普段、何気なく使っているトイレ・・・
そのトイレの上部の棚の中のものを取り出そうとしたときに
下段の棚の山姥(やまんば)と目が合った。
各地の民話や伝承でもお馴染みのこの山姥(やまんば)は
長さ(高さ)50cm、太さ8cm位の白樺の木でつくられたもので
妖怪、鬼女といわれるとおり、頭には二本の角があり、赤茶けた髪は長く、
隈取をしたような大きく鋭い目を開き、耳元まで裂けたような大きな
口の中は血塗られたように赤く、不気味な笑いを発しているように見える。
この山姥は今から54~55年前、関越道路などがなかったころ、
私たち夫婦が私の故郷富山へ行った際、帰りはそれまで通ったことの
ない飛騨高山方面経由で帰ろうと決め、数河高原を通り、高山で
食事休憩をした時に土産店で見つけ、山姥の伝説のように激しい欲望や
怒りや怨念などが表れたようなその不気味とも言える形相に何故か
魅力を感じ何の躊躇いもなく買って持ち帰った物。
特別に信仰心や宗教心と言えるようなものはない私だが、伝説や
昔からのならわし、祭り、しきたりのような代々受け継がれて
きたこれらの風習のようなものにはそれなりに意味、意義を感じる
ものもあり、多くの人たちと同じように冠婚葬祭時には神社、仏閣、
教会などで手を合わせることも当然ある。
昨日は立春だったが、これら二十四節季や七十二候などからも古人の
知恵や考えに感心することが多い。
過去にも何度か記事にしたことがあるが、我が家は先祖代々浄土真宗だが
母は若いころ(結婚前)から敬虔なクリスチャンで、父は富山の墓に・・
母と、晩年クリスチャンになった長兄と弟は埼玉県の森林湖畔霊苑
(埼玉県比企郡滑川町 )内にあるキリスト教会の墓に入っている。
宗教に関係なく私は当然ながら両方の墓参りに行くのだが・・・
日頃どんな神様も自分の生活には無関係だと思っている私が突然
「トイレの神様」をタイトルの記事を投稿とは?・・・・
それは山姥と目が合ったことで閃いたのだ。
ここで山姥に話を戻すと・・・
我が家へ来てからの「山姥」は最初は単なる置物、飾り物として
テレビの周辺においてあったのだが、子供が生まれた頃からは
倒れると危ないので場所を移し、その恐ろしい顔を活かして(?)
玄関の守り神的存在(?)になっていた。
前述のとおり、神の存在云々を考えない私がなぜ守り神などと?・・・
この場合の「神」は信仰心とは違い、神社で買うお守りやおみくじの
ようなもの。
その守り神(?)となった山姥は・・・
神社や、寺院でよく見かける阿吽一対の狛犬(こまいぬ)や東大寺を
はじめ各地の寺院の仁王像(金剛力士像)などの阿吽、いずれの像の
形相にも畏敬の念が湧き、なぜかほっとして安心できるように一種の
信頼感のようなものさえ感じたのだ。
余談の余談だが狛犬や金剛力士像の「阿吽」の由来などを検索して
初めて知ったこともあり、あらためていにしえ人の凄さをも知ることが
できた。
そしてこの我が家の守り神的存在となった山姥は・・・
私が20年勤めた会社を辞めて弟と一緒に小さな会社を作って5年後、
病気に続き、私の仕事の失敗(私自身は勇気ある撤退?と判断)により、
当時の自宅を失い、転居後も玄関の守り神(?)としてその役目を果たし、
現在のマンションに入居後もそのままずっと長い間我が家の玄関に
住み続けていたのだが今から10年ほど前にラジオで放送された作家であり、
シンガーソングライターである植村花菜さんの「トイレの神様」の歌が
大ヒットし、紅白への出場や物語りのテレビ放映などでも好評を得ると、
以後我が家では何故だかこの山姥を「トイレの神様」役としてトイレに
配置する人事異動(?)を行った。
以来、この10年ほどは以前の役目(守り神?)を後輩の「雷神(の置物)」
や沖縄土産の可愛い笑顔の鬼たちに譲り、植村花菜さんの曲大ヒット曲
「トイレの神様」にあやかり現在はトイレ内で活動中。
この「トイレの神様」は植村花菜さん自身の小学校3年生から23歳までの
実体験による作品で同名小説も植村花菜さんによる著書。
テレビ放送の主人公は北乃きいさん、子供時代を演じる芦田愛菜ちゃん
(現在17歳の高校生)が6歳ごろの作品でそのかわいらしさと演技力に
脱帽・・・
自分を支え続けてくれたおばあちゃんを思う気持ちをいま、you tubeで
観ても涙がこみあげてくる。
アップした動画の画像はテレビで放映されたドラマバージョンとは
違い、芦田愛菜ちゃんや北乃きいさんの映像ではないが・・・
このブログに立ち寄ってくださった方はぜひ最後までこの歌を
聴いていただきたいと思う。
トイレの神様/植村花菜
「トイレの神様」歌詞
歌:植村花菜
作詞:植村花菜・山田ひろし
作曲:植村花菜
小3の頃からなぜだか
おばあちゃんと暮らしてた
実家の隣だったけど
おばあちゃんと暮らしてた
毎日お手伝いをして
五目並べもした
でもトイレ掃除だけ苦手な私に
おばあちゃんがこう言った
トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに
べっぴんさんになれるんやで
その日から私はトイレを
ピカピカにし始めた
べっぴんさんに絶対なりたくて
毎日磨いてた
買い物に出かけた時には
二人で鴨なんば食べた
新喜劇録画し損ねたおばあちゃんを
泣いて責めたりもした
トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに
べっぴんさんになれるんやで
少し大人になった私は
おばあちゃんとぶつかった
家族ともうまくやれなくて
居場所がなくなった
休みの日も家に帰らず
彼氏と遊んだりした
五目並べも鴨なんばも
二人の間から消えてった
どうしてだろう 人は人を傷付け
大切なものをなくしてく
いつも味方をしてくれてた おばあちゃん残して
ひとりきり 家離れた
上京して2年が過ぎて
おばあちゃんが入院した
痩せて細くなってしまった
おばあちゃんに会いに行った
「おばあちゃん、ただいまー!」ってわざと
昔みたいに言ってみたけど
ちょっと話しただけだったのに
「もう帰りー。」って 病室を出された
次の日の朝 おばあちゃんは
静かに眠りについた
まるで まるで 私が来るのを
待っていてくれたように
ちゃんと育ててくれたのに
恩返しもしてないのに
いい孫じゃなかったのに
こんな私を待っててくれたんやね
トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
おばあちゃんがくれた言葉は 今日の私を
べっぴんさんにしてくれてるかな
トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに
べっぴんさんになれるんやで
気立ての良いお嫁さんになるのが
夢だった私は
今日もせっせとトイレを
ピカピカにする
おばあちゃん
おばあちゃん
ありがとう
おばあちゃん
ホンマに
ありがとう