寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

記憶に残っている映画(1)「青い大陸」と「世界残酷物語」

2016年01月21日 20時59分53秒 | 寓居人の思い出話

 私が学生のころ住んでいた品川区大井町には国鉄大

井町を中心に6館の映画館がありました。その映画館

では週替わりで通常2本立てで映画を上映していまし

た。当時は映画全盛だったのですね。その他に通常の

映画上映が終了すると、古い映画、例えば「カサブラ

ンカ」とか「外人部隊」などを深夜映画として安い料

金で見せていました。

 私の両親は、ラジオで落語とか浪曲を聞くくらいで

趣味らしいものを持っていませんでしたので、よく映画

に行きました。時々は私もいっしょに行きました。

 そんなわけで私も映画を好きになり、たくさん映画を

見ました。これまでに見てきた映画で今でももう一度見

たいという映画について書き残しておこうと決めました。

しかし古い話ですから筋書きはあいまいなところがある

かもしれませんがご容赦願います。

 初めに前にブログに書きました「青い大陸」という映

画です。その映像の美しさに心を奪われましたね。世界

にはこんなにきれいなところがあるのかと感動しました。

 その感動は今でも思い出します。その後に「世界残酷

物語」という映画を見ましたが、世界の地域が違えばこ

んなに風習が違うものかと別な意味で感動しました。この

映画はあとになっていわゆるやらせだったと知りましたが、

世界各地の風習や習慣をある程度知ることができましたね。

 例えば風葬の場面がありましたが、もちろんやらせだっ

たのですがすざましいものでした。しかしよく考えると、

水や燃料(薪)が不足している地域では死者を自然に返す

というのは合理的かもしれないと思ったものでした。この

考え方は少なからず不遜だとは思います。でも日本でも風

葬をつい最近までやっていたところがありました。さすが

に現今はやっていないと思いますが。私は終焉を迎えた時

には骨粉を海に流してほしいと思っています。これは一種

自然葬と言えるかもしれませんね。 


学生紛争の思い出(3)

2016年01月21日 14時18分13秒 | 寓居人の思い出話

 1969年、私のいた大学でも全共闘の学生?に占拠

されてしまいました。それまでにも占拠の兆候はあっ

たのですが現実のものになるとは思っていませんでし

た。ある学部の教授会の中に乱入して何か訳のわから

ない要求と称するものを拡声器でがなり立てて教授会

を妨害したり、対立していた自治会系の学生の目を鉄

の棒で突いて失明させたりもしました。

 ある日出勤すると校舎に入れず困っていると、前に私 

に助けられたという学生が来て、当分の間校舎を占拠す

ることになったと教えてくれました。何か持ち出したい

ものがあったら、私と来てくださいと言って研究室へ連

れて行ってくれました。研究室には危険な薬品や高価な

装置・器具がありましたが一応当時暗室として使ってい

た部屋に隠してローカに大きな戸棚をおいて入り口をわ

からなくしておいたので安全だったことが確認できまし

た。校舎の占拠は6月頃から半年以上にわたり継続されま

したので、授業は年度いっぱい行われませんでした。

 校舎を占拠されていた文系学部の卒業予定の学生はどう

処理されたのかは記憶にありません、理・工学部の学生は

通常通りに卒業したと思います。

   

      

   

 

  研究室は写真の通り荒らされてはいましたが、化学科の

学生が頑張って管理をしていたようで予想していたよりは

良い状態でした。一人分の寝床がありました。

 屋上にはレンガの破片や砂利などが大量に置かれていま

した。最後の写真は機動隊が突入しようとしている場面で

す。この日のうちに校舎は解放されました。