はこれ以上ケンカはしたくないので声に出しませんでしたが、心の中でこう思ったそうです。
 〈あなた方の豪華な暮らしは、その“能力のない人たち”のおかげで成り立っているんですよ。本当に能力がないのは、働かないあなた方だ〉

 人間を大事にしない国が繁栄したためしはありません。
 「各人は能力に応じて、各人にはその必要に応じて!」(カール・マルクス『ゴータ綱領批判』望月清司 訳)これこそが民主主義の理想です。


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