昭和60年代に起きた学生紛争の目的は何だったの
でしょうか。社会の不平等の是正という言葉を初め
のころの学生は口にしていたように思います。これ
は私のいた大学での話ですが、学生運動に参加した
少数の学生の間でのことですから確定的なことでは
ありません。当時東大の紛争でも、東工大でも同じ
ようなことが新聞の記事になっていましたね。私が
一部の学生と話し合いをした時には、教授の人たち
はもっと学生のためになるような授業をやってほし
いといっていました。どういうことかと正しますと、
教授の人たちは学外でやる非常勤講師の仕事は休校
にしないのに本校の授業は休校が多すぎるというこ
とだと言っていましたね。私の経験でも専門の授業
のいくつかは年間5,6回授業をやって試験もなしに
評価している方がいました。最も大学の授業は当時
は自分で専門書を読んで学習するのが当たり前と言
われていましたから。何とも言えないことでもあり
ました。最も単位の取得に関する授業時間というの
は決められていました。その中では、少しうろ覚え
になってしまいましたが1回の授業、これは45分を
1時間として2時間つまり90分ないし100分間の授
業を15回やると2単位になるという計算です。さら
にそのなかには少なくとも同じ時間の自習時間が含
まれているのです。
こういうことを考えると、文頭で書きました授業
をしっかりやってほしいというのは当然ですね。私
はそれでは必修授業を増やす方法を考えてはどうか
と言いましたが歯牙にもかけられませんでした。
当時こんな噂も流れてきましたね。わが校で文系
校舎を占拠しているのは近隣の学生と高校生だった
というのです。したがって大学に対する要求が明確
ではないのは当然だったのかもしれません。
他の大学でも同様したがあの頃の学生紛争では学
生側に何も得るものがなかったのではないでしょう
か。砂川闘争とか安保闘争というのはそれなりに目
的がはっきりしていたし、ある程度の成果はあった
のではないでしょうか。
しかし、あのエネルギーは大変なものでしたねえ。
火炎瓶を投げられた時はさすがの私も怖かったです
ねえ。