寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

学生紛争の思い出(5)

2016年01月26日 22時23分26秒 | 寓居人の思い出話

 昭和60年代に起きた学生紛争の目的は何だったの

でしょうか。社会の不平等の是正という言葉を初め

のころの学生は口にしていたように思います。これ

は私のいた大学での話ですが、学生運動に参加した

少数の学生の間でのことですから確定的なことでは

ありません。当時東大の紛争でも、東工大でも同じ

ようなことが新聞の記事になっていましたね。私が

一部の学生と話し合いをした時には、教授の人たち

はもっと学生のためになるような授業をやってほし

いといっていました。どういうことかと正しますと、

教授の人たちは学外でやる非常勤講師の仕事は休校

にしないのに本校の授業は休校が多すぎるというこ

とだと言っていましたね。私の経験でも専門の授業

のいくつかは年間5,6回授業をやって試験もなしに

評価している方がいました。最も大学の授業は当時

は自分で専門書を読んで学習するのが当たり前と言

われていましたから。何とも言えないことでもあり

ました。最も単位の取得に関する授業時間というの

は決められていました。その中では、少しうろ覚え

になってしまいましたが1回の授業、これは45分を

1時間として2時間つまり90分ないし100分間の授

業を15回やると2単位になるという計算です。さら

にそのなかには少なくとも同じ時間の自習時間が含

まれているのです。

 こういうことを考えると、文頭で書きました授業

をしっかりやってほしいというのは当然ですね。私

はそれでは必修授業を増やす方法を考えてはどうか

と言いましたが歯牙にもかけられませんでした。

 当時こんな噂も流れてきましたね。わが校で文系

校舎を占拠しているのは近隣の学生と高校生だった

というのです。したがって大学に対する要求が明確

ではないのは当然だったのかもしれません。

 他の大学でも同様したがあの頃の学生紛争では学

生側に何も得るものがなかったのではないでしょう

か。砂川闘争とか安保闘争というのはそれなりに目

的がはっきりしていたし、ある程度の成果はあった

のではないでしょうか。

 しかし、あのエネルギーは大変なものでしたねえ。

火炎瓶を投げられた時はさすがの私も怖かったです

ねえ。

 

 


記憶に残っている映画(4)「羅生門」

2016年01月26日 10時34分30秒 | 寓居人の思い出話

 中学生のころ私は校内一番の読書好きだったらしい。

家の隣棟に藁科さんという方が住んでいました。その家

には4歳か5歳年上のお兄(A)さんがいました。Aさんは

友達がいないこともあって私を相手にいろんな話をして

くれました。そしてAさんが持っていた本をたくさん貸し

てくれました。その中に芥川龍之介の全集もありました。

 芥川龍之介の小説は、一見優しい文体で書かれていま

すが内容は人間の深いところにある意識を書いていると

Aさんは教えてくれました。その翌年芥川龍之介の小説

をいくつかまとめて映画を作ったという話をききました。

映画を見たのは数年後になりますが、映画自身は深部な

どで高い評価を受けたというようなことが報道されまし

た。監督は黒澤明でしたね。黒澤明監督に事は「姿三四

郎」(2編)を見た時に父がこの監督は将来性があると

教えてくれたのが思い出されます。

 「羅生門」という映画は初めて見た時は、その真価が

解らなかったのですが重ねてみると小説の「羅生門」と

は異なる場面があったのですが、人間は自分の罪を逃れ

る(自分の都合の悪いことを隠す)ためには真実を曲げ

てしまうものだということを知ることができました。

 この映画では三船敏郎と京マチ子の姿が目に焼き付い

てしまいましたね。外国の映画特別賞を受けたりしたの

で、映画の内容は理解困難だったのですが国外での評価

は極めて高かったのですね。

 黒澤明の作品はほとんど観ましたが、どれも素晴らし

いものだったと思いました。素人の考えでは、監督が高

齢になるにしたがって娯楽性の高い作品が増えてきたよ

うですね。しかし内容は作品ごとに私には何か社会正義

という課題を突き付けているように感じました。