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『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

病院で待機中の読書が意外にスイスイと・・・

2022-02-11 16:26:05 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨日は予報どおり関東各地の雨や雪の情報が朝から飛び交ったが
さいたま市でも8時前から雨が一瞬、霙に変わったかと思う間もなく
雪に変わった。

千恵子選手のMRI検査の予約が8時40分だったので8時過ぎに家を出て
車で「埼玉県北部医療センター」へ・・・8時10分ごろに到着し、
受付を済ませMRI検査室前の廊下で待機・・・

予定どおりの時刻に呼ばれ、千恵子選手は検査室へ・・・
検査に30~40分ぐらいはかかることがわかっていたので
私はあらかじめ用意しておいた本をバッグから取り出し読み始めた。

それはブログ友で読書家のすずさんが過日記事内で紹介された
松谷みよ子さんの「小さいモモちゃん」。
この本はモモちゃんシリーズの「モモちゃんとプー」も一冊に
納められている。 

物語りはモモちゃんの誕生から始まるのだがいきなりジャガイモや
ニンジン、玉ねぎたちが・・そしてガムやソフトクリームたちも
お祝いにやってくるという不思議な世界観が展開される。

モモちゃんの成長と共にファンタジーな世界が次々と現れる
子供向けの童話のように思えるが、何事にも区別せず、垣根を作らず
子供の素直な目線でものを見るというところに視点を置いて大人の
感覚で読むと、また違った意味やある種の感動をも呼ぶという感想も
持てるのではないかと思った。
またお母さんたちも子供の何気ない言葉や表情、動作などを書き留めて
置いたりすることも良いのではないかと思った。

「小さいモモちゃん」は、あっという間に読み終え、この一冊に
まとめられた「モモちゃんとプー」の3ページに入ったところで
検査が終了・・・その後の展開を楽しみにして帰宅。

その後、すぐに継続して読むつもりだったが急遽外出したため中断し
先ほど帰宅してとりあえずこのブログを投稿することにした。
続きの感想はいずれまた。




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最も親しき仲間『爺さんカルテット』の安否確認情報あり・・・

2022-02-10 16:03:32 | 喜怒哀楽をポジティブに
仲間たちから久々に安否確認の連絡が・・・

昨日は仲良し仲間『爺さんカルテット』のTさんから正月以来、
久しぶりの連絡があった。
3回目のワクチン接種を終えたこととみんなはどうなのか?
というメール(ライン)だったが、その後他の二人からも矢継ぎ早に
メールが届き、一人は2月4日に終え、もう一人は12日だという。
その後電話に切り替え久しぶりに聞いた3人の懐かしい声・・・

既に接種を終えた二人に副反応などはなかったということで先ずは安心、
しかし現在のオミクロン型の感染が止まらないので、お互いに
対策をしっかりやっていずれ会える日を楽しみにして待つことにした。

私とSさんが79歳、Tさんが77歳、Kさんが72歳で、4人とも軽い持病など
多少の問題はあるが、幸い気持ちも躰も至って元気なのが何よりもうれしい。

この仲間のうち二人は私が20年勤務した最初の会社の人事異動時に
同じ支店や事業所の部署などでそれぞれ知り合って以来の付き合いで、
もう一人は部署は違うが同じ支店での顔見知りだった。

・・・というわけで同じ職場で同時に働いたというわけではないが
人事異動の度に一人ずつ何かで親しくなり、その後私以外の3人は
定年まで勤めあげ、住居も川越市とその周辺3km以内という仲の良さ・・
私が住むさいたま市からも15km程度の近距離だということもあり、
それぞれの定年後は最低1カ月に2回以上は会っていたのでこの
コロナ禍での会えない生活はメンバー全員には本当に辛い状況と
なっているのである。

一番古い付き合いはTさんで1970年からの52年間・・・
続いて歳は一番若いがKさんの1975年以来で47年・・・
私と同い年のSさんとは1979年からの43年・・・
その1年後(1980年)、私はその会社を退職したがそれぞれとの交流は
いまだに長く続いている。

お互いが現在(コロナ感染拡大の前)のように1か月に2~4度
合流するようになったのは2002年頃から・・・そこからでも
20年以上に亙る長い付き合い・・・

私たち4人はそれぞれが強い個性を持っており、お互いに
それを認め合っているからこそ時には悪態をつきながらも
励まし合い、楽しみながら助け合うことが出来ているのだと
考えられる。

本当(それ以前)はもう一人いて『爺さんクインテット』だったのだが、
私より3歳上のもう一人のSさんは残念ながら5年前に逝ってしまった。

今、こうしてお互いを気遣い、安否の確認と近況を知らせ
合うことしかできないがそれでも心が通い合う友人がいることは嬉しいし、
ありがたいとも思う。

さて、今日の
千恵子選手の『絵手紙コーナー』は・・・
今日から少しずつ変わった絵手紙も紹介していければいいと
思うが私はパソコンを使えない妻の補助的役割として写真を
アップするだけ・・・

ブログ友のken((knsw0805))さんからいずれは
ポエットMさんの「水曜サロン」のようなコーナーを目指すべき
なのでは・・・とたくさんの素晴らしいアドバイスをいただいたが
幾つもの持病(?)をもつ本人(妻)の体力と、気力を
考慮しながらとりあえずはいただいた様々なアイディアのうち、
実践可能なものを少しずつでもやっていけたらいいのではないかと
思っているのだが・・・。

千恵子選手の『絵手紙コーナー』NO.3

   一般的な絵手紙(はがき)
 

  はがきに五百羅漢の表情を鉛筆で描き、薄墨でぼかすように・・・


名刺サイズの画用紙や和紙に画を描き、はがき大の用紙に張り付けて投函

 昨日に続く独楽吟 用紙は和紙(半紙)を使用


 50枚ずつ綴じたもの






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千恵子選手の絵手紙コーナーに嬉しいコメントが・・・

2022-02-08 14:54:39 | 喜怒哀楽をポジティブに
寒い日が続いており週末には寒波が襲ってくると言われているようだ。
マンションのエントランスから15メートルほど離れた民家の道路側の
「早咲きの梅」が「時は来たり」とばかりにほころび始めた。

梅と言えばまさにその凛とした美しさに心惹かれるが「気品」を
感じさせるその佇まいは清廉潔白、誠実、忠実などをイメージさせる。

その民家の梅は、はなびらも大きく観る者の足を止めさせ、香しい香りも
冷たい風に乗ってどんどん広がっていくようだ。
ブログ友 ポエットMさん の3日前(2月5日)の記事の最後の部分の
『厳しい冬の季節の中で微笑むかのように花開く白梅。その馥郁とした
香りに・・・』という文章に出合った時に『これこそが・・』と思った。

馥郁の馥も郁も同じような意味を持っている部分もあるようだがこれが
合わさってこそまさに「梅の香」を表す言葉なのではないだろうか。

さて、昨日から私の独断(?)で『千恵子選手の絵手紙コーナー』を
ブログに併載したが・・・
本人が完全に納得したわけではなく戸惑いだらけの中で見切り発車的に
掲載した絵手紙に過分な評価や応援のコメントをいただき、本人は
驚きと恥ずかしさなどでやや困惑状態・・・

しかし嬉しいことは間違いないようで、今後の掲載には反対せず、
過日、大量に破砕処分した残りの中から私が選んで掲載することで
合意となった。

千恵子選手の『絵手紙コーナー』

本人(千恵子選手)はブログへのアップにまだ戸惑っているため
今日も私が趣味や好きなことをやり続ける楽しさや、人と人との
繋がりの大切さを感じたものや、寒いこの季節の健康について意識
したものなどの何枚かを選びアップ・・・

その前に、
千恵子選手が皆さんに感謝のコメントを・・・

 

 

 



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今日から時々、千恵子選手(妻)の絵手紙コーナーも

2022-02-06 17:05:48 | 喜怒哀楽をポジティブに
私のブログ友たちの感動を呼ぶ言葉や写真、著書の紹介など様々な記事を
時々、妻の千恵子選手に見せて二人でその素晴らしさを語り合うことが
屡ある。

そしてそこから二人が学ぶことの何と多いことか・・・
私には到底真似のできないことをいとも簡単に‥と思えるほど容易く
やってのけるブログ友たちには日々感心・・いや敬服の念に堪えない。
心底尊敬できるというこの思いを持つことをしあわせであると感じる
毎日が楽しい。

そんな私の様子を傍で見ている千恵子選手は中学生の頃に四国の
同い年の女子との文通を思い出し、そのことを語りながら、ブログは
昔の文通のようなものだと思っているようで、パソコンに向かう私の
嬉しそうな顔に質問を投げかけてくる。

千恵子選手はブログと文通との違いや共通するところは解ったようだが、
パソコンはもとより通常「機械もの」と言われる電子機器をはじめ、
あらゆる器具などの知識や操作にも疎く、スマホの扱いにも四苦八苦の
状態なので関心はあってもブログを・・などとは夢にも思わないという。

過去にも何度か自分の描いたものを私のブログの記事に載せて、同好者
との交流の切っ掛けにしたらどうかと勧めたのだが首を縦に振ることは
なく、頑なに断り続けてきた。

千恵子選手は持病や体力の低下と共に教室の数も減らし、今は教室も
1ヵ所としたことにより、気持ちも楽になったのか、最近は食事用の
テーブルに絵手紙の道具などを拡げ、気ままに描いている。

昨日描いていたのは久しぶりの「独楽吟」。
その時、私は思った。
やっぱり私のブログに併載しよう・・・と。
日常の些細な楽しみや喜びを好きなように描く絵とともに簡単な言葉で
表すのだから・・大丈夫だよと説得(?)。

当然私の記事とは関連しないものが多いと思うので「併載」という
言葉は正しくはないかもしれないがとりあえず一緒に‥という意味で。

もともと期待や効果、結果を求めるものではないだけに気楽、気軽に
やってみることを勧めると力なく(不承不承)「こくっ」と首を縦に・・・。

絵手紙と併せ、長くやっている独楽吟もアップするように話したが
やはり自信がないという。
以前、ブログ友ポエットMさんの記事にも独楽吟という言葉があったが、
その時、短歌が全く分からない私は勝手にこう思った。
短歌のように「風景や情景と自分の想い、感情などを表す」ようなもので
なくても口語体の話し言葉でもいいのではないかと・・・

の勝手な解釈を話したことが妻の2度目の「こくっ」に繋がったのかも
しれない。

さて、何をどのように・・と思うと、どう選べばいいのかわからない・・・
先日、我が家のシュレッダーが悲鳴を上げるのではないかと思うほど
沢山の絵手紙を処分していたことを思い出し、残っているものは
どのくらいあるのかと聞くと、なんとまだクリアファイルに収められた
ものが20冊以上もあった。

そして「独楽吟」は50首ずつを綴じたものが6冊、
そしてさらに・・・
古くから中国では(日本でも)漢字や習字の手本とされたいう「千字文」
と呼ばれる四言の古詩250句(千字) とともに描かれた挿絵のような
絵と文(詩の内容とは別で思いのままを描いたもの)の冊子が2部。
確かに四文字の詩が250枚(1000)文字が書かれていた。

とりあえず、今日は過去の絵手紙の中からこの季節に描いたものを
少し選んでアップすることにした。

この拙い絵手紙でも本人自身が一生懸命に描いたこととそれを
観てくださった方が少しでも心が安らぐような、ほっこりとした
気分になっていただくことができれば・・と思いアップを試みたのだが・・・

千恵子選手の『絵手紙コーナー』
 絵手紙 いろいろ          収納したファイル いろいろ

  ファイルの中は・・・

 独楽吟 いろいろ          独楽吟の中の一部

 独楽吟               独楽吟

 千字文 表紙             千字文の一部

千字文に思いのままのひとこと、ふたこと、そしてささやかな絵を添えて



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我が家のトイレの神様

2022-02-05 10:03:25 | 喜怒哀楽をポジティブに
普段、何気なく使っているトイレ・・・
そのトイレの上部の棚の中のものを取り出そうとしたときに
下段の棚の山姥(やまんば)と目が合った。
 
各地の民話や伝承でもお馴染みのこの山姥(やまんば)は
長さ(高さ)50cm、太さ8cm位の白樺の木でつくられたもので
妖怪、鬼女といわれるとおり、頭には二本の角があり、赤茶けた髪は長く、
隈取をしたような大きく鋭い目を開き、耳元まで裂けたような大きな
口の中は血塗られたように赤く、不気味な笑いを発しているように見える。

この山姥は今から54~55年前、関越道路などがなかったころ、
私たち夫婦が私の故郷富山へ行った際、帰りはそれまで通ったことの
ない飛騨高山方面経由で帰ろうと決め、数河高原を通り、高山で
食事休憩をした時に土産店で見つけ、山姥の伝説のように激しい欲望や
怒りや怨念などが表れたようなその不気味とも言える形相に何故か
魅力を感じ何の躊躇いもなく買って持ち帰った物。

特別に信仰心や宗教心と言えるようなものはない私だが、伝説や
昔からのならわし、祭り、しきたりのような代々受け継がれて
きたこれらの風習のようなものにはそれなりに意味、意義を感じる
ものもあり、多くの人たちと同じように冠婚葬祭時には神社、仏閣、
教会などで手を合わせることも当然ある。

昨日は立春だったが、これら二十四節季や七十二候などからも古人の
知恵や考えに感心することが多い。

過去にも何度か記事にしたことがあるが、我が家は先祖代々浄土真宗だが
母は若いころ(結婚前)から敬虔なクリスチャンで、父は富山の墓に・・
母と、晩年クリスチャンになった長兄と弟は埼玉県の森林湖畔霊苑
(埼玉県比企郡滑川町 )内にあるキリスト教会の墓に入っている。
宗教に関係なく私は当然ながら両方の墓参りに行くのだが・・・

日頃どんな神様も自分の生活には無関係だと思っている私が突然
「トイレの神様」をタイトルの記事を投稿とは?・・・・

それは山姥と目が合ったことで閃いたのだ。
ここで山姥に話を戻すと・・・
我が家へ来てからの「山姥」は最初は単なる置物、飾り物として
テレビの周辺においてあったのだが、子供が生まれた頃からは
倒れると危ないので場所を移し、その恐ろしい顔を活かして(?)
玄関の守り神的存在(?)になっていた。
前述のとおり、神の存在云々を考えない私がなぜ守り神などと?・・・

この場合の「神」は信仰心とは違い、神社で買うお守りやおみくじの
ようなもの。
その守り神(?)となった山姥は・・・
神社や、寺院でよく見かける阿吽一対の狛犬(こまいぬ)や東大寺を
はじめ各地の寺院の仁王像(金剛力士像)などの阿吽、いずれの像の
形相にも畏敬の念が湧き、なぜかほっとして安心できるように一種の
信頼感のようなものさえ感じたのだ。

余談の余談だが狛犬や金剛力士像の「阿吽」の由来などを検索して
初めて知ったこともあり、あらためていにしえ人の凄さをも知ることが
できた。

そしてこの我が家の守り神的存在となった山姥は・・・
私が20年勤めた会社を辞めて弟と一緒に小さな会社を作って5年後、
病気に続き、私の仕事の失敗(私自身は勇気ある撤退?と判断)により、
当時の自宅を失い、転居後も玄関の守り神(?)としてその役目を果たし、
現在のマンションに入居後もそのままずっと長い間我が家の玄関に
住み続けていたのだが今から10年ほど前にラジオで放送された作家であり、
シンガーソングライターである植村花菜さんの「トイレの神様」の歌が
大ヒットし、紅白への出場や物語りのテレビ放映などでも好評を得ると、
以後我が家では何故だかこの山姥を「トイレの神様」役としてトイレに
配置する人事異動(?)を行った。

以来、この10年ほどは以前の役目(守り神?)を後輩の「雷神(の置物)」
や沖縄土産の可愛い笑顔の鬼たちに譲り、植村花菜さんの曲大ヒット曲
「トイレの神様」にあやかり現在はトイレ内で活動中。

この「トイレの神様」は植村花菜さん自身の小学校3年生から23歳までの
実体験による作品で同名小説も植村花菜さんによる著書。

テレビ放送の主人公は北乃きいさん、子供時代を演じる芦田愛菜ちゃん
(現在17歳の高校生)が6歳ごろの作品でそのかわいらしさと演技力に
脱帽・・・
自分を支え続けてくれたおばあちゃんを思う気持ちをいま、you tubeで
観ても涙がこみあげてくる。

アップした動画の画像はテレビで放映されたドラマバージョンとは
違い、芦田愛菜ちゃんや北乃きいさんの映像ではないが・・・

このブログに立ち寄ってくださった方はぜひ最後までこの歌を
聴いていただきたいと思う。

トイレの神様/植村花菜

「トイレの神様」歌詞
歌:植村花菜
作詞:植村花菜・山田ひろし
作曲:植村花菜

小3の頃からなぜだか
おばあちゃんと暮らしてた
実家の隣だったけど
おばあちゃんと暮らしてた

毎日お手伝いをして
五目並べもした
でもトイレ掃除だけ苦手な私に
おばあちゃんがこう言った

トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに
べっぴんさんになれるんやで

その日から私はトイレを
ピカピカにし始めた
べっぴんさんに絶対なりたくて
毎日磨いてた

買い物に出かけた時には
二人で鴨なんば食べた
新喜劇録画し損ねたおばあちゃんを
泣いて責めたりもした

トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに
べっぴんさんになれるんやで

少し大人になった私は
おばあちゃんとぶつかった
家族ともうまくやれなくて
居場所がなくなった

休みの日も家に帰らず
彼氏と遊んだりした
五目並べも鴨なんばも
二人の間から消えてった

どうしてだろう 人は人を傷付け
大切なものをなくしてく
いつも味方をしてくれてた おばあちゃん残して
ひとりきり 家離れた

上京して2年が過ぎて
おばあちゃんが入院した
痩せて細くなってしまった
おばあちゃんに会いに行った

「おばあちゃん、ただいまー!」ってわざと
昔みたいに言ってみたけど
ちょっと話しただけだったのに
「もう帰りー。」って 病室を出された

次の日の朝 おばあちゃんは
静かに眠りについた
まるで まるで 私が来るのを
待っていてくれたように
ちゃんと育ててくれたのに
恩返しもしてないのに
いい孫じゃなかったのに
こんな私を待っててくれたんやね

トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
おばあちゃんがくれた言葉は 今日の私を
べっぴんさんにしてくれてるかな

トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに
べっぴんさんになれるんやで

気立ての良いお嫁さんになるのが
夢だった私は
今日もせっせとトイレを
ピカピカにする

おばあちゃん
おばあちゃん
ありがとう
おばあちゃん
ホンマに
ありがとう

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今日は二十四節季の立春・・春と呼ぶにはまだ・・しかし確実に近づいている。

2022-02-04 11:52:36 | 喜怒哀楽をポジティブに
立春と言えば春の始まり・・
しかし「早春譜」の歌詞どおりまだ「春は名のみ・・」という感じである。 
立春と言えば、2月4日というイメージだが昨年は2月3日だった。
これは1985年以来、37年ぶりの2月3日だったという。

少しずつでも春の訪れを感じたいこの時季に昨日の朝も早くから先日
作ったバードバスにメジロがやってきて私たちを喜ばせたが何か様子が
変だった。

バスの縁にとまり、盛んに首を水面に近づけるのだが水を飲む仕草では
なかった。
次に降り立った時もそうだったので、飛び立った後、バードバスを見ると
一面に氷が張っていた。

これじゃ、飲めない・・可哀そうだからと早速、水を入れ換え、しばらく
様子を見ているとメジロよりも先にヒヨドリが登場・・水に顔を突っ込み
そして顔を挙げ、喉を見せるようにして水を飲むこと7回・・かなり喉が
乾いていたのだろうか、そしてあたかも安堵の表情を見せるように
その後も暫くとどまり、やがてゆっくりと頭上の木蓮の枝に移り、盛んに
首を動かす動作は肩こりや首の痛さが気になる人間の仕草にも似ていた。

このような光景に出合うと普段嫌われがちなヒヨドリであっても
可愛く見える。
ヒヨドリを宿敵と思っていた我が家の「モップばあちゃん(=妻)」も
最近はヒヨドリに好意的な目と感情を寄せている。

ヒヨドリが飛び立つとすぐにメジロが2羽、勢いよくバードバスを
めがけて飛んできた。
ヒヨドリを恐れてその動きを少し離れて監視していたのかもしれない。

このチャンスに写真を・・と思い窓に近づくと忽ち飛び去ってしまう。
バードバスを置いてからまだ5日しか経っていないので焦らずゆっくりと
観察をしながらチャンスを狙うことにしようと楽しみを先に・・・

そして今日・・・
朝食時(7時)にいつものようにカーテンを開け、レースのカーテンも
開けて庭とテレビを交互に見ていると先ず2羽のメジロが・・・
昨日の2羽なのか別の個体なのか、室内から見ていても早いその動きは
嬉しそうに見えた。

一羽は水中にダイブし、潜るように全身を濡らしてまた縁へ戻り
細かい羽ばたきで躰の水を飛ばしながら忙しそうに羽繕いを
している姿もなかなか微笑ましい。

昨年の今日(4日)は関東地方で過去最も早い「春一番」が吹いたようだが
今年もまもなく春一番が吹くことだろう。
春一番が吹くと翌日は気温が急激に下がるというデーターがあるそうで
過去に最大で10度以上、平均では5~6度も違うという。

各地の梅もほころび始めたようだ。
春一番が吹き、河原や土手に自生する菜の花の黄色が広がり始めると
身も心も浮き立つように明るくそして何事にも爽やかさを感じるようになる。
梅の香が漂ってくる日もそう遠くはないだろうと思う。

その足音はまだ聞こえないが確実に近づいているのだ。
日本の春を謳歌するためにはコロナなどに負けてはいられない。
国も場当たり的なものや後手後手の対応、そして掛け声だけの
パフォーマンスはやめてきちんとした対策をたて、実践してほしい。

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陽気がいいので久しぶりに・・・

2022-02-01 16:32:51 | 喜怒哀楽をポジティブに
各地では雪が降ったり、雨模様だったりという天気のようだが
南関東はありがたいことに連日いい天気が続いている。
ここさいたま市でも空気は冷たいが風もなく、陽射しの温もりも
感じられ、このマンションの各階のベランダに布団などもたくさん
干されている。

そんな穏やかな昼下がり・・久しぶりにすぐ近くの公園周辺を歩いてみた。
公園に入り、とっくに葉が落ちた高木の下から空を仰ぐと細かい枝の
間から見える青空が一際綺麗に見えた。

少し先には私の大好きな白い雲も・・・
その雲は夏や秋の雲のように目にも鮮やかな白い雲ではなく少し薄い
灰色がかっており、捻じった揚げ菓子を長く長く繋げたような形で
棚引くように川越方面へ横に広がっていた。

かなりの樹齢を想像させる桜の垂れ下がった枝には既に花芽のような
物がたくさんついており、その小さな膨らみは立春を前に「今や遅し」と
待っているように見えた。

暖かさにつられて外出したのだろうか、甲高い声で何かを言いながら
笑い続ける3歳ぐらいの女の子と若いお母さんがベンチの周りを
鬼ごっこをするようにちょこちょこと走っている姿にも春を待つ姿が
感じられ何となく仄々と・・・。

民家の庭の家庭菜園と思しき場所の一部に点々と残る大根・・・
地表へ伸びた姿と大きい葉っぱにも生き生きとしたものを・・そして
みずみずしさを感じ、この大根なら生で食べてもきっと程よい甘さを
感じるのではないかと思いながら気が付くと予定よりも少し遠くの
角まで歩いていた。

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